——— ◆ Kiria
能利は、疑問形で来られると思っていなかったようで眉を顰めた。
「見せて」
サダンは能利の前髪をかきあげて右目の封印術式を、じっくりと観察する。今まで、ちゃんと見てくれなかったくせに、何なんだ。
能利も大人しくサダンに従った。
一通り術式を解読したのか、サダンは能利から離れると、ため息をつく。
「確かに、智奈の体術の力ですね、これに込められているのは。不思議だったんですよ、霧亜用に作った封印式が半分足りないから。君に封印されていたんですね」
サダンの、勝手に自己完結したような言葉に、オレは耳を疑う。
「知ってたのか? 待てよ、作ったって言ったか?」
「私が作ったことも、封印の内容も口止めされてたんですけど、能利くんが知っているってことは、霈念が伝えたんでしょう。だからもういいのかなと思いまして。霧亜、君に封印されているのは智奈の魔力です」
次のことわざはこれだ。灯台下暗し。
「両方の力が、智奈から抜かれたってことか?」
オレが聞くと、サダンはうなずく。
「智奈は今の状態だと、アヒロの人間そのものです」
オレは智奈を見た。智奈は、理解していないようだが不安そうな顔をして、首元にいるナゴの頭をしきりに撫でている。
だから、ナゴを魔力を使って獣化させることができなかったのか。獣化動物を獣化させる、呼ぶといった行為は、魔術師なら、子供が言葉を覚えるのと大差ない。魔術師の力を継いだ人間が、やろうと思えば自然とできるもののはずなんだ。
「あたしに魔力がないってことは、ナゴを大きくすることもできないの?」
智奈は残念そうにぽつりと呟く。
智奈の肩にいるナゴは励ますように智奈の頬に頭を擦り付けた。
随分と仲良くなっちまって。
「何で能利にも封印されたのかわかんねえけど、三人集まれたわけだし、また次に親父が現れた時、封印解いてもらえばいいよな。親父は多分、オレ達の居場所はわかってるはずだ」
それまで、また能利と一緒にいられないだろうか。オレはそんな希望を抱いていた。むしろ、調停者の旅を能利と一緒に出来たら、こんなに心強いことはない。
そんな望みを込めて、オレは能利に目を向けた。
この封印はただの異物だ。特に能利なんて、目にあるんだ。だから今も前髪で隠してる。こんなもの早くなくなった方がいいはずだ。
オレの提案に、能利は、悩ましいという複雑な顔をした。
「残念なんだが、俺はこの力、あまり手放したくない」
「え?」
意味がわからなかった。だって、いらない封印なんて、なんの価値もないだろ。
「こんな封印、早くなくなったほうが———」
「お前、やっぱり混血だったんだな」
裏切られたよ。とでも言葉の最後についてきそうな言い方に、オレは虫唾が走る。
「どういう意味だよ」
「まさかと思ってたが、その髪、本当に『白銀のこみえ』だったんだな。存在しないと思ってた」
こいつの言ってる意味がわからない。
「だからなんだってんだよ」
「気付いてないのか? お前のその馬鹿でかい魔力は、この子の魔力が足されてるからだ。俺には、体術の力が封印された。オレは今混血と同じ力が使えるんだ。こんな機会、めったにない」
オレは次の罵りが口から出てこなくなった。封印されてるだけじゃなくて、使えてたのか。だからオレは、人より魔力が多くて、人より強い魔術が使えた。
そして目の前のこいつは、智奈の力が気に入っているらしい。そりゃそうだ。誰しもがなりたい混血になれたんだから。
あの公園で、目の前で繰り広げられた惨劇が頭をかすめる。
「ふざけんなよ」
能利が見廻に連れていかれる姿を見たくない。
「返せよ!」
オレは杖を出現させ、振りかぶって校長室にある机の上にあった花瓶をかち割った。中から水が溢れる。それを増幅させると、無数の触手のように形を変えて、能利に向かって攻撃を繰り出す。
能利は火が得意だ。絢香の時と一緒。状況的にはオレが完全に有利。
のはずだったが、能利はオレの水で作った無数の手をしなやかに身体を動かして避けていた。魔術で、バリアや相克である土の壁を築くでもなく、防ぐんじゃなく、避けている。
避けるのに飽きたのか、オレが次の魔術を出そうとする前に、水の触手の間をすり抜けてこっちに近付いてくる。加速の魔法陣が足首に見えた。
素早すぎて能利の振り上げられた右足を、両手でガードするのに精一杯だった。その足は膝から曲がり、オレの首を起点に能利は体を持ち上げて左足とからませ、体重を使ってオレを床に叩きつけようとしてくる。
オレは間一髪で足と顔の間に挟ませた水のクッションを抜いて空間を作ると、能利の足から逃れる。すぐさま目の前にある顔に右パンチを入れこもうとするが、軽く弾かれた。
どうなってんだ?
もう、そんな疑問しか出てこなかった。こんなやつと戦ったことない。次には炎がオレに襲いかかってきた。水のバリアを張るが、その時には既に能利はオレの背後に回り込んでいて、また出される数々の体術に反応するのがやっとだった。
「お前、道場に通ってるか?」
組み合った時、能利が聞いてきた。
能利の力に押されそうで、必死に抵抗しながら、オレは首を横に振った。今口を開いたら、能利に押し負けそうだった。
ふうん、と、能利は随分と余裕そうだ。
「天然素材か。良いけど荒い」
どういう意味だ。
オレが疑念の目を向けると、能利は、ここから本気を出そうか、という気持ちだったらしい。スピードも重さも一気に底上げされた攻撃に、渾身の右ストレートも、いつの間にか間合いの中に入られ、能利の全体重がかかった肘打ちをもろにくらい、後ろの本棚に吹っ飛ばされた。ばさばさと、本が降ってくる。
「水の性質のお前と、長く戦闘はしたくないからな」
能利の性質は『火』だ。本当だったら、オレが圧倒的に有利なはずなんだ。それでも負けるのは、体術の力量に明らかな差があるからだ。
拍手が聞こえる。サダンだ。こんな時に奴は感心したように拍手を送っている。
「おお、霧亜が負けたところが見れた。強い強い」
「お前は、強くなりたいか?」
能利は汗一つかくことなく、涼しげな目でオレを見下ろす。
「なりてえよ!」
オレは惨めに叫んだ。
「なら人に教われ。いくら天才でも、独学じゃ限界がある。教わることは恥ずかしいことじゃない。まずは、自分に合った体術拳法がなんなのか、ちゃんと調べろ」
能利の言葉は、オレの抵抗を完全に脱力させた。
「悪いな。この力、手放すには惜しすぎる」
と、能利は身を翻し、校長室の窓から飛び降りた。
智奈が、慌てて窓へ近寄って首を伸ばす。窓から見えたのは、赤い龍が空を泳ぐ姿だった。龍に乗って、能利はまた姿を消した。
あいつ。めちゃくちゃ格好いい獣化動物持ってるな。
オレは詰まっていた息を大きくついて校長室に大の字に伸びた。
「負けた」
サダンは楽しそうにふふ、と笑う。
「負けましたね」
「大丈夫?」
ナゴがオレの腹に乗ってきた。
「あの子、体術師に弟子入りしてますね、あの動き。魔術と体術の組み合わせ方が非常に上手い。ちゃんと、火の性質の体術を会得している」
そこが、多分オレと能利の違いだった。オレは体術は独学———というか喧嘩の延長線のようなもので、基本は魔術に頼りっきりだ。やりたいように、体が動く通りに動いて、咄嗟に思いつく魔術を使うのがオレの戦い方。
一方能利は、魔術も体術も、しっかり組み合わせて使ってきた。体術も、あの屋根をどんどん落ちていくヌンチャク使う人みたいな、ちゃんと型のあるような動き。いつでも戦える準備をしているようにも見えた。魔術を使う時には体術で体を素早く動かし、体術を使う時には体を魔術でスキルアップする。そんな細かい作業を戦闘中にオレはできない。
自分に合った体術拳法か……。
「逃げんなくそがき!」
男が突然、校長室に姿を現した。
校長室の空気が、一瞬固まる。
「うお、ライアントか、ここ。よう、サダン」
親父は、サダンに向かって軽く片手をあげた。
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