魔王ドルグァーマがマルクスの娘、フィナへの愛情が芽生えた三日後の事。
ヴィヴィからオーリオ王子に関する報告を【煉王】に報せるため、ベレーナは煉王の城へ赴いた。
七王の報告書は本来、早急に知らせなければならず、規則に厳しい魔王の下にいるベレーナはいつもなら、ここまで遅くはならなかった。
こうなった経緯は煉王の職務の影響が一番である。
面会予約が中々取れず、内容が内容だけに面と向かって報告せねばならないとの判断でここまで遅くなった。
煉王には魔王・竜王・獣王のような秘書がおらず、弟子や子分といった者達に身の回りの雑務を任せている。しかし、秘書会合にも参加せず、繋がりの乏しい部下達に重要書類の内容を報告するのは気が引けてしまい、”自分で報告する”という流れとなった。
煉王の国は、悪性の強い魔種族たちの土地に隣接した国であり、その魔種族が七王の境界や、人間の国に危険な魔種族を通さないための関所の役割も担っている。
他の国にもこのような危険な魔種族が通れそうな所は存在するが、この国ほど密接に関わっている国は無い。
尚、魔王の国と獣王の国は、危険な地域とは接していない。
ベレーナは案内人について行き、『ミーティング室』と書かれた謁見の部屋へと案内された。
部屋の内装は向かいに大きな硝子窓があり、岩山独特の臨場感と恐怖と迫力のある、険しく圧巻の岩壁光景が広がる。
外の景観に反し、部屋は黄色い壁に石板を並べた床。壁には等身大鏡が三つ並び、長椅子に衣服をしまう縦長の棚が五つ並び、観葉植物が窓際の隅に一つづつ置かれている。
窓際と反対の壁の上部には、恐らく歴代の煉王と思しき人物の、どことなく格好を付けているような写真が並んでいた。
なにやら着替え室のようにも思えるが女性の着替え室ではなく、男性の着替え室と印象を受ける。
男性更衣室とはこのようなものかとも思いつつ、(ここは謁見の間であるはず……)と、疑問を同時に抱いた。
暫く外の風景を眺めていると部屋の外から大きな声で、恐らく弟子か案内人と話をしている声が聞こえた。
振り返ると部屋の戸が開き、肉体の形が浮き彫りとなる半袖下着姿に半ズボン姿の、筋肉質な体躯の男性が入って来た。その筋肉の盛り上がりが、衣装にゆとりを持たせなかった。
なぜか、微かに熱気が伝わる。
「御初に御目ににかかります煉王様。魔王ドルグァーマ=マルガの秘書をしております。ベレーナと申します」
丁寧にお辞儀をすると、煉王・バルファド=ガルマは豪快に笑った。
「あははは。確かに魔王殿の秘書だ。きちんとしている」煉王は付き添いの方を向いた。「おい、お前等も粗相のない様に振る舞っただろうな」
付き添いの者も筋肉質で、両手を後ろに回し、頭を下げ、「うっす」と挨拶した。
「ええい、まあいい。これから大事なミーティングだ。お前達は外で見張っていろ」
再び「うっす」と返事され、付き添いの者は外へ出て行った。
「待たせたな。……えーっと……ベレーナちゃんでいいな」
まさかのちゃん付けに一瞬戸惑うも、立場上それを受け入れるしかなく、了承した。
「そこに座ってくれ」と、煉王が指した席にベレーナが腰掛けると、煉王は向かいの長椅子に腰掛けた。
「要件は確か、人間の王子にやばいもんが憑いたんで、成敗するのに手伝えって事だろ?」
後半は解釈が間違っており、ベレーナは資料を渡しがてら訂正した。
「いえ、獣王様側で調べた結果、憑きモノと本格的に手を打つのは二か月後でして、それまでは手出し無用でとのご報告と、二カ月後、出来れば討伐に参加して頂ければとの事です。強制ではありませんので悪しからず。と」
資料をざっと見た煉王は封筒に資料を戻した。
「わざわざ来てもらって申し訳ないんだが、俺様は不参加とさせてもらうぜ」
「……失礼を承知の上ですが、一応、理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
「はっ。礼儀の行き届いた秘書さんだ。みっちり躾けられてるな」
「いえ。不参加理由を聞く事は、あらゆる場面に置いて当然の規則であります。魔王様の教えに御座いますので、礼儀とは……」
「ルールもマナーも、俺様から言わせれば一緒だ。相手を気遣う点、もてなす点、粗相のない点。誰かと向き合うのに重要な心遣い。『ビート』の問題だ」
握り拳に親指を立て、胸に指先を当て、決め顔を向けて来た。
煉王の使う言葉は理解に難しく、ベレーナは時々、目が点になる程の置いてけぼりを食らう場面に遭遇し続けた。
『ビート』恐らく前後の会話の内容と動作から、心か、もしくは心臓を指す言葉なのだと理解した。
『ルール』、『マナー』恐らく、規則と礼儀を指していると、話の流れから納得した。
「ベレーナちゃんは、この国の事をどれくらい知っている?」
煉王は立ち上がり、窓際まで歩み寄った。
「危険思想の高い魔種族と一番密接に関わる国という位で。それ程詳しくは……」
「本来、この国は灼熱の国と謳われ、そこら中の火山が噴火したりマグマ洞窟がそこら中にあり、燃え盛ってるイメージだった。この国の王は、そんな煉獄の王として、煉王の名を受け継ぐ仕来りだ。もっと言うなら、煉族っていう魔人と獣人を混ぜて毛並みが真っ赤な連中が王になるはずだったんだぜ」
「煉王様も真っ赤な毛並みをしていらっしゃるのでは?」
「ああ、こいつぁ突然変異だ。なんかの化けもんを退治した時か忘れたが、そん時の血が毛について取れんままよ。元は魔人族で、こんな立場じゃなけりゃドルグの兄貴の部下だ」
兄貴。なぜかこの言葉が気にかかった。
「では、煉王様は魔人と……。ですが何処にも角が……」
「ああ、俺様の角は頭の形に流れる伸び方をしてるから、髪に馴染んで見えないが、ほれこの通り」
オールバックの髪をかき分け、年数を嵩ねているとばかりに黄ばんだ色合いの白い角が姿を現した。
「失礼を承知でお伺いしたいのですが、どうして煉王様は魔人族でありながら、煉王としての立場についたのですか?」
返答はあっさり返ってきた。
「魔人族が煉王の座についたのは俺様が初めてじゃないぜ。こうなったのは俺様の爺様の代からだ」
「どのような経緯で?」
「爺様の代の煉族は種族が増えない事で悩んでいた。そんで、俺様の爺様が連中に一喝したんだ。『どうにもできん事で悩むより、今いる連中でどうできるかを考えれよ』ってな。この話を俺様が親父から聞いたのは二十代後半の時、丁度爺様がその名言で心響かせた年代と同じでな」
正直、どこかの誰かが当たり前のように言える言葉が、どう心が響くのか?
聞きたい思いを胸に閉じ込め、ベレーナはとりあえず黙って聞いた。
バルファドの話は続く。
「ちょっと爺様話が続くけどな。俺様の爺様はいろんな名言や快挙を成し遂げた御仁なんだぜ」
「快挙……ですか」
「ああ。名言の数々は、書き記した本が出回ってるから後で渡すとして、一番の有名快挙は、夏の浜辺でやりやがったんだ」
「浜辺……?」
「ああ、その年はこの国でも驚くほど波が荒れてな、サーファーの爺様は危険を承知でその波に挑んだ。恐ろしく高い波が迫ってきて、果敢に挑んだ爺様は、そこで神技【オールオーバー・ザ・ワールド】を会得した」
もう、ついて行けないが、とりあえずベレーナは技名の意味を訊いた。
「波を越え、一回転宙返りジャンプ後に態勢を半回転し、後ろ向きに着水後、後ろ向きに滑りながら前方に向いて滑る大技だ。そこでも爺様は明言を残した。『難所はてめぇの力で越えてみろ。男児に生まれた奴ぁ、一生の内で一つでも大義を成してみろや』その日、爺様は【ヒャッハー煉】って通り名がついた。ヒャッハーは、ビート震わす爺様の癖で叫びな。煉ってのは、魔人族でありながらも、種族の垣根を取り払う意味で、煉族の煉を付けたのさ」
もう、ベレーナは虚しくなるような表情で聞いていたが、やはり煉王との熱量差が激しかった。
煉王は両膝に両腕を乗せ俯き、ベレーナの表情を見ていなかった。
「正直痺れた。あの壁の額を見て判ると思うが、髪いじってアクセサリーで着飾って、色気づいて格好ばかり気にしてる自分を恥たぜ」
どうやら遮光眼鏡(サングラス)をかけず、写真に向かって格好をつけている時代の事を指摘しているのだろう。
しかし遮光眼鏡を掛け、撮影者に向かって握り拳を向けたり、親指を立てている姿だったり、それ等の違いをベレーナは大して理解できなかった。
というより、もう写真すら見ていない。
「男は外見じゃなく中身だ。親父が言っても大して理解できなかったが、要は『行動で我がの個性を示して周りを魅了してみろ』そう言う事だって分かった時、俺様の中で何かが弾けた。どこぞで女遊びに励んで果てて死んだ親父ではなく、俺様の敬愛すべき存在は爺様だ。俺様は煉王として、この国の連中が俺様に魅了される国を造り上げるぜ」
真剣な眼差しがベレーナに向けられ、咄嗟にベレーナは真剣な表情に切り替えた。
「ところで、御爺様はどのようにして亡くなられたのですか?」
「さあ、遠くへ旅立って風の便りで亡くなったと聞いた。原因は不明だ。生きてるとも思ったが、魔種族の平均年齢から考えても、もう死んでるのは当然。爺様は、俺らに大事なモノを残し、旅立った。そう、天へ旅立ったのさ」
上手く締めくくったつもりなのだろうが、ベレーナには大してなにも響かず、胸の中に虚しい感情が広がった。
「ところでベレーナちゃん。まだ時間あるかい?」
「え、ええ。まあ」
「じゃあせっかく俺様の国に来たんだ。化物狩りってのをやってみないか?」
この国は巨大な知性の無い化物に襲われやすく、それをこの国の者達が退治し、化物の死体で武器や防具、装飾品や宝飾品、肉を製品として売ったりしている。
つまり、化物討伐は国益に貢献する作業である。
これが鬱憤解消にはもってこいで、力ある者は、自分の力量に合った化物と対峙する時にその成果をいかんなく発揮している。
ベレーナは女性用更衣室で着替えを済ませ、煉王に指示された場所へ到着すると、そこから見晴らしの良い崖に案内された。
「おい、お前等! ベレーナちゃんに素手で戦えっていうのか!」
煉王が部下を怒鳴ると、部下達は急いでベレーナの元へ駆け寄り、使いやすい武器の種類を訊いて来た。
「ああ、お気遣いなく」
「しかしベレーナちゃん。武器無しじゃ危険だぜ。もしもの時、ドルマの兄貴に申し訳がたたねぇ」
ベレーナは崖下で暴れ回る巨大化物を確認した。
「煉王様、お言葉ですが」煉王の方を向いた。「魔王の秘書が弱小者では勤まりませんよ」
そう告げると、崖から飛び降りた。
煉王も部下達も、飛び降りたベレーナの様子を伺った。
ベレーナは、全身から魔気を放出し、落下の勢いのまま一体の巨大蛇を殴り身体を分断させた。
同時に激しい暴風が周囲に吹き荒び、上空へも吹き上がった。
ベレーナは迫り来る化け物に怯むことなく、ただただ本能むき出しのまま襲ってくる群れを体術のみで挑んだ。
「……やっべぇっすよ王様。あの秘書さん、只者じゃねぇや」
次々と化物の死体が増えていく中、崖の上では関心の声が上がった。
「大した女だぜベレーナちゃん。『魔王の秘書が弱小者では勤まりません』ってか。痺れたぜ」
「お、俺、あの人の事、姉御って呼んでもいいかな」
部下の一人が言った。どういう偏見か、それだとヤクザ者と誤解されると、別の者が返した。
結果、全会一致でベレーナの事を【姐さん】と呼ぶことに決まった。
後日談となるが、その呼び名の経緯を聞いたベレーナは、姉御であれ、姐さんであれ、ヤクザ者とそうでない者の線引きに疑問を抱いた。
しかし、あそこまで肉体改造と戦闘の事を考えている国の風習では、強者への敬意を呼び名で決めるのであり、その呼び名も捉え方は様々なのだ。と、勝手にまとめる事にした。
それほど面倒な言い回しをする必要はなく、単に深く考える事を放棄しただけである。
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