——— 〇 Tina
サバノ亭の奥に通されると、油や酒、タバコで汚かった内装より、綺麗な生活空間があった。
智奈たちは、大きなダイニングテーブルの周りに並ぶ椅子に腰掛けた。
「なあに、あんたもうお酒飲めるの! じゃあとびきりのお酒出してあげる。二人はとびきりのジュース出してあげようね」
曄は、キッチンスペースの棚から赤黒い酒を出して木のコップに注ぎ、能利の前に出した。
「いや、お構いなく……」
遠慮する能利の頬は、緩みを隠しきれていない。
「ああもう、せっかくできた可愛い友人に迷惑かけんじゃないわよ」
能利の前のテーブルにいるクズネが、ぽつりと呟く頃には、もう能利は酒を舐めている。
「美味しいですね、これ」
「芙炸さんの手で絞り上げた果実からできてるからね。その辺の機械よりしっかり味出てるわよ」
能利はピタリとコップの傾きを止める。
それを聞いた一同は、目を合わせ、微妙に顔を顰めた。
「いいなあ」
霧亜が、能利の前に出された飲み物を眺めた。
智奈と霧亜の前には、緑色のジュースがおかれる。これも、酸味がきいていて美味しいジュースだった。
「来年な」
顔を顰めたものの、美味さに負けたのかまた飲み出す能利が言った。
「一口」
霧亜が能利のコップに手を伸ばすと、能利は指をならした。
「あっづ!」
霧亜の手には、一瞬炎が灯る。
「能利と飲まない方がいいわよ」
クズネが、ぽつりと霧亜に呟いた。
「ずっと言ってるよね。能利、お酒飲むとおかしくなっちゃうの?」
智奈が聞くと、クズネは押し黙った。
能利を見ても、目を逸らしてチビりと赤黒い飲み物を飲む。
智奈の両親である功路とレンミは、家で酒を嗜んではいたが、少し陽気になる程度だった。あれ以上お酒でおかしくなってしまう人を、智奈は見たこと無い。
見廻が退散し、店の外での騒動がひと段落した芙炸が戻ってくる。
「お騒がせしました。どうです、うちの飲み物。お、あなたは飲めるんですね。よいよい」
戻ってきた芙炸は、智奈たちの向かいの椅子に座った。
「まさか、あなたが混血だとは思いませんでしたじゃ。安心してくだせえ、わしらは混血人種、賛成派ですからね」
芙炸と曄の夫婦は、うっとりとこちらを見つめる。見つめる先は、霧亜の髪の毛だ。
「成人していない、こみえ一族に会えるなんてなあ」
芙炸がしみじみと呟いた。
「ええ、本当に。ルルソから抜け出してきたの? 辛かったでしょう」
曄は、哀れみの目で霧亜を見つめる。
「それが謎なんだよ、なんでそんな珍しいんだ?」
緑色のジュースを飲みながら、霧亜が夫婦に訊ねる。
能利も、霧亜のことをまさかこみえ一族だったなんて、と驚いていたのを智奈は思い出した。こみえ一族とは、そんなに珍しい一族なのだろうか。
霧亜の言葉に、芙炸は目を丸くする。
「こみえ一族に育てられてないのですか」
霧亜は、ライルで育ったこと、智奈と兄妹であることだけを、夫婦に話した。
それを聞いた芙炸は、後ろにひっくり返るのではないかというほど、仰け反って驚く。
「まさか、ご兄妹! しかも力を抜かれていない混血! 奇跡が重なっておりますじゃ」
「兄妹って、珍しいんですか?」
第一の世界の中国でやっていた、一人っ子政策のようなものだろうか。
「こみえ一族は、親や兄弟を殺して体力を吸い取り、最強の戦士を作り上げる技術を持つ少数民族ですじゃ」
智奈は、芙炸の言う意味がわからなかった。
親を、兄弟を殺す? 自らの手で?
「知ってた?」
智奈が能利に聞くと、能利は首を横に振った。
「名前だけ。こみえ一族は、滅んだと思ってた」
芙炸はうんうんと頷く。
「百五十年前の戦争で、多くのこみえ一族が駆り出され、死んだとされています。今はルルソに身を潜めているという事だけが、このメネソンでは伝わっていますじゃ。だから、外を歩くこみえ一族は大変珍しいんです。あの一族は他との交流を好みませんからな」
智奈たちの今いるメネソンは、体術師の多い国。だからこそ、体術師の一族の顛末が語り継がれているのだという。
「……だから、こみえに智奈が狙われてるのか」
霧亜が合点のいったように、深く青い瞳を智奈に向けてくる。
「あの森で毒で怪我してた時か?」
能利の言葉に、智奈と霧亜は驚く。
「なんで知ってんだ」
「智奈とナゴのの怪我を治した」
「能利だったのね、助けてくれたの。ありがとう」
ナゴが、ゴロゴロと能利の手に頭を擦り寄せる。
「ありがとう」
智奈も頭を下げる。ずっと、霧亜かと思っていた。
「お前、オレたちのストーカーか?」
霧亜が冗談交じりに言う。
「それはお前の———」
言い淀んだ能利は、口を噤んで酒を呷った。
「いい飲みっぷりね」
曄が、新しく能利に酒を注ぐ。
芙炸は、じっと智奈と霧亜を見つめた。
「こみえに既に狙われてるんなら、ルルソには絶対に近付かん方がいい。こみえに攫われるか、どちらかが殺されますぞ」
「母さん、こみえのこと一切教えてくれなかったな」
ちびりと霧亜は緑色のジュースを飲む。
「弥那さん———お母さんって、どんな人だったの?」
ふと聞いてみる。そういえば、この世界に来た時に見た、写真の印象でしか、智奈はお母さんを知らないのだ。
「暴力的だった」
「え」
霧亜の顔を見るが、冗談を言っているようでもない。いたって真面目な返しをする顔だ。
正直、知らない人ではあるけれど、優しい人だとか、綺麗な人だとか、そんな言葉を予想していた。
「なんでも、腕っ節で解決できると思ってるゴリラ」
あの、写真に写っていた白銀で髪が長く、穏やかに笑う女性のイメージとはだいぶかけ離れる。しかし、智奈はこの世界に来た頃に言っていたサダンの言葉を思い出した。
———弥那に全力でぶっ飛ばされるんでやめてもらえます、そういうの。
弥那という、智奈と霧亜の母親は、体術師として強いだけでなく、人そのものが強い人だったのかもしれない。
会ってみたかったな。
もう、会うことのできない、本当の母親を思い、記憶の棚に入れられた写真の中の弥那に向かって、智奈は笑いかけた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!