——— ◯ Tina
安心する両親の笑顔に、智奈の顔が綻んだ。
「私たちは、ガンに住んでるの。何時でもいらっしゃい。旅が終わって、こっちに来てもいいんだから」
レンミの言葉に、智奈は頷いた。
頷いてから、気付く。この二人は、もうアヒロに戻ることはないのかもしれない。智奈がアヒロに帰ってしまったら、霧亜が来る前の、ひとりぼっちの生活に戻ってしまうかもしれない。果たして、霧亜は智奈がアヒロに戻りたいと言ったら、一緒に戻ってくれるのだろうか。
「霧亜くんは、あのライアント魔術学校を出ているんだよね」
功路が言った。
「はい」
「じゃあ、少し時間をくれるかい。弥那のできなかった意志を、霈念ができないことを僕が継ごう」
功路が、優しくにっこりと笑った。その優しい笑顔に、どことなく何かを企む影があることに気付けたのは、妻であるレンミと、娘の智奈だけだった。
身体と身体が、当たり合う鈍い音。
汗の飛び散る水音。
霧亜の、息を切らして咳き込む声。
二人の動きで舞い上がる砂煙。
「君の独学の体術は、喧嘩に特化している感じだね。アヒロでいうキックボクシングの類に近い」
功路は霧亜の殴りかかる手を叩き、霧亜の腹部を蹴り付けた。
霧亜は背中から地面に叩きつけられる。
「君の性質は『水』だ。『水』の体術である隼波水は、性質体術の中でも最も術者に合わせて自由に動ける体術だ。だが、魔術を合わせて使うなら、身体を動かすために思考を使っちゃいけない。まずある程度の型にはめて、身体に染み込ませるんだ。そうすれば、魔術のことだけを考えられるようになる。———ほら、そこが違う」
霧亜の動きに沿うように功路は回転し、霧亜の死角に入ると足元を掬う。
「身体に染み込ませるんだ。魔術と体術を使うには頭が二つ必要だ。まずは一つに絞って」
功路の言葉に、霧亜は歯を食いしばって立ち上がり、もう一度功路に向かって拳を振り上げる。
「ただ単に突っ込むんじゃない。教えた型を思い出して。オリジナルに昇華させるには、まず自分の性質に合った体術の型を覚えよう」
また霧亜と功路は激しく拳を合わせ合う。目で追えぬほどの動きだった。
「功路さん、熱が入って止まらなくなってる。霧亜くんもすごいわね。この短時間での吸収量。功路さんも楽しそう」
日陰で観戦をする智奈たち。智奈の隣に座るレンミが言った。
功路の提案で、霧亜に体術を教えるため、ガンの人気のない平地に来ていた。
一度、智奈たちのいる平地の後ろに広がる森が、一瞬だけ悪天候に見舞われた。暴風が吹き、いくつもの雷が森の中に落ちる。
智奈とナゴは抱きしめ合ってそれを凌いだ。
隣に座るレンミは笑う。
「ほんとに怖いもの苦手よね」
悪天候は、ほんの一瞬だけだった。
再び、智奈は目の前で繰り広げられる戦闘を観察する。
大人に負けたことがないと聞いていた霧亜。そんな霧亜が、今目の前でボロボロになって功路に向かっていく。
霧亜は魔術を禁止されて、体術だけで戦っていた。
今まで霧亜が大人に勝てていたのは、魔術と体術を使えたから。特に、魔術学校を卒業していた霧亜が得意なのは、魔術だ。それを禁止されれば、体術師であり見廻の功路には歯が立たない。
「雄の友情ってわかんないわ」
ふうとため息をつくナゴ。
「砂だらけの旦那もかっこいいっす!」
上空の調査を終えて帰ってきたアズ。
上からは、特に緑の多い島という印象しか得られなかったという。青龍のように簡単には見つけられないようだ。
「女子は戦いに混ざらないのか」
まだ姿を現したままの青龍は、智奈の頭の上にとぐろを巻いている。
太腿の上に猫、肩にカラス、頭に小さな龍のいる智奈は、動物遣いのような光景になっている。
「あたし……は———」
考えたこともなかった。
二人の動きを見ていて、水の性質の体術であるという『隼波水』の動きの型はなんとなく覚えた。霧亜と功路の会話を聞いて、魔術も体術も丹田と呼ばれる臍の下が重要であることも。今、実戦をしろと言われて動ける自信はないが、型を披露しろ、と言われれば出来る気がしている。
「———怖いからいいです」
「そうか。残念だ」
青龍のため息で、頭上にパチパチと静電気のような音が聞こえる。
智奈の腿の上にいるナゴが、ちらりとこちらに目を向けたが、何も言わなかった。
「青龍さん、朱雀には、どうやって会えばいいの」
兄の修行中、情報収集するのが妹の務めだ。
「朱雀は下にいる」
「下?」
「マグマの下だ」
智奈は足元を見つめる。
青龍は、それ以上は話してくれなさそうだった。
海岸で見た、岩場のような木の根。あの下にはマグマが流れている。その下に、どうやって進んでいけばいいのか。
「母さん」
智奈はレンミに聞こうと顔をあげた。
「ん?」
いつも通りの、母親の振り返り。智奈の母は、本当の母はあの写真立ての向こうで元気に笑う白銀の髪の女性かもしれない。けれど、智奈にとっての母はレンミだ。
「この島に、洞窟とか、どこか下に潜れるような場所ってない?」
レンミは困ったような顔をした。
「青龍さんの下っていうのが、私にもわからないのよね。この島は、マグマがあるから、地下が作れない島なのよ」
「そっか……」
悩む智奈の頭の上で、青龍は楽しそうに悩め悩めと笑う。
霧亜と功路の特訓がひと段落し、二人が木の日陰にいる智奈たちのもとに帰ってきた。いつの間にか、二人とも上半身裸で汗だくだ。
霧亜は砂だらけで、息をあげて智奈の横でへたり込んでいる。
「女性陣がいなかったら、暑すぎて下も脱いでたたかもな」
功路も、息をあげてレンミから渡された布袋から水をがぶ飲みしている。
「あら、私は脱いでも良かったけど。智奈だって散々見てるしねえ?」
智奈は笑ってレンミの言葉に頷く。
霧亜は脱ぎ捨てたパーカーのポケットから水の小瓶を取り出した。それを頭上に放ると、雨のように霧亜と功路の上に水がさらさらと降った。
「ああ、魔術って、ありがてえ」
霧亜は地面に大の字になっている。
「霧亜、朱雀に会うには、下に行かなきゃ行けないんだって。青龍さんが言ってる」
「はあ? ガンは地下作れないって知っててそれ言ってるだろ。もっとわかりやすいヒント出せよ」
霧亜の悪態に、智奈の頭の上の青龍はふうとため息をついた。頭上でパチパチと静電気のような音がする。
「いっでえ!」
霧亜の頭上にだけ、小さな雷がバチバチと落ち続ける。
「うーん、でもどうしよう」
智奈が口を結んだ時、どこからか走りくる足音が近づいて来た。
霧亜は身体を飛び起こし、足音のする方に身構える。
木の上から、何かが飛び出して来た。
「やっぱり俺の力が必要だったんじゃんか!」
ひょろひょろの身体にぶかぶかのタンクトップを着た少年は、くるりと宙返りで右足を上げると、そのまま地面に急降下する。
ドカン! とまるで地鳴りのような音が辺りに響き渡った。
ラオのかかと落としを受けて、霧亜と功路の訓練していた平地に、バキバキとヒビが入っていく。
「お前何でいんだよ」
霧亜の問いに、渾身のかかと落としを披露して地面にへたり込むラオは、へへっと鼻の下を擦った。
「やっぱついて行きたくて、探してたら地下に行きたいって話を聞いたから」
「ついてくるなって言ったのに」
「でも、俺のおかげで地下に繋がる道が———」
ラオのおかげで、平地には大きな地の割れ目ができている。地鳴りが、小刻みな地震のような揺れが、足元から湧き上がる。
「そんくらいな、どっかの土が使える魔術師に頼めば開くんだよ……」
霧亜はひくひくと口の端が引きつっている。
抑圧された力が、ピンと貼ったゴムが断ち切られるかの如く、マグマが裂け目から噴出した。目の前がオレンジ色に染まる。
「逃げろ!」
霧亜の叫び声。
一番マグマに近かったラオは、いつの間にか智奈の横にいる。一同はマグマと反対方向に駆け出した。
噴出したマグマは地に降り立つと、ドロドロと地を這って智奈たちの方へ迫ってくる。
「焼け死ぬ!」
ラオが叫んだ。
「猪なのか、てめえは! こうなることぐらい予想しろ、アホ!」
「だって、なんか力になりたかったんだ!」
「見てられないな」
新たな声がした。
後ろを振り返ると、地面から噴き出し、迫ってきていたマグマ、噴出していたマグマがぴたりと制止している。
そのマグマの噴出した頂点に、人影があった。すたりと、人影は五階建てのビルくらいの高さから降りる。
「下に行きたいんだろ。その子の言う通りここを開けるしかない」
黒いマントをたなびかせる、金髪の青年。そこには、能利の姿があった。
「大量の水をぶっかけるバカじゃなくて良かった。やろうとしたら、殴りつけようと思ってた」
にやりと、能利が笑う。
「こちとらライアント首席卒業だぞ。爆発するくらい知ってる」
霧亜の声は、喜びを隠しきれていない。今にも飛び出して、また殴りかかりそうにウズウズしているように見えた。
「あ、客室使った人」
ラオが能利を指差す。
「世話になった」
ぺこりと能利は頭を下げた。
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