——— ◆ Kiria
「遊ぶなら怪我をしない程度にな」
男の冷静な声。
オレは数メートル離れたところに着地した。が、着地のバランスをとれるほど全身の筋肉が作用しなくて、木の根元にどっかりと座り込む。
オレの攻撃が当たった感覚はあった。が、クイじゃなく、突然現れてクイを庇った男の手だった。男の掌には、直径二センチほどの穴が開いて、血がだらだらと滴れている。
「いい加減にしろ。俺は仕事をしに来たんだ。標的が逃げられてる」
男は静かに、クイに言い放つ。
クイは拗ねたように唇を突き出した。
「ごめんなさい、シュウカ」
と、クイはこっちに近付いてきた。
オレは身体に鞭打って立ち上がろうとしたが、想像以上の筋肉の疲労で、全く身体が言うことを聞かない。
主人のピンチに、アズがオレの前に立ち塞がるように降り立つが、クイはその脇を瞬時にすり抜け、オレの前にしゃがみ込んだ。
ちょ、ちょっと待って。そういえば、こいつ綺麗な顔してるし、真っ赤な唇が宝石のようだし、布面積少なくて、真っ白な布から出てる白い生足が輝いてるし香水の匂いするし、健康的男児からするとキツいものがあるんですが!
クイはオレの頭を撫で、外れたマントのフードを被せてきた。
「こんな頭して、杖をあまり振るうもんじゃないわ。フード被っときなさい」
風にはためく女の被る真っ白なヒジャーブ。頭隠して尻隠さずってか? ……うるせえな。
オレの心の葛藤なんぞつゆ知らず、綺麗な二重から覗く灰色の目がオレをしっかりと見つめてくる。
クイはオレの頬にキスをすると立ち上がり、シュウカと呼ばれていた男の方へ駆け寄った。
「気に入ったのか」
不機嫌そうなシュウカの声。
「違うわよ、バカね。身内には優しくしなくっちゃ」
軽快な会話をする二人は、シュウカの魔術で姿を消した。
アズは、羽を畳んでこっちを向く。
「いい女ですねえ、旦那」
まだ、でかいままのアズが、皮肉の表情でオレを睨みつけた。
「香水のキツさ以外は好みかな」
アズは小さな目をこれでもかと開き、嘴も大きく開けた。
「旦那……」
「冗談だって。その顔怖えから元戻って」
アズは一度羽ばたくと、元のずんぐりむっくりな通常サイズのカラスに戻る。
クイの行動……こみえの髪の色は目立つ。混血だと思われるから、隠せって意味だったのか。
全力で治癒に魔力を当てて、なんとか筋肉が動かせるほど回復させて立ち上がる。
こんなに動けなくなるまで身体を動かしたのは初めてだった。筋繊維が崩壊していく音が聞こえた気がする。能利の体術よりもより洗練されてて、もし一発でもモロに当たってたら、筋肉疲労じゃ済まなかった。
「あいつら、智奈さん襲ってたんすよね」
アズはさりげなくまたオレのパーカーに潜り込んでくる。頑張ってくれたが、まだこの森の威圧は消えてないみたいだ。
「ああ。でも、ナゴいるから大丈夫だろ」
「いや、ちょっと急いだ方がいいと思うっす」
「え?」
「ナゴ姉さんの血の匂いが続いてる」
「早く言え!」
オレは魔力索敵をまた森に広げて、微弱な智奈の性質の気配を探す。魔術師の魔力量も体術師ほどの精神エネルギーもない智奈を探すのは、結構神経集中しないと見つけられない。が、優秀なオレはナゴと一緒にいる智奈を見つけた。そこに、もう一つ火の性質を感じる。やばい、もうあいつら追い付いたのか。
オレは見つけた方に走り出した。もう一度、手足に加速の魔術をかける。
加速をつけてだいぶ走ったところに、さっきの三人組の気配が近付いた。バレることは承知で走り込む。
そこにいたのは、地面に倒れる智奈と、智奈を後ろに守りながら威嚇を見せる獣化したナゴの姿。その前に立つクイとシュウカと小さな女の子。
「智奈!」
叫ぶと、三人組は振り返った。
その隙に、ナゴは智奈のマントを咥えると放り投げて背中に乗せ、全速力で走り去る。途中、智奈がもぞもぞとするのが見えた。
「クイ、追え」
シュウカに言われ、クイは頷く。
オレは智奈を追われる前に、地面を蹴ってクイの前に立ちはだかる。
組み合ってる時は気付かなかったが、思ったより背の高い女で、百六十五あるオレより高そうに見える。
「もう追わせねえぞ」
オレの言葉に、クイはさっきと同じく口角をあげてにやりと笑みを見せる。
「生意気ね」
「子供いじめて楽しいかよ」
「あの子が何をしたのかは知らないが、殺しの依頼が来たからこうしてるだけだ。子供は家に帰ってろ」
シュウカが言った。
依頼……まさか、こみえから依頼された? 親父の言ってたことか? 智奈の命が危ない、こみえから守れって。本当に、狙ってるやつらがいるってことか?
クイはオレから一旦飛び退き、一気にこちらに近付いてきた。その時だった。オレとクイの間に、突然大きな雷が落ちた。
突如、空の雷も風もぴたりと止む。しんとその森が空気を張りつめたように静かになった。
「調停者か?」
辺りに轟音が轟き、地鳴りのような声が聞こえてくる。
オレの目の前に、オレの顔よりもでかい、蛇のような目玉があった。
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