二日後。
ガンダルが目覚めると、窓際の淡い陽光差し込む夕方の病室の天井が視界に広がった。
窓からそよ風が吹き込み、向こうが見えるほど極薄生地の白いカーテンが波打つ様に揺らめく。和やかで、穏やかで、心地よい空間。
そこが病室のベッドの上だと気づいたのは、その雰囲気に心奪われ、正気を取り戻した時であった。
なぜ自身がこのような状態になっているのか、記憶を巡らしながら起き上がると、病室に一人の女性が入って来た。
見覚えのある風体から、誰かは判明した。
「ゲレーテ。なぜ貴女が……」
その女性は、竜王ストライの秘書の魔人である。
髪質の影響と、角の種類の影響から、服装を変えれば人間に見える。
「いえ、それはこちらの台詞ですよガンダル。なぜ貴方はあのような無謀な戦いを行ったのですか?」
ゲレーテはガンダルの隣のベッドに腰掛けた。
ガンダルは思い返すと、確かにあの黒い何かとの激しい死闘は繰り広げられていた。
何度殴り、何度蹴り、竜族にしか扱えない技を駆使するも、相手は受け流し、霧散して躱し、それでも的確に重く強い攻撃を返してきた。
そこまでの記憶はあるが、ボロボロで満身創痍になりながらも、最後の力を振り絞って大技を繰り広げようと構え突進した筈であった。
しかしそれ以降の記憶が無かった。
目覚めた今、なぜ右腕全体に固定具(ギプス)が巻かれ、身体のそこら中に包帯が巻かれているのか、不思議であった。
「なぜ俺はこの様な姿に?」
「なぜではありません。私もヴィヴィさんに注意された所ですよ。”弟子であれ、少々不躾が過ぎるのではないか”と」
さらに、ヴィヴィの説教と忠告が続いたらしく、ゲレーテのぼやきは続いた。
ガンダルがこのような状況に陥ったのは、一頻りのぼやきが終わった後であった。
「貴方の無謀な争いを止めたのはヴィヴィさんです。私も又聞きですのでよくは分かりませんが、貴方が大技らしき一撃を放とうと特攻した時、それを止めようと別場所から突進してきたヴィヴィさん渾身の『空中回転蹴り』で貴方を飛ばしたそうです。恐らく、疲弊した上での猛烈な一撃により意識が完全に飛んだのでしょう。そして、ヴィヴィさんは王子に憑いたモノに秘術を用いて制止させ、元に戻したそうです。後で謝ってくださいよ。竜族の大技を止めるには力技で止めなければならない、獣王様の秘書でありながらも無礼な振る舞いをさせてしまった事を」
まさか不意打ちとはいえ、同じ竜族の女性にやられた事に心的負担を負ったガンダルは、片膝を立て、そこを肘置きにして、左手で頭を抱えた。
「で、なぜあのような無茶をしたのですか?」
「……先生が、弟子であるなら、アレをどうにかしてみろと……」
ゲレーテはあらかじめ、ストライが不安視していたガンダルの誤解を聞いていた為、双方の解釈の違いに納得した。
「ガンダル。とりあえずは、如何なる理由があろうと王子。いえ、この一件が解決するまで、この国に入国する事を禁じます」
「なんだと!?」
まさか、この期に及んでこの反応をされる事をゲレーテは不思議に感じた。
「いいですか。今回ヴィヴィさんが貴方の腕を折る程の傷を負わせて止めたのは、書状を送ってまで原因を報告したのに、それを私情で憑きモノに挑んだ貴方の無礼な行いに問題があるからです。獣王様の下にいるなら、礼儀重視なのは当たり前です。それを無下にして腕一本で済んだのだから有難く思いなさい」
如何なる生物であれ、腕一本の骨を砕かれたのなら結構な重症なのだが、竜族は骨の造りが特殊である。
骨質は頑丈で節があり、背骨ように一つの骨がしっかり繋がり連なった造り。一応、節のつなぎ目の骨はきちんと繋がっているが、いざ折れたとなると、節の間が割れたような折れ方をする為、固定具などで元の位置に固定し、二三日して繋がる仕組みとなっている。
竜族の身体は再生力が高い事が有名でもある。
ゲレーテに注意され、女性の竜族に仕留められ、黒い何かに敗北したガンダルは、気分が晴れないままの退院となった。
竜族は体内の負傷が激しいと、回復がそちらを優先させる体質の為、外傷が中々癒えず、退院時も包帯やガーゼが当てられた状態であった。そんな傷に構いなく、ガンダルの思考は虚ろであった。
なぜゲレーテがいたのか、なぜ誰にも城へ向かった事を報告していないにも関わらず、ヴィヴィが偶然いたのかなど、どうでもよかった。
それは思考にとどまらず、虚らいだ気分で帰省する最中、街中の人が、珍しい竜族に注目する視線すらもどうでもよく、教会前で知人に似ている人物を目の当たりにしても、(あれ?)と、一瞬思ったが、その程度で過ぎ去った。
敗北感。背徳感。絶望感。疎外感。
もう、あらゆる負の心情だけがガンダルの中で蠢き、全てがどうでもよかった。
ガンダルの気持ちが治まったのは暫く歩いてからであり、その頃にはようやく周囲の景色に異変や違和感が起きても気づける程まで回復した。
一度落ちるとこまで落ちきった感情が回復して、余裕を持てた視界が捉えたのは、草場に隠れ、何かを覗いているベレーナの姿であった。
「何をしているんだ?」
声をかけると、ベレーナは驚きの表情をガンダルに向けた。
ベレーナの眺めている光景は、遠景ではっきりしないが男性と老父が会話をしており、傍で幼女がちょろちょろしている位しか分からず、なぜそれを覗いているか疑問ではあった。
そしてベレーナがどのような心情であれ、本当にどうでもいいと、その一瞬思った。
「――ん?」
ガンダルは老人の顔を見て気づいた。その人物はガンダルが憑きモノに挑む前日、広場で声をかけ、世間話をし合っていた楽士団の老人であると。
「一つ聞きたい。楽士団の弦楽器奏者に興味がおありで?」
「え? 何ですかいきな――!? 今なんと?」
ベレーナはその詳細を聞くと、念話でなにかを話した。
そんな最中、ようやくガンダルは気づいた。
老人の話し相手が英雄マルクスで、老人に僅かばかりの王力が漏れていることを。
本来、王たる者は王力を消すことは出来るが、ここまで不安定だと、心情に何かしらの影響が及んでいる証拠だとしか思えない。
かつて魔王を倒した英雄と変装した魔王。しかも楽しそうに会話が弾んでいる様子が伺える。
なぜこの様になったのか、ベレーナに訊いたが、「いや、もういいでしょ。楽しそうだから、後は任せましょう」と言って寝転がった。
訳が分からない状況で、謎は深まるばかりであった。
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