——— 〇 Tina
更に先に進むと、アズが突然震え出した。
「旦那ぁ、パーカー入れてもらってもいいですかい」
「なんだよ、雷怖いのはメスだけじゃなかったのか?」
「雷は大丈夫っす。ただ、やっぱここ何かいますよ。威圧されてる感じがして立ってられないっす」
もそもそと、アズは霧亜のパーカーの中に潜り込む。首元から顔を出すアズは、なんとも愛らしい組み合わせになる。
ナゴを見ると、ナゴは顔をふるふると横に振った。
「あたしは大丈夫よ、もう雷聞こえないから。きっと、青龍に威圧されてんのよ。あの子、あたしより若いからね」
お姉様が言うのなら、それは安心だ。
「霧亜、ナゴは大丈夫みたい」
顔を上げる。
そこに、お兄様の姿はなかった。
「霧亜?」
辺りを見回しても、白い髪の少年の姿はない。
ナゴは智奈の首からふんふんと鼻を嗅ぐ、辺りを見回す。
「匂いはする。けど見えないわ」
急に、耳を塞がれている違和感が智奈を襲う。ナゴでさえも、遠くに感じられる。
「霧亜! 霧亜!」
「智奈落ち着いて、大丈夫よ。霧亜はどこかにいるから」
パニックに陥る智奈をなだめようと、ナゴが顔を擦り寄せてくる。
目頭が熱くなってきた。
辺りの森が、どんんどん閉塞的に見えてくる。ここに、自分が一人だけになってしまった感覚に陥る。
がさごそと、木の奥から物音がした。
智奈は飛び上がって、その場から後ずさる。
木の裏から顔を出したのは、この森では完全に異質な姿だった。
智奈よりもずっと小さな少女だ。オレンジに輝く長い髪の毛を二つに結き、クリクリの大きな黄色い目が、智奈をはたと捉える。この森に似つかわしくない、ふわふわの衣装のようなワンピースを着ている。
智奈は、驚きで声が出せなかった。
「あなた、あきのちな?」
溌剌とした高い声で突然名前を聞かれ、智奈は動けない。
そう、私は光谷智奈じゃなくて、こっちでは暁乃智奈だ。
「あなた、あきのちな?」
もう一度、少女の声は森に木霊する。
智奈はゆっくりとかぶりを振った。
「あきのちな、いたよー!」
雷鳴の後に続き、少女は森一帯に響くほどの声量で叫んだ。
森の鳥たちが、一斉に飛び立つ音が遠く聞こえる。
少女の叫声に恐れを抱き、智奈は動くことができなかった。
「あら、思わぬ遭遇ね」
いつの間にか、少女の両隣に男女が立っていた。
女は、白く長いスカーフのような布で頭を隠し、目だけが見えている。布面積が少ない服装で、すらりと長い生足が露出し、裸足で地を踏み締めている。
男は、旅人のような格好でマントを羽織っている。腰には二重のベルトで、様々な色の小瓶がずらりと並んでいる。
「こんな子供が依頼の子なの? 随分ひ弱そうだけど」
女はオレンジ色の少女の頭を撫でながら言う。
オレンジの少女は頭を撫でられ、嬉しそうに女の後ろに隠れた。
「いくら子供でも、依頼に変わりはない」
男が、憐れみの目を智奈に向ける。
一体何のことかわからなかった。ただ、この人達に、智奈への敵意があることは、齢十一の智奈でもわかった。
「こんな子供なら、あたし来る必要なかったわね。シュウカよろしく」
女に言われ、隣の男は腰にある小瓶をこちらに投げつけた。智奈の足元で小瓶が割れると、煙がもわりと上がり、男と女、そして少女の姿が見えなくなる。
「智奈!」
手に小さな痛みが走った。
目の前が黒くなると、智奈は襟首を引っ張られて空に飛ばされる。着地と同時に何かに跨ると、猛スピードで森の中を疾走した。
疾走が段々と緩やかになっていく。
智奈を放って跨らせたのはナゴだった。いつの間にか大きく獣化している。手のひらを見ると、噛み傷があった。
ナゴはゆっくりと歩く足を止めると、どしんと音を立てて地面に崩れ落ちた。智奈はナゴの下敷きにならないように、倒れる寸前に地面に立つ。
「ナゴ?」
両手いっぱいのナゴの顔を抱きしめると、ナゴは上がる息で呼吸が上手くできていないようだった。
「ナゴどうしたの?」
聞いても、ナゴは返事ができそうにない。
ナゴの体のあちこちを触ると、右側の脇腹に違和感を感じた。
「触っちゃ、だめ」
たどたどしいナゴの言いつけを守らずに、智奈はナゴの毛の間に手を滑り込ませる。ぬるりとした感触があり、見るとそこが血だらけになり、肉片が手にまとわりついてきた。
「いたっ」
ナゴを触った智奈の手が、ビリビリと針に刺されたような、焼けただれるような、経験した事の無い痛みに襲われる。
ナゴは霞む息を整え、大きな目で智奈を見た。
「毒よ。智奈、逃げなさい。霧亜を探すの」
痛さで、涙が零れた。涙で潤み、ナゴがよく見えなくなる。
どうして手がこんなに痛いのか、理解が追いつかない。手首から、取れてなくなってしまいそうなほどのこんな激痛、味わったことがなかった。
「ナゴ……」
息ができなくなった。吸っても吸っても、空気が取り込めない。体を起こしていられなくなり、ナゴにもたれかかる。
どうして? なんで?
再び足音がした。
もう、後ろを振り返る気力もない。手が動かない。身体が、どっしりとしたおもしに身を潰されているような気分だった。身体のどの部位も、全く動かない。
痛みの続く手を誰かに持ち上げられた。痛みで呻いても、身体が動かない。
高いところから声がする。
「解毒の調合をしてくれ」
「なんであたしが」
辺りがぼうと黄色く光ったような気がした。
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