クォルテナの話によると、このテンセイシャが出現した経緯に関係しているのは闇王・アウンバル=ガルバメントである。
関係しているというと聞こえは悪いが、正確にはクォルテナが彼の協力を得たというのが正しい。
何かが原因と言うなら、雪王の国と悪性の強い魔種族が密集する地域を隔てる岩壁・【境壁】が寿命を迎え、崩れ始めたことが発端である。
それは三か月前の事。クォルテナが境壁の罅割れに気づいたのは、黒く小さな小動物がそこかしこに現れた時であった。
それは悪性の強い魔種族であり、極寒の国へ侵入し平然と生きていける魔種族は少なく、ひと目で思念体関連だと判明出来た。
雪王の国の野獣達が発する魔気は浄化作用が高く、いくら悪性が強い魔種族の思念体であれ、この国では野獣達との相性が頗る悪い。
現状、このまま放っておいても問題は無いのだが、境壁が完全に崩れれば国内の野獣では制限しきれない程の思念体が湧いて出る。
雪降りの呪いのせいで他国に行けないクォルテナが救いを求めた人物がアウンバルだ。
アウンバルは七王の中で一番放浪癖が強く、側近の秘書を連れてどこかへ行くことが多い王だ。そんな者が王として成り立っているのは、闇王を支持する配下が城を護っているからである。
そんなアウンバルが雪王の国に出現した思念体数体を目撃し、彼女に事情を求めに向かった。
境壁の事を訊いたアウンバルは、旅の途中で手に入れた【異界術】と呼ばれる、特殊な物体を出現させる術を試してみることにした。
過去の歴史では、雪王の国に出現した人物が、ある特殊な技を使って巨大な境壁を出現させた伝説がある。異界術により全く別の境壁を出現させても問題ない。そんな楽観的な解釈でその試みは実行された。
可能性でしかなかったこの方法は、結果としてやや成功。という曖昧な結末を迎えた。
術を実行後、八本の光柱が出現して境壁へ衝突した。その衝撃により境壁は見事に破壊された。
事態に焦りの色を見せた二人であったが、境壁跡に巨大な円陣が出現し、曇天貫くほど天高く聳える光の柱を出現させた。
この術がどういったものかは今だ不明だが、膨大な魔気を蓄えている事でちょっとやそっとでは消えないと思われる。
アウンバルはそれを調べるために自国へ戻り、テンセイシャの存在についての記述を見つけ、あの光柱はその出現に関連するものであると判明した。しかしひと月待てど、ふた月待てど、それらしい存在が現れなかった。
ちょうど雪降りの呪いが弱まった時期であり、心配で仕方ないクォルテナはエヴェリナに相談した。
その数日後、マヤが現れた。
「という事で、テンセイシャの人数としては光柱の数八本と関連して八名だと思われるの」
まさか、アウンバルとクォルテナがこの事態を招いたとされる事にゼグレスは呆れて何も言えなかった。
その様子を見て、次に何かしらの説教をされるのではと感じたクォルテナは先手を打った。
「でも怒らないでね。境壁が破壊されてはどうしようもないし、どう対処していいか分からなかったし、ほら、私の呪いのせいで――」
ゼグレスは手を前に出して『結構です』と言って黙らせた。
「闇王然り貴女然り、軽々によく知りもしない術を使用するものではありませんよ」
「だってぇ……」
これ以上クォルテナを責めた所で何も解決せず、実際、雪王の国の境壁がどういう経緯で存在したかは定かでないため、いざ自分が同じ立場に立たされれば似たようなことをしたのではとゼグレスは思い、咳払い一つで話に区切りを付けた。
「とにかく、その光柱のおかげで悪質な思念体がこちらに来れない事、始めに出現した光柱の本数がテンセイシャの数という事。考えうる可能性としては、境壁の代わりとなっている光柱の封印となる存在、それがテンセイシャという可能性が出てきました」
「それはテンセイシャが消えると、境壁の効果が弱まるって事?」
「辻褄は合うのではないでしょうか? 光の柱と関係する八人のテンセイシャ。その存在は人間であるのに魔気が高い思念体。これ程未知の現象が立て続けに起きればそれぐらいの可能性のほうが寧ろ自然です」
『あら』と言ってエヴェリナが口を挟んだ。
「大変。マヤちゃんを浄化させれば境壁が弱まるって事よねぇ。だったらテンセイシャをどうこうするより、まず代わる境壁の事を考えないと」
結局、問題はある意味でふりだしに戻った。
「ちなみに雪王、境壁の材質のような物は何ですか?」
「それは……浄化作用の強い岩壁よ。どうやって昔の雪王が造ったか」一応、自分の事だが記憶は当然無い。「今回のように何かの力を借りたかは分からないけど、まあ、えらく仰々しい程に分厚い壁が出来た方法は何も記されていないわ」
その口ぶりから、境壁はそれ程大きくなくて良いと思われた。
浄化作用。
壁。
暴風を頻繁に受ける場所でも耐えれる壁。
色んな事が反芻するゼグレスの頭の中で、ある人物の姿が浮かび、途端に可能か不明だが解決の糸口が浮かんだ。
「闇王の事を言えないですが、私もどうにか出来る可能性が一つあります。すぐには出来ず、少々、交渉が必要となりますが……」
その方法を聞いたクォルテナは不安がったが、しかし現状、それぐらいしか対処方法が浮かばず、一か八か試してみる事にした。
二人の話を中断するかのようにエヴェリナが手を叩いた。
「二王様方、とにもかくにも、まずマヤちゃんをどうにかしないといけないでしょ」
これにクォルテナが答えた。
「おや? どうにかって、境壁が完成してからでないと光柱が消えちゃうじゃない」
「まあ、そうかもしれないけど、どういう訳かマヤちゃんの生気の減りが激しいのよねぇ」
エヴェリナは職業病のように、相手をあらゆる視点で見る癖がついている。それは角度ではなく、気功や魔気など見るものを変える意味合いである。
マヤの減りが激しい生気、薄緑色の命の気功をエヴェリナは見た。これは七王の誰も見れず、気功術を極めた人間にも見れない。特異な混血児であるエヴェリナの特権である。
「つまりどういう事ですか?」ゼグレスが訊いた。
「よくわからないけど、もしかしたらテンセイシャはそれ程長くこの世界に留まれないのかもしれないし、人間なのに魔気が以上に蓄えられている事が原因かもしれない。あたしから見える生気は、もしかしたらなくなると何か起きるのかもしれないけど、それを確かめたいが為にマヤちゃんを危険に晒したくないわね。出来るだけ早く、出来れば今日中に浄化の術を試してみたい。そっちの方がもしかしたらいい方向に進むとは思うし」
浄化の術。それは思念体や黒煙体に劇的な効果を示し、滅する方法である。しかしそれを行うという事は、マヤがこの世界から“浄化”という形で消えることを意味している。
話の展開を察したマヤは、大きく鼻で呼吸した。
「私、エヴェリナさんの浄化の術を受けます」
その決意に、クォルテナは意思確認をしようとしたが、彼女を思うあまりすぐには出来なかった、その間をゼグレスが埋めた。
「宜しいのですか?」
「はい。話ではこのまま私がいてもなんか死んじゃうみたいだし、生気が無くなってから何かが起きるのを待ってて、もし取り返しのつかない事が起きた方が私も嫌だし……。一度死んだ身だし……」
どこか寂しそうな雰囲気が現れた。
また、エヴェリナが手を叩いて雰囲気を一変させた。
「なんか暗いから、早く浄化の術をやるわよ。それに物事は前向きに考えなきゃ。マヤちゃんのテンセイシャの話だと、最後は元の世界で生きていけるって話しでしょ? だったら浄化して戻れるかもしれないじゃない」
「まあ、確かに考えられますね」
ゼグレスが納得すると、クォルテナも安心して言った。
「そうよ。何かを成して元に戻れるっていうなら、何も大義を成す必要は無いわ。だってそれ程困窮した場面とか無いでしょ?」
「ええ。アンドルセル王の御子息が思念体と思しきモノに憑かれたぐらいで、それ以外の問題事はその国々が解決すべきものであって、特殊な力は必要ありませんからね」
「じゃあ、テンセイシャを還す方法を見つけて、無事解決。って言う事も大義よ。良い方に捉えましょ」
ちょっとばかり強引だが、マヤの気を紛らわし、安心させるための言葉であると、誰しもが気づいていた。
浄化の術はいたって単純である。
白療石を並べて円を描き、その中に浄化したいモノを入れて術者が出来る浄化の方法を行うだけである。
呪文を唱える。
詠唱を唱え続ける。
力を注ぐ。
いろんな方法があり、エヴェリナは短文の秘文詠唱で行う。
白療石の円内にマヤを立たせ、エヴェリナが浄化の術を執り行うと、薄い白色の光が円内から発せられ、光の柱を立てマヤを包んだ。
「マヤ、痛かったらすぐ止めるから言ってね」
クォルテナはマヤが傷つく事を嫌って心配した。しかし状況がその心配を杞憂なものとした。
マヤの身体のあちこちが小さく弾けて輪郭が滲んで溶け出るように、はたまた煙のように、マヤの身体は消え始めた。
「いえ、なんか、溶け出ているところが、凄く温かくって、なんだろ? 安らいでるみたい……な」
どうやら痛みはないらしい。
安心の最中、それは即ちマヤとの別れが近い事を意味していた。
「マヤさん、これで最後ですので言わせて頂きます」
マヤはゼグレスの方を向いた。
「先ほどは感情的になってしまい、暴力を振るってしまった事をお詫びいたします」頭を下げた。
「や、やめて下さい。私こそ、正しい事を教えて下さってありがとうございました」続けてクォルテナの方を向いた。「雪王様、いきなり現れた私を良くしてくださって有難うございました。短い間でしたけど、いいお婆ちゃんが出来たみたいで嬉しかったです」
クォルテナは微笑んで返した。
続いてエヴェリナの方を向いた。
「エヴェリナさんも、本当にご迷惑をお掛けしました」
「ああ、いいのいいの。こういった不思議な事って中々巡り合わないし、結構楽しかったんだから」
手を振ると、マヤは安堵した。同時に、体中の殆どの輪郭が溶けていた。
最後に三人に向かって『ありがとうございました』と言って深くお辞儀すると、マヤの姿は完全に消えた。
後には彼女が居た証明のように、足跡の黒い染みが残った。
余韻のように、光が上空へ、まるで煙のように昇って消えた。
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