その日、ゼグレスの元に謎の影が出現した報告が届いた。
その報せはこれから始まる災難の一端である。
しかしそのような事とは関係なく、ストライは前日から準備していた光景をガンダルとゲレーテに見せようと胸躍らせていた。
「先生、そんなに焦らさずに教えて下さいよ。一体何を見せてくれるのですか?」
ガンダルもゲレーテも二日前から城への入城を禁止されていた。この二日の間にストライは準備に取りかかっていたのである。
「ふん。もう暫しの辛抱だ。興奮を抑え、耐え抜く忍耐力を鍛えるのも修行の一環だぞ。ゲレーテを見てみろ、今この時でさえ何も訊かず淡々と歩いているぞ」
気持ちが高揚する二人に反し、ゲレーテはきっと面倒事が起こる不安だけが気持ちを支配しており、願わくばその不安すら杞憂であってほしいと願っていた。
「確かに」
感心するガンダルは、ゲレーテの心労を理解出来ないだろう。
「申し訳ございません先生。不肖このガンダル、修行不足で御座いました」
「よい。私もお前ほどの年齢の時は抑えきれぬ高揚に勝てぬ日々を過ごしたものだ」
もう、こんなくだらない師弟漫談を辞めてほしいと、ゲレーテは無言ながら抱いている。
そうこうしている内に三名は城へ到着した。
「お前達見よ! この扉の向こうを!」勢いよく扉を開いた。
ガンダルとゲレーテは眼前の光景に絶句した。
まず目に飛び込んだのは壁かけの巨大な八角形の鏡であり、その枠はストライが信仰するメフィーネ様が両手を広げ八角形の鏡を包みこむ彫刻が施されている。
他にも羽の模様や蔓草模様など、細かい所まで言えばキリがない程に、枠全体に彫刻が施されている。
巨大な壁かけ鏡だが、その大半は彫刻枠が支配している。
更に巨大鏡だけではなく左右の壁にも小さな鏡がそれぞれ四枚ずつ並べられている。
此方は金龍が円を描いた枠で作られている。
入り口通路の両端には豪快で権威を象徴するかの如く、むき身の剣が整列して並べられている。
「どうだ驚いただろ? この入った途端にメフィーネ様を前に信仰心を擽る巨大鏡。私も少々風水の心得があってな。玄関に龍を置くといい事が起こる事ぐらい承知している。故に横に並べた八枚の鏡はメフィーネ様ではなく、敢えて龍を配置したこの謙虚さ。それでいて竜王の城らしく圧迫感を忘れないための剣の参列。どうだガンダル! ゲレーテ! 私もただ一途にメフィーネ様への祈りが頭を支配している訳ではない。それ相応の立場などを考えているのだよ」
二人は絶句したまま呆然としていた。それはストライへの敬意や尊敬ではない。そして、それぞれに思い方がまるで異なっていた。
そんな二人の心中も知らず、ストライの語りは続いた。
「おいおい、この程度の事で度肝を抜かれないでくれ。仮にもこのメフィーネ様への一番高い信仰心を抱く竜王の配下なのだぞ。もっと胸を張れ!」
声高に興奮を露わにするストライに、心配事が案の定だと証明されたゲレーテに反し、ガンダルは込み上げる猛りを抑えることが出来なくなった。
「先生、言わせて頂きます」
「なんだ? 尊敬し直したとかは恥ずかしい――」
「正気ですか?」
そう、ガンダルが言いたかったのは、風水に関するストライの知識の乏しさであった。
「なぜ入口から向かって正面にあのようなものを設けたのですか!」
「なに? お前が八角形の鏡が欲しいというから用意して設けただけだ。あの禍々しい鏡よりもこれの方が悪い気を追い払う事が出来るだろ」
「知識がないにも程がある! あれでは良い気まで跳ね返してしまう配置です」
目を見開いて驚くストライに向かって、更にガンダルは続けた。
「鏡は八角形に拘りすぎた俺の行き過ぎがあったから別に形は指摘しません。しかし、鏡の配置は玄関から入って右側か左側。両側に並べると合わせ鏡となって駄目です。そして龍は置物として、前に水を入れた杯でも入れ物でも用意し、毎日取り換えるようにすればいい。この程度の知識も知らないのですか!?」
「知るわけないだろ! 第一お前は風水馬鹿が過ぎる! 風水に肖るより先にメフィーネ様への信仰心を磨く事を優先するべきだ! その方が幸せに近づけるぞ!」
「風水を侮ってはいけませんよ先生! 物の配置は統計的なものがありますでしょうが、常日頃から居住区を綺麗に保つことで心や精神を鍛えるものになるのです! それにより良質な気は城中を巡り先生にも流れる事です!」
「ええい、余計な気遣い無用! 先にメフィーネ様を信仰する精神を磨け! なあ、ゲレーテもそう思うだろ!」
「ゲレーテ、あなたからも言ってください! 風水を侮ると、こんなむき身の刃が何かの拍子に崩れ、怪我しかねない恐ろしい城が出来上がってしまうのだぞ」
ここまで面倒事が続くと、確かにこの鏡の配置がゲレーテを不幸にしているのかもしれないと根底で思い、ため息が漏れた。しかし振られたのだから答えないわけにはいかなかった。
「……御二人にお伺いします。メフィーネ様への信仰、そしてきちっとした風水の観点から着目した物の配置。それぞれに求めるのは何ですか? お金ですか?」
「ふん。金運等を望むなどメフィーネ様への冒涜でしかない。我々が今無事で豊かな心で過ごせることこそメフィーネ様の加護あっての賜物。日々の祈り、それ即ち感謝であり心の憩いであるものだ。それが続く事こそが本懐よ!」
「風水は確かに金運を高める力がある。しかし俺のやっている事はこの城を守り、豊かな日々を過ごせるための気の浄化と流れを作り上げること。そして先ほども言ったが、綺麗さを心がける事で自身の精神を健常に保つ修行の一環だ!」
こうも双方が言葉に出してるのに気づく素振りが無い二人に向かって、ゲレーテは『正気ですか?』と言いたかったが、そんな話を切りだすと、またもや長くなると思い控えた。
「つまり、御二人の行いはこの城に関する平穏と和みの持続を望む行為です。竜王様には失礼を承知で言わせて頂きますが、私はメフィーネ様の恩恵というものを見たことがありませんので、全てを理解しろと仰いましても証明のしようがないものに、堂々と意見を言う事は出来ません。ですが、今私達が豊かに過ごせてるのはまさしく恩恵の賜物だとも言えます。それはこの竜族の国全体を見てそう思えるのでそうだと思います。方やガンダルの風水も同様に目に見えないものの証明が定義されていますが、貴方のその綺麗好きの精神は他の配下の者への模範となり、この城の清浄は隅々にまで行き届いております。訪れる来客達の心を豊かにしているのも事実です」
二人は黙って何かが心に響いた。
「私の結論ですが、この国の平穏は御二人のこだわりが齎した豊かさだと思いますので、どちらかを差別する事は出来ません。私の意見を参考に和解して頂けると光栄の極みとなります」
上手くまとめられ、先ほどの猛りが静まった二人は話し合った。
結果、今ある物を用いてガンダルが新しく入口の内装を変える事で、師弟の言い合いは治まった。
◇◇◇◇◇
同時刻――
所変わって魔王の城では、竜王の城でそんな師弟対決が起きているとは露知らず、ドルグァーマは自身の城の入口の内装に驚きを隠せないでいた。
それは、泊まり込みの所用を済ませ、帰宅したドルグァーマの眼前に飛び込んだ。
「ベレーナ、この鏡尽くしはなんだ?」
入口は、正面と左右それぞれに巨大な鏡が設けられていた。
「いえなんでも、以前ガンダルと風水についての話しになりまして。八角形の鏡。この正面の物を渡したのですが、なんでも、枠が竜王様のお気に召されず帰って来たのです」
「だろうな、ア奴は女神の信仰心が強い故、先々代が残した禍々しい彫刻は拒むのは目に見えるわ」
「まあ、捨てるのもご先祖様に失礼と思い、ガンダルめが推している風水とやらを試してみました。何でも入口に鏡を設けると良い気が流れるとかなんとか」
枠は禍々しいが、ただの鏡であることはドルグァーマが見ても何も感じないから証明されている。しかし、本当にこれで良い気が流れるかは些か不安視するところであった。
「まあ良い。所詮風水など気の持ちようから来る統計学か心理に付随する知識であろう。お前の気が済むまでやればいいが、来客や配下の者達からなにか言われれば即刻排除するのだ。先々代の遺物などさほど重宝するものでもない。捨てたくば捨てるのだぞ」
「承知しました」
ゼグレスから謎の影に関する書状が届いたのは翌日の夕方であった。
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