——— ◆ Kiria
親父は唖然とするオレたちの顔を見回すと、窓に目を向けた。
「能利くんは?」
「出てった」
オレは反射的に答える。
「そっかー」
親父は力が抜けたように、校長室にある来賓用のソファにどっかりと座り込む。
「オレの魔術から抜け出すとか大したガキかと思ったんだが、サダン、お前だろ」
「能利くんが助かったって、お前からだったんですね」
サダンは眼鏡の奥でにこりと微笑む。
サダンと親父は同級生だと言っていた。
変わらぬ丁寧語から発せられる「お前」が、妙な違和感を感じる。
親父はだるそうにソファにもたれる首をゆるゆると横に振る。
「殺そうなんてしてねえよ。あいつの封印を解こうとしただけだ」
今まで姿を現さずに、オレを孤児院に放り込んで、家に帰ってくることも無かったのに、ここ数日でこんなに姿を見るなんて、複雑な気分だった。嬉しくないといったら嘘になる。でも、素直に喜べない。ムカつき度数の方が上だ。
「親父、この封印解いてくれ」
封印の内容がわかって、智奈もここにいる。
これでオレの封印を解いて、親父は今能利を追っているようだから、いずれ能利の封印も解いてくれれば、智奈に元の力が戻る。
親父はオレを見た。
心の中まで透かして見るような真っ直ぐな青い眼を、オレは真っ直ぐに見返せない。
「それは無理だ」
「なんで」
「色々大人は難しいんだ。わかってくれ息子よ」
「でも———」
反論しようとしたが、親父の顔が真剣だったことに、何も言えなくなる。
親父は体を起こし、智奈をじっと見た。
「智奈は、オレのことわかんないよな」
智奈はおずおずと首を縦に振る。わかるはずがない。アヒロでは、親父を見て怖くて逃げ出したくらいだ。
親父は悲しそうに笑顔を作った。
「こっちの世界は楽しいか?」
智奈は、悩んだ末に自分に言い聞かせるように、数回首を縦に振る。
「はい」
「そっかあ、こっちで暮らしたくなっちゃうかもしれないなあ」
親父の声は、今までで知る以上に優しい声色だった。
「でもごめんな、智奈の力を封印した、こいつらの術は解いてあげれないんだ」
「なんでだよ、そもそも、なんで智奈を連れてったんだ」
親父はまた悲しそうに口角だけ上げる。
「霧亜、調停者、お前がやるんだよな?」
下手くそに話をそらされた。
「この学校首席で卒業したんだって? すごいじゃないか。もう、お前も立派だ。きっと大丈夫。やりきれよ」
オレは眉間にしわを寄せることしかできない。
「智奈はついていくのか?」
親父の質問に、三度目の首の縦振りを、智奈はロボットのように動作する。
「そうか」
ナゴが、親父の足元にすり寄った。
親父はナゴを持ち上げ、ナゴの腹に顔をこすりつけた。
「子供二人をよろしくな」
「言われなくてもあたしが守るわよ、弥那の子なんだから」
親父は嬉しそうにナゴの鼻にキスをする。
「智奈、ちょっとこっちおいで」
ナゴを下ろし、親父は両手を広げて智奈を呼び寄せる。
智奈はどうすればいいのか助けを求めるようにオレを見てきた。
智奈の背を軽く押すと、おそるおそる親父に近付いた。
物心着いた時には、アヒロで、別の親に育てられてたんだ。ここにいる、智奈と同じ髪色をした男は、智奈にとってはただの他人に見えてるんだろう。
親父は智奈をしっかりと抱きしめた。
「ごめんな。全てが終わったら、全部話すよ。ただ、今はこうしてないと智奈の命が危ないんだ」
オレは最後の衝撃の言葉に耳を疑った。
「智奈の命が危ない?」
思わず復唱した。
親父は智奈を放すと、うなずく。
「オレも、本当はこの喉からぜーんぶ話してやりたいんだが、ちょっとまだそれは時期尚早だ」
「いつかは、力を戻してやれるのか? 封印を解いて」
オレの質問に対して、親父の返答の間が、それは難しいことを物語っている。
親父は、何を隠してるんだ? なんでオレ達に話してくれないんだ。
智奈の頭に手を置いて、智奈の顔を覗き込みながら、嬉しそうに笑う親父。
「綺麗な眼だ。生まれた時から、何度見たって飽きない。弥那の眼に俺がしっかり混ざってる」
「意味がわかんねえと、守るもんも守れねえよ」
オレの言葉に親父は大きく息を吸って、吐いた。
「そうだよな」
言葉は無くとも、言いたいのに言えないことくらいわかった。だからといって、理由も何も教えてくれないことに納得はできない。
「オレは絶対にお前たちを守る。お前は、智奈を絶対に守るんだ。まずは、調停者を無事に完遂しろ」
暁乃に誓って。
呪いのような言葉を親父は呟いた。
「何で、いなくなったんだ」
思わず、口にしていた。
ずっと、思ってた。思ってたけど、聞いたところで納得のいく答えが返ってくるとは思わなくて、聞こうと思ってなかったのに。
親父は、立ち上がるとオレに近付き、オレの頭を自分の肩に引き寄せた。
「でかくなったな、お前」
「親父は抜く」
親父は鼻で嬉しげに笑う。
「霧亜、能利くんと戦ったか?」
直後のことで、オレは予想以上にその名前に敏感に反応したらしい。親父はあはは、と笑った。
「天才坊主の、初完敗だったか」
なんでわかんだよ、こいつ。
「お前の顔見りゃわかるよ」
なんでわかんだよ。
「霧亜」
群青にも近い青い眼が、オレを捉えた。
「お前は強い。向こうの世界でだって、立派に智奈を守っただろ? 心配しなくても、大丈夫」
と、親父はオレの耳に顔を寄せてきた。
「霧亜、約束してくれ」
親父はオレにしか聞こえない小さな声で囁く。
「こみえから、智奈を守れ。絶対に」
そう言い残すと、オレの頭をぐしゃぐしゃと撫で回し、オレから離れた。
「とりあえず、能利くんの封印は想定外案件なんだ。能利くんを追いかける」
サダンが、何かを親父に投げ渡す。それは、智奈からつまみ取った能利の獣化動物の、子蜘蛛だった。
「おお、ありがたい」
しっかりやれよ。と、親父は蜃気楼のように姿を消した。
「本当に嵐のような男ですね、誰かさんに似て」
智奈に向かって言っていないのは明らかだ。サダンなりの褒め言葉と受け取っておこう。
「霧亜」
サダンに声をかけられる。
「なんだよ、慰めの言葉ならいらねえよ」
「先程、気持ち良く割ってた花瓶の値段、いくらか知ってます?」
体中の血の気が引いた。
恐る恐るサダンを見ると、サダンは細いフレーム眼鏡の向こうでにっこりと微笑んだ。
「出世払いで……」
「出世することを願います」
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