混血の兄妹

-四神の試練と少女の願い-
伊ノ蔵ゆう
伊ノ蔵ゆう

第7話 ▲ 青年の受難

公開日時: 2020年11月7日(土) 20:25
更新日時: 2020年11月8日(日) 00:59
文字数:3,937

——— ▲ Noli



 ライルの商店街から数キロ先にある森の中に、青年は身を潜めていた。


 右目の痛みは、まだ引かない。今でも鮮明に覚えている、この封印魔術をかけられた時と同じ痛みが青年を襲っていた。


「突然クズネが呼び出すから何かと思ったら、ナンパでもしていたのか?」

 地の底から響くような低い声が、青年をからかうように軽口を叩く。


「あれをどう見たらナンパに見えるんだ」


 青年が寝そべって体重を預けている獣化動物の腹が、ぐるぐると鳴る。その獣化動物は、丸々と太った真っ赤な鯉だった。大型犬ほどの体長で、ヒレで歩こうと思えば、亀のように歩く。小さな頃から一緒にいる青年でさえも、ヒレで歩いている姿などみたことはないが。


御身おんみをお助けたてまつった可愛い可愛い鯉が、腹を空かせておるのだが?」

 鯉のヒレが、青年の頬をぺちぺちと叩く。


「うるさいな」


 真上の木からがさがさと音がすると、八つの目が突然、青年の目の前に出現した。

「ウサギと鳥をいっぱい狩ってきたのはだーれだ」

 若々しい女性の声が、青年の前にある目から聞こえてくる。


「クズネ様はお優しい、蜘蛛様仏様」

 鯉が歌う。


 青年の身長よりも数倍大きい、体毛の多い大蜘蛛が、木の上から自分の糸を伝ってするすると下りてきた。尻から出る糸には、グルグル巻きにされた獲物達がゴロゴロとくっついている。

 青年は礼を言って、クズネから獲物を受け取る。クズネはタランチュラほどの手のひらサイズまで小さくなり、青年の黒いフードに隠れた。


「ほれ、早く焼きたまえよ」

 鯉はヒレで青年の背中を叩き、食事の催促を始める。


「そろそろ、お前食べ頃だよな」


「私は珍味だぞ。小僧がわかる味ではないわ」


 鯉の言葉に、青年は鼻で返事をした。


 青年は足元に積んであった円を描く石の中に薪や落ち葉を入れ、そこへ向かって指を鳴らした。ぼうと薪に火がつく。

 指先の魔法陣と、焚き火の魔法陣を連携させて、摩擦で発火させる仕組みだ。


 蜘蛛の糸に包まれた兎を一匹手に持つと、燃え上がる焚き火の火が、蛇のようにこちらに近付き、兎の周りを包み込んだ。

 自分の手が焼けることは無い。自分の火で火傷するなんて、どこかの火の苦手な水使いくらいだ。


 青年はいい具合に焼きあがった兎を鯉の口へと放った。大きな口は凄まじい吸引力で兎を丸呑みする。

「クズネ様のとって来た兎は美味いなあ」


 青年のフードから小さな声で、礼の言葉が聞こえてくる。



 賑わうライルの街並みから、だいぶ外れた森の中。青年は鬱蒼と木々が生い茂る中に、小さな結界を作ってそこに寝泊まりをしていた。

 この結界に入っていれば、外界からは探知できないようになっている。例え近くに人や動物が通っても、普通は気づかない。



「その封印が痛むのか?」

 鯉が、聞くだけ聞いてやろう、という雰囲気を隠しもせずに訊いてくる。


 封印が痛むことなんて、封印を施されたその日から、今まで一度もなかった。


 この封印魔術式は、青年の師匠に聞いたところ、誰かの体術師の体力が封印されているという。

 誰がかけたのか、誰の体力なのか、なぜかけられたのか、魔術式を見るだけでは解読できずに謎だったが、青年にとって、これはいい機会でしかなかった。


 青年は混血に生まれずして、混血に成ったのだ。普通の魔術師よりも、身体能力は上がり、何倍も素早く動き、高く飛び上がることができる。魔術による補正をかけずに、魔力の減少無しでこれができることは、使いこなせば無敵に近い。

 何よりものプレゼントだった。魔術師からしたら、喉から手が出るほど欲しいものだ。だからこそ、混血が羨まれ、疎まれる。


 普通の魔術師が、或いは普通の体術師が、混血に勝てるわけがないのだから。



 コンコン。 



 青年は身動きをぴたりと止め、音のした方へ意識を集中させる。

 ここは青年の作った結界だ。外から干渉されるわけがない。近くの木を小動物か何かが当たっただけだろう。 



 コンコン。 



 青年は音のしたところから飛び退いて最大限離れ、結界の向こうを見る。


 そこには、黒いコートの男が立っていた。小動物でも木でもない。明らかに、青年の作った結界を、ご近所挨拶でもするかのように指でコツコツと叩いている。 

 そして、木が邪魔をして見えるはずがない青年と目が合うと、まるで知り合いと久しぶりに再会したとでもいうように、ひらひらと手を振ってきた。

 

 完全に居場所がバレている。ここから反撃するにしても、あの男の意図が掴めない。

 誰だか知らないが、青年は観念して結界を消し去った。


 隔離していた外の空気が入り込み、じんわりと暖かさが肌にまとわりついてくる。


 一陣の風が吹いた。


「やあ、能利のりくんだね」

 青年の瞬きの間に、男は青年に手が届く範囲に近付いてきた。


 友達のお父さんが挨拶してくるかのような感覚で、男は片手を上げる。にこにこと、非常にお気楽な雰囲気を醸し出しているが、全くといって隙がなかった。

 青年がここから逃げ出そうものなら、すぐにでも魔術を繰り出してきそうだ。


 青年は魔力を見ることは出来なかったが、師匠との修行のおかげで気配には敏感だった。

 男がこの一帯に放つ魔力と、隠れた戦闘力がひしひしと感じられる。 殺気がないはずなのに、どうにも動けぬ男のオーラが恐ろしかった。


「いやあ、随分と探したんだ、能利くん」 


 孤児院での事件以来、探されるような生き方しかしてこなかったことは間違いないが、この男に探される所以いわれはない。

 全く知らない男だ。 


「覚えてないか、流石に」 

 男は栗色の天然パーマのようなふわふわの髪をかしかしとかく。 

「その右目の封印を解こうと探しても、全く気配が見当たらなかった。結局こんな期間が経ってしまって、申し訳ない。どこかに匿われてたのか?」 


 男の言葉の意味がわからなかった。

 わかりたくなかった。

 封印の事を知る人物は、相談を持ちかけた青年の師匠と、あと一人しかいない。


 封印をかけた張本人。 


 青年の体中の毛がぞわりと逆立った。この男が、約十年前に青年の目に封印魔術を施した張本人だ。 


「しかも、あんな可愛い子に肩ぶつかりやがって、折れてたらどうすんだ」 


 応戦しなければならいのに、後ろに下がらなければいけないのに、頭を回転させたいのに、動けなかった。

 それが、あの魔術師の策略や魔術でもなんでもなく、ただの男の放つ恐怖であることに気付いて呆然とした時には、男は青年の右目に手のひらを当てていた。 


「君は何も知らなくていい。何も知らずに、そいつを返してくれ」


 男の青い瞳に、青年は懐かしさを覚える。

 つい昨日も、似た青い瞳を見た。久しぶりだった。大きくなってたな、あいつ。


 昔の思い出が走馬灯となって過り、青年は息を吹き返すように意識が現実に戻った。

 青年の足が一気に動き出す。バク宙の要領で後ろへ大きく飛び退いて、空中で杖を出現させ、木を思いっきり杖で叩き、太い枝に降り立った。

 青年の立つ木が根っこから轟々と燃え出す。

 

 おお、と男は感心するように口笛を吹く。

 炎で男を燃やそうとした時には、既に男の姿はない。


 辺りを見回すと、突然目の前に男は現れ、青年の首を掴むと木の上から地面に叩きつけた。


 思ったより痛くないのは、男が地面を柔らかい砂に変えたからだった。その砂は、そのまま蟻地獄のように中心に向かって流れ出し、青年は手足が拘束されて身動きがとれなくなった。


 風を使うから『木』の性質の魔術師かと思っていたが、正反対の『土』まで使えるとは思っていなかった。普通、才能溢れる魔術師でも、自分の性質とその相生にあたる二つの性質しか使えない。自分の性質の相克まで使える魔術師など、会ったことがなかった。


「その力、馴染みがいいだろう。他の家系じゃ、他人にそこまで馴染まない。こみえは人馴染みがいいんだ。こみえの人を魅了し、戦いへ導く力は、魔術で作った呪いのレベルだ。近くにいる人間を狂わせ、最強の魔術師も底辺に落とす」

 男の表情に、暗い影が落ちる。が、すぐに飄々とした表情に戻る。

「ま、好きになったから仕方ないんだけどな」


 青年は男の言葉にポーカーフェイスを保っていたが、内心は驚愕と歓喜で打ち震えていた。

 “こみえ” なんて、夢物語の一族だと思っていた。本当にあの最強の戦闘狂一族は存在したんだ。そして、自分の中にそのこみえの力が存在している。


「愛娘の力、いい感じに使ってくれてるようだな。どうだ、混血は。楽しいだろう」

 もう青年が逃げられないほど手足を拘束されたのを確認すると、男は蟻地獄の縁に立って、青年を見下ろす。 


 男の言葉は図星だった。この力を使って、人より強くなった。負けるはずない力を得た。

 当たり前だったのだ。体術の力がこみえの一族だったのだから。

 なのに、目の前の魔術師に、負けた。この魔術師は、格が違いすぎる。 


「息子をかばってくれた友達思いの能利くんには感謝状を送りつけたい気分だが、とんだ手違いが生まれたまま、十年も経ってしまったことは謝る。それは息子に渡すはずのものだったんだ。返してもらうよ」 


 男が手を広げて青年の右目を隠した。稲妻が全身を駆け巡るかのような強烈な痛みが、目を襲う。焼けるような熱さが、目玉を溶かす勢いで、焼け焦げる匂いと共に身体を走り回る。目から煙が立っているのがわかった。 


 殺される。 この、わけのわからぬ黒いコートの男に。

 短い人生を、やっと知った自分の体術の力を、もっと使ってみたかった。

 悔いばかりの人生を思い返した瞬間、痛みがすっと引いた。襟首を後ろに思いっきり引っ張られるような感覚。青年は後転してから受け身をとり、何事かと顔をあげる。見上げたところに黒いコートの男はいなかった。


 そこは見知らぬ部屋と、三人の人間が立っていた。


 見知らぬ顔と、知った顔と、見覚えがある顔。


 突然の光景に、青年は身体中の力が抜け、ばたりと後ろに倒れ込んだ。

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