男は地面にはいつくばり、まるで金縛りのような身体の硬直状態にかられながらも、体中から温かい液が滲んで溶け出すような感覚に捉われた。
(――何が起きてる!? 俺はチートで、勇者で、これから……)
頭の中で言葉を発する事さえ困難となっていた。
この男が転生後に得た、他の転生者より突出した特異技が二つあった。
一つは広範囲の地形を、正確に把握できる事。これによりどこに居て、何処にどのような魔種族が住んでいるかが分かる。
もう一つは物質具現能力。その力は強度の変化も可能で、体内に蓄えている魔気の総量により上限が設けられているが、各七王よりも潜在的な魔気量が多いためどこまでも硬くできる能力を備えていた。
強固な鎧、盾、兜、剣を出現させ、来る者全てを倒せるほどの力量を備え、転生後、近場の七王の一人、竜王の元へ向かった。
しかし竜王の国土へ足を踏み入れた途端、身体に僅かばかりの異変が生じた。それはほんの些細な躓きで、人間の世界でないのだから足を引っかけて姿を消す蔓生物か、知恵のある石の魔物の仕業程度に思っていた。
やがて歩くたびに身体が重くなるのを感じ、竜王国の城下町と思しき場所が見える平地で仰向けに倒れ、今に至る。
(……なんと……神々しい……)
身体中が安らいだ温かさに包まれる中、男が消える間際に視界に捉えた竜王の城、街の風景がなぜか光り輝く。
神話に登場する夕陽を浴びた煌びやかな風景さながらの世界を目の当たりにした。
最後に『本当に竜王の国か……』と、疑問を抱きつつ男は消えた。
後には人が寝そべったような黒いシミの跡が残っていた。
◇◇◇◇◇
「どういう事でしょうか。ここ数日の間に四件もの人型のシミの跡。いくら調べても魔気が感じられず、どれほど時間を置いても何の変化も起きない。特質性も感じられないのに、どうしてこれほど、我が国近辺であのような影が……」
ゲレーテはストライに相談した。傍にはガンダルもいる。
その日は丁度、ゼグレスがクォルテナ、マヤ、エヴェリナと会っていた時である。
「さっぱりだ。メフィーネ様への信仰不足の表れだろうか」
「いえ先生、本来信仰される対象が信仰要求などしないと思われます。あの玄関の装飾はとうに改善した為、良からぬ気に浸食されたとも思えないが、とはいえ、シミのある場所が街外れの平地ばかり。風水は関係していないとも思われます」
「そうですね。なにやら不吉な事が起こる前触れにも思われます」
ゲレーテの呟きに、ストライは意見を求めた。
「あ、いえ、大したことではないです。私が幼い頃見た【闇黑伝説】なのですが」
所謂都市伝説のような、真偽の確かめようのない奇妙な言い伝えの事である。
「【八影の呪い】というのが御座いまして、何か大事な事を怠ったり、罰当たりな行いをしたり、育ててはならない物、何かの進行を阻害する蛮行など。大雑把にいえば悪行ですが、まあ良かれと思ってした些細な粗相も含めてです。それ等を行った者の傍に、十四日かけて八体の影が出現します。その形は一応、様々だと聞いてましたが、それ等が全て揃い十四日になると、呪われた者の大切なモノ。それは物体であり、信念であり、意志であり、人望であり、を失うというものです」
ゲレーテは説明を終え二人を見ると、何やら神妙な表情を二人は表していた。
「竜王様、ガンダル、どうしたので?」
質問に返答は無かったが、ガンダルが「用事を思い出したので失礼します」と言って部屋を出て行った。
どう見ても違和感しか残らない態度に、ゲレーテは不思議がるも、次いでストライが指を折り曲げて何かを数えると、深刻な事態を想定したとばかりに険しい表情で命令を下した。
「三日ほど私は祈りの部屋に籠る。食事は扉の前に置き、扉を叩いて合図しろ。そしてこの三日間、誰一人として入室を許さぬ」
ゲレーテが理由を訊くも、言えない事情だ。と、ストライも部屋を後にした。
「国の公務、用事などはお前に任せる」
最後にそう命令して部屋を出た。
祈りの部屋へ入室早々、ストライは焦りを露わにメフィーネ像の元へ足早に向かった。
(まずい! メフィーネ様への信仰者を増やそうとした事が仇となってしまった!)
ストライは自身が変装してビルグレイン王国でメフィーネ信者を増やしている事を嘆いていた。
(無償で増やしていたが、身分を偽り、人の国の修験者共へ嘘をついて利用した)
親指の爪を噛んだ。
(冷静に状況を思い返せば偽りだらけではないか! 真っ当な手段でないばかりに、いよいよ闇黑伝説さえも私の信仰を止めに来たか)
ストライは自らの一番大事なもの、それは何を隠そうメフィーネ様でしかない。
その存在を失う。
この信仰心を失う。
信者たちを失う。
まだまだ出て来るが、とにかく女神に関する諸々の事柄を失う事に酷く焦った。
女神像の前で両膝をついて座り、両手を合わせて握った。
「メフィーネ様。私は今から【三が日祈祷】を致します。それでお許しくださいませ」
三が日祈祷とは、三日間、食事と睡眠と排泄以外の時間をすべて聖書を読み、祈りを捧げる時間に当てる修行である。
もう、だれもストライを止める事は出来なかった。
(いいかいガンダル、よく覚えておくんだよ。【アガラブドの木】は成長速度が恐ろしく早いため、周りの養分を急激に吸い取る。それで良い気を吸うとも言われてるの。けどね、アガラブドの木を用いた素材の置き物は良い気を寄せるとされ、邪気の貯まる場所に置けば邪気を吸ってくれるとも言われてます)
その祖母の教えを飛躍し、竜王国近辺に小さく存在する湿地帯を埋めようと、アガラブドの木を植えたことを思い出した。
これによって陰気な場所が埋められると考えられた為である。
(やられた。陰の気を埋めるのに他の植物を使えんからアガラブドの木を用いたのが災いだったか)
この沼地には中々植物が育たず、生命力が特質した物を植えなければならないという判断からこの木を植えた。ガンダルの計画では程よく大樹になった所で伐採し、加工しようと考えた。
ガンダルは数名の竜族に念話を繋ぎ、アガラブドの木の場所へ呼んだ。
十数分後。
「で、ガンダルさん、こんだけ大きくなった大樹をどうするんですか……」
集まったのは五名。その者達を他所にガンダルは準備運動に励んだ。
「予想外だった。さすが湿地帯であるため十分すぎる水分がこの木を急速に成長させてしまった」
「けっど」大柄の竜族が見上げた。「こいつ倒すのは結構骨だぞ。俺、そんな力強くないから当てにしないでよ」
「構わん。これは俺が生んだ罪の象徴だ」
五名は、ガンダルは一体何を言っているか分からなかった。
「二時間以内で倒す。その後の処理はお前達に任せる」
小柄な竜族が訊いた。
「けど、根っこはどうするんでぇ? こいつぁ、根があればどんどん成長しやすよ」
「無論、それは煉王様直伝の荒業で焼いて滅する。技の修行にもなるだろう」
五名は思った。ガンダルは一体何と戦っているのだろうかと。
そんな思いを他所に、ガンダルは魔気を放出し、アガラブドの木目掛けて突進した。
最初の突進で大樹が揺れ、それを皮切りに何度も何度も強力な殴りつけを見舞った。
一人熱量を上げて伐採に励んでいる中、五名は近くに座りやすそうな物を見つけ、ガンダルが大樹を倒すまで世間話に興じながら待った。
――一時間二十分後――
予定よりも早く大樹に亀裂が入り、倒れ始めた。
「倒れるぞぉぉぉ!!!!」
ガンダルの怒声以前に倒れる事に気づいた五名は、ようやく立ちあがって上体を逸らせたり左右に倒す成りして体操をした。
休むことなく伐採に励んでいたガンダルは、激しい息切れを治め、呼吸を整え、更に魔気を放出した。
「煉王・バルファド様が直伝の秘儀!」
ガンダルの放出した魔気が、まるで炎のように性質を変えた。そして大樹があった時ほどの高さまで跳躍し、落下の最中炎を右手に集中させた。
「カオスティックインフェルノォォ!!」
まるで意味は分からないが、『カッコいいから』を理由にバルファドが命名した。
叫んで使用したその技は、アガラブドの木の切り株を抉るように炎が突き進み、根の隅々まで炎が行き渡ると、地面を突き破って炎の柱が放出された。
その圧巻の光景に五名の竜族は見惚れ、暫しガンダルの安否を気にしなかった。
そんな思いに関係なく、炎の中からヨロヨロと現れたガンダルは、暫く歩いて倒れた。
「ガンダルさん!」
五名が駆け寄ると、『俺の罪は……消えた』と、意味深な言葉を残してガンダルは気を失った。
師弟共、熱心に自身達が思う災難沈静化に励んだものの、オーリオ王子の一件後にテンセイシャの話を聞き、二人とも、周囲に気づかれず心が折れそうな負担を背負った事は、誰も知らない話である。
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