人間には追いつけない程の速度で湖へ辿り着いたドルグァーマは、その場の光景に愕然とした。
湖だけ影が浸食していないが、周辺は影が密集していた。
「なぜだ! 情報以上に影が出現して……」
異常事態に継ぐ異常事態。まるで理解は出来ないが、さらに状況は悪化している事は判明出来る。
後ろから寄って来た影がドルグァーマ目掛けて殴り掛かってきた。痛みはそれ程でもないが触れることができる事に加え攻撃までする。
驚きながらも間合いを取ると、影は口と思しき切り口が出来、それが笑みを浮かべたように広がった。その切り口の色は影の向こう側の光景である。
「なんだ貴様ら! このワシを魔王ドルグァーマと知っての狼藉か!!」
気迫すら影達には意味がなく、更に影達は近場の影と融合しだした。そして一つの形になった影は濃い黒い塊となり、更に目と口は真っ白く姿を表した。
余計な事を考えてられない事態に、ドルグァーマは戦闘の姿勢で構えた。
突如、近くの木へ勢いよく何かがぶつかった。衝突音と木々の葉のざわめきにより、どれ程の威力かは把握できた。
「フィナを返せぇっ!!」
気功を全身に纏い放出しているマルクスが前方の影達に向かって叫んだ。
気功術を使用している事で衝突の威力が薄れ、すぐに臨戦態勢を取れているが相手が強いのか、マルクスは苦戦していた。
なによりマルクスの叫んだ先、そこにフィナがいると推測したドルグァーマは、魔気を発生させて駆けた。その勢いが突風を吹かせた事でマルクスは何事かと驚きつつも、何かがフィナのいる所へ向かったのを確認したことで、娘がさらに危機的状況に陥ったと思い込んだ。
「――フィナに……」呼吸を整えた。「手を出すなぁぁ!!」
ありったけの気功を発生させ、前方の影に立ち向かった。
フィナのいると思われる場所は、洞窟がある所であった。
影達も洞窟の方を向いている為、ドルグァーマは即座に中に居ると判断した途端、中から叫び声が響いた。
「わああああぁぁぁ!! あああああああ――!!」
その叫びがドルグァーマの逆鱗に触れた。
「許さん! 待っとれフィナァァ!!」
更なる勢いで洞窟内へ駆け入ったドルグァーマは、暫く進んで広い空洞へ出た。
そこには地面を覆い尽くさんばかりの影達が密集しており、光源は影達の目と口の白みであった。その中心にフィナは宙に浮いていた。気を失っておらず、周囲の光景に恐怖し、泣き叫んでいた。
「なんと悍ましいものを……――!!」
まだ幼い赤子にこの光景を見せつけ、親から離し、何をしたいか分からないが宙に掲げて崇めている有り様が、行いが、ドルグァーマの怒りを頂点まで引き上げ、いや、上限をぶち抜くほどまで高め続けた。
「フィナから離れろぉぉ!!!!」
王力を放出し、密集する影の中へ飛び込んだ。
まるで砲弾でも落ちたかの如く地面を抉ったドルグァーマの突進に続き、右腕で前方を薙ぎ払うと、王力の波が勢いよく広がり影達を消し飛ばした。
周囲の影の大半が消し飛ぶと、ドルグァーマは魔気を用いた光の玉を出現させて両手で握り潰し、周囲にばらまくように両腕を広げて飛ばした。すると、光の粒が洞穴の壁へ飛び散り付着すると、まるで星々煌めく夜空のような光景が出来上がった。
続いてフィナの元へ向かうと、怖がり泣きじゃくる彼女に両手を差し出した。
「やぁ、いやあぁ!」
恐怖がそのまま続いているフィナは、助けに来たドルグァーマにも恐怖していた。まだドーマ爺さんの姿でない分、誰か分からず恐怖が上塗りされている。その様子に胸を苦しめたドルグァーマは、指先に淡い緑色の光を灯しフィナの胸元まで近づけると、その光を強めた。
心地よい光がフィナの恐怖を弱め、しゃっくりし、涙と鼻水を垂らす彼女を見惚れさせた。
「怖いのは終わりだフィナ。これは夢、目覚めれば父母が迎えてくれよう」
声に反応し、フィナが見上げた先には、穏やかな笑みを浮かべたドルグァーマの姿があった。
「あう?」
何が何だか分からなくなったのか、フィナはそっぽを向き、また光に視線を向けると、次第にうつらうつらと睡魔が押し寄せ、やがて目を閉じて寝転がった。
ドルグァーマは上着を脱いで彼女を包み、両手から今度は黄色い光球を出現させてフィナを包んだ。
「ゆるりと休め。すぐに事を終わらせる」
立ちあがり振り返ると、影達はさらに密集し、明確な人型へ姿を変え、真っ白な目には瞳が宿ったように黒い点が存在した。
「珍妙な奴らよ。むやみやたらと見境なく他者へ危害を働く無礼。捨ておくわけにはゆかんぞ」
ドルグァーマは自身を中心に、地面に沿って紫と金色の光の輪を広げた。
【王の強制順守領域】
王力を纏う者のみが使用できる秘儀。自らの力量により範囲は様々だが、広げたその範囲内で反発不可能なある法則を一つ設けることが出来る。それは王力の所有者の性格に大きく関わる命令。
規律に厳しいドルグァーマのアルガでは、彼が決めた一つの規律を範囲内の者は守らなければならない。
「お前達が襲えるのはワシのみだ」
これで影達は何があってもフィナを襲う事が出来ない。
両手から赤黒い炎を出現させたドルグァーマは、それぞれの手に刃渡りが肘から指先程の剣を二本出現させた。
「多勢であれ、ワシに勝てると思うなよ」
睨みと気迫が影達に向けられると、影達はさらに融合し、形を強化した。
◇◇◇◇◇
「そこをどけぇっ!!」
マルクスは洞窟前で巨大な影。いや、この頃にはマルクスの二倍は大きな黒い巨人姿に輪郭が定着している。それが洞窟の入口を塞いでいた。
武器は無く、どうにかここまで気功術でやり遂げて来たマルクスもいよいよ限界が近づきつつあった。
ドオォォン――!!
突然、洞窟内で激しい衝突音が響き、マルクスの焦りはさらに増した。事態の悪化はそれだけに止まらず、どれだけ怒り任せに気功を放出しようにも上手く扱えなる、気功切れが近くなっていた。
「くそっ。……フィナ……――?!」
手の打ちようがない程に窮地に立たされた時であった。眼前の敵が突然小刻みに震えだし、間もなくして爆発した。
まるで煙の様な残骸が宙に広がり暫く停滞すると、洞窟内へ吸い取られていった。
事態の把握がまるで出来ない中、マルクスは満身創痍のまま内部へふらつきながら向かった。
◇◇◇◇◇
まず前方の影にドルグァーマが斬りかかると、最初の二体は難なく上半身下半身を分断する事に成功した。
分断された影は上半身の手が伸ばして迫ったが、ドルグァーマは反射的にそれを斬りおとした。
胴から離された腕は煙のように散って他の影に吸収された。
「ふん。見え透いた消耗戦を要望か? 魔王の力を侮るなよ」
ドルグァーマは二刀の剣を地面に力強く同時に突き刺すと『ドオォォンーー!!』と爆発音が響くと同時に衝撃のうねりが波紋を広げ、影達の殆どが爆ぜた。
原型が散った影達が宙で残骸を漂わせ停滞すると、暫くして一つの影に吸収された。吸収される時生じた暴風が洞窟内で吹き荒び、その中心に一体の巨大で形のはっきりした黒い巨人が出来上がった。両手に剣を持って佇んでいる。
「ふん。ワシの真似か? 不慣れな武器で勝てると思うてか」
影は猛獣の唸り声に似た音を発し、目も口もにやけた様を露わにした。
いよいよ一対一。
ドルグァーマは立ち上がり様に二本の剣を引き抜くと、そのまま相手へ斬りかかった。
今度は斬りかかった攻撃が影の剣で受け止められ、即座に数歩下がり続いて斬りかかるもあえなく受け止められた。
力量を図る斬り合いを続けていると、影が増殖する展開を危惧したドルグァーマは、王力を手足に込めた。
「ちと力を使いすぎたがこれで締めだ。これを見切れれば貴様の勝ちよ」
ドルグァーマは影へ向かって突進して斬りかかった。その速度と力を、影は二刀の剣を交差させて防いだが、力が強く余韻で腕がすぐに動かず姿勢もぐらついた。
その隙にドルグァーマは相手の右隣後方へ回り足を斬りつけ、続いて背を斬り、相手が上体を動かすと、それより早く死角へ回って斬りつける。
次第にその動作が速くなると、相手の動作に関係なく動いて斬る戦術で翻弄した。
血の通う生物ならとうの昔に絶命しているが、相手は頑丈な身体に形成された影の化物。ドルグァーマは容赦なくその行動を続けると、やがて傷が修復されずにそこら中から煙が滲み溢れ、あちこちから弾けだした。
その弾ける現象が起きるたびに影が震えて膝をつき、やがて足、手、腕、肩、胴と爆発していった。
「なんだ? 呆気ないものだな」
二本の剣を消失させると、影本体は見事に爆ぜて消えた。
戦闘を終えフィナの所へ戻り、気持ちよく寝息を立てている彼女を抱き上げると、空洞の入口から叫び声が響いた。
「――フィナ!」
驚きざまに振り向くと、壁に凭れ、息を切らせ膝を付くマルクスの姿を捉えた。
(――まずい! 顔が!)
薄暗い洞窟が幸いし、顔を俯いたまま後退り、マルクスに素性が判明しなかった。
「……フィ、ナ……」
どうあれ、マルクスは気功を使い果たして視界が朦朧としていて相手が誰か分かっていない。ただ、フィナが危険な目に遭っている。その一心で向き合っていた。
「お主……――!!」
マルクスはとうとう気を失い倒れた。
「おいマルクス!」
ドルグァーマが駆け寄り脈を測った。無事を確認するも、今度は背に手を乗せ気功の残量を調べ驚いた。
「馬鹿者! まるで気功がないではないか! もっと計画的に力を使わんか!」
言いつつも相手には聞えておらず、溜息を吐いてこの後どうするかを座って考えた。
丁度、光源として散りばめた光球が星空の様な心地よさを与え、考察するのに最適な空間が出来ていた。
◇◇◇◇◇
仄かに周囲が茜色に染まり始めた頃、マルクスの家では最近流行りだした女神を象った彫刻に向かって、マルクスとフィナの無事を祈る女性とその両親の姿があった。
そろそろ夕食の支度をしなければならない時間帯でありながらも、二人が心配で何も手につかない。
そんな折、家の入口から扉を二回叩く音が聞こえた。
静まり返った家の中にその音が響いた時、三人はもしやと思い、急いで入口へ向かった。
不安と緊張の中マルクスの妻は、「どなた様でしょうか?」と尋ねた。しかし返事は無く、続いて扉を叩かれもしなかった。
悪戯? と、三人が思いつつも扉を開け外を見ると、そこには仰向けに横たわり寝静まったマルクスと、その傍らに紳士用の上着で包まれて寝ているフィナの姿があった。
「あなた! フィナ!!」
三人は急いで駆け寄り二人の無事を確認すると、マルクスの妻はフィナを包んでいる上着を見て昼間の御仁の姿が浮かんだ。
人間ではない紳士的な魔族の殿方。その程度の認識しかないが、フィナからその上着を外し、両親が二人を家に入れている中、妻は上着を両手で握りしめ、姿は何処にもないが見晴らしの良い方へ向かって頭を下げた。
「……――ありがとうございました」誰にも聞こえないであろう呟き程度の声で。
◇◇◇◇◇
影の一件を終えた三日後。
王力を使いすぎたドルグァーマは城に戻ってからというもの、ベッドで休む時間が多くなっていた。
その日の夕方、城を空けていたベレーナが戻り、ドルグァーマの容体に驚いた。
「どうなさったのですか魔王様!?」
「うーん。ちと王力を使いすぎた。かなり回復はしたが、体中が痛いのでな」
けして老いが原因ではない。
フィナの為に王力を使用し続けて駆けまわり、洞窟内で自身が用いる魔気を用いた術を使い続け、王力をかなり消費するアルガに戦闘。揚句、マルクスを宙に浮かせて家まで運ぶに至り無理が祟った。
こういった急激な消費は一晩寝れば回復するが、日頃の運動不足も重なり、筋肉痛まで併用してしまいこの顛末である。
数日前、紳士服を纏い『フィナの為に』と出かけたドルグァーマの姿を見るからに、どういった事態かを察したベレーナからため息が漏れた。
「とにかく回復優先でお願いします。そして、アンドルセル王の件も控えてますので暫くマルクス関連の用事は受け入れないで下さいませ」
「なんと! ワシから大事なものを奪うというのか!?」
大げさに言うが、ドーマ爺さんに変わり、フィナに会いたいだけである。そんなドルグァーマに、ベレーナは冷徹な表情を向けて言葉を放った。
「そう思って頂いて構いません。その様な事よりも先約に支障をきたす事態の方が重大です。それこそ【規律違反】と言っても過言ではありませんよ」
『約束を守る』まるで子供に言い聞かせるようなことだが、王族間同士ではその意味合いはあまりにも重要で守るべき鉄則になる。
苦虫を噛み潰したような渋りを表情に滲ませつつ、ドルグァーマは了承して受け入れた。
しかし二人の知らない所で、その気遣いすら無下にする事態が着々と進行していたのである。
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