——— 〇 Tina
「お腹空いたでしょう。もう夜ご飯の時間よ。今日は店も閉めましょう。私の腕の見せ所ね!」
曄は立ち上がり、鼻歌を歌いながら巨大な身体をキッチンへ移動させた。
「そうじゃな! せっかくの客人だ」
と、芙炸は居酒屋の方へ向かうと、玄関の鍵を閉め、窓のカーテンを閉じた。
曄の手によって、短時間で料理の品があれよあれよとテーブルに並ぶ。全てが大盛りの、様々な料理の匂いが智奈たちのいる空間に漂う。
テレビの中でしか見たことの無い大きな海老や、知らない名前の動物の肉詰めピーマン。更にはローストビーフの見たことも無い葉っぱ添えなどなど、第一の世界で知る一般的な材料から、知らないものまで数多くの料理が並んだ。
「わあ美味しそう!」
クズネが、料理から料理へぴょんぴょん飛び回る。
「クズネなら大丈夫ってわかってても、ちょっと身構えるよな、蜘蛛が一回乗った料理って」
霧亜が、料理を飛び移るクズネを見て生唾を飲んだ。
「失礼しちゃう。美味しそうよ、頂きましょ」
ナゴもアズもクズネも、テーブルの上で智奈たちと同じ料理を、それぞれの器から食べる。
獣化動物は、アヒロのペットのように決められた餌がない。餌というと、彼らには失礼に値する。獣化動物は、契約者である者に仕えている形にはなるが、ほぼ対等な立場なのだ。
智奈たちも、席に着いた。
「こっちの世界でも、牛豚鳥は食べるんだね」
智奈が曄の料理に舌鼓を打ちながら、小声で言うと、霧亜が答えた。
「種類違うだろうけどな。向こうの世界にあるものは基本なんでもあるよ」
芙炸と曄には、アヒロに智奈がいたことは伝えていない。
「まだあるから、食べれるなら言ってね」
曄は嬉しそうに言った。
「まだいけます」
霧亜の即答に、能利は眉を顰めて霧亜を見た。
「そんな食うのか、お前」
「孤児院の料理、おかわりできなかったじゃん。めっちゃ我慢してたんだ」
言いながら、霧亜の口へと掃除機のように料理が吸い込まれていく。
曄の美味しい手料理を頂き、霧亜の大食いを見て曄は次々と嬉しそうに腕を振るう。
芙炸と能利は、体術についての論議を酒を交わしつつ口を回す。
智奈は、満腹になってからは、曄と一緒にキッチンに立ち、霧亜に吸い込まれていく料理の作り方を教わった。
「嬉しいわ、子供が一気に増えたみたい。まだメネソンにいるつもりなら、是非泊まってちょうだい」
曄が、たくさんの料理レシピをマスターした智奈を抱きしめる。曄の胸や腹に埋もれるのではというほど、きつく抱きしめられた。
寝室は、空き部屋が二つあるということで智奈と霧亜は同じ部屋へ。能利は別の部屋を借りた。
かなり飲んだのか、能利は、少し足取りがフラフラとして、眠そうな目をしている。
「飲みすぎだぜ、お兄ちゃん」
霧亜が能利の頭を叩いても、能利は、んー、としか反応をしない。
それを好機と、霧亜は嬉嬉として能利にあてがった部屋に能利を連れ込むと、ベッドに彼を放り投げ、能利の上に馬乗りになり、身体中をまさぐり始めた。
「な、何やってんの」
イケナイものを見せられていると判断した智奈は手で顔を覆う。
「智奈、指の間からガン見してる」
呆れたナゴの声が首元から突き刺さる。
「旦那が能利さん襲ってるっスー!」
アズも智奈と同じポーズで窓枠から二人を凝視する。
アズの頭の上にいるクズネは、ため息をついてそれを見守った。
「ちっげーよ! こいつ体術すごいじゃん、しかも火の性質の。だから観察。———え、こいつオレより筋肉ありそうだな。瞬間的な力を出すものなのか。確かに、師匠に教わった隼波水より、爆発力って感じの体術だったもんな……」
霧亜は能利の腕や足を持ち上げたり、胴回りを観察してぶつぶつと呟く。
まさぐられている間、能利は全く起きることなく、気持ちよさそうにすよすよと寝続けていた。
満足いくまで能利を観察し終わった霧亜は、能利の頬をぺちぺちと叩いた。
「なあ、能利。火の性質の体術って名前なんていうんだ」
「……火吼獅」
もぞもぞと寝ぼけまなこの能利は、ぽつりと呟いた。
「ひぼうし? 強そうな名前。能利、今度また手合わせしてくれよ」
能利が、ぼんやりと目を開けた。
「……手合わせな……やろう」
突然、霧亜が背中から壁に打ち付けられる。
智奈は驚きで言葉が出なかった。
能利が、ベッドから半身を起こしていた。霧亜を突き飛ばした肘を、ぽとりと脱力させる。
ぼんやりとしていて、しかし口元は微笑みを浮かべてる。うっすら開いている瞳が智奈を捉える。じっと見つめられ、それからゆっくりと壁に激突した霧亜へ視線を移す。
「パンプキンパイにチョコミント……綿あめにブルーベリー……」
「は? 何だって?」
壁に突き飛ばされた霧亜は、咳き込んで顔を上げ、眉を顰める。
「なくならないうちに、全部独り占めしなきゃ……」
目で追えないほどの速さで、能利は霧亜に殴り掛かった。
「おい、今手合わせしろなんて言ってねえよ! 酔っ払いすぎだぞ、お前!」
応戦する霧亜は、なんとか能利の体術の攻撃を受け流している。
「あー……まったく」
クズネが、アズの頭からぽてりと床に降りた。かさかさと素早い動きで能利に近付くと、能利の手に噛み付いて獣化する。
部屋に、巨大な大蜘蛛が姿を現した。
智奈は恐ろしさのあまりその場にへたりこんでナゴを抱きしめる。
獣化したクズネは、能利を即座に八本足の内四本で、手慣れたように能利を拘束する。
能利も、クズネに拘束されると、大人しく捕まり、暴れる様子はない。が、物欲しそうに智奈と霧亜を見ているのは変わらない。
「能利、酔うと幼児退行して、人間もデザートに見える、気狂いの甘党になるの。ごめんね、あたしが責任をもってこの部屋に閉じ込めるから! 二人は安心して寝てね!」
能利を拘束したままフルフルと手を振ると、クズネは智奈たちを部屋から追い出し、扉を閉めた。
「ただの甘党の目じゃなかった」
「捕食されるかと思った」
霧亜が、ぷるりと身体を震わす。
「クズネには、あんまり獣化してほしくないな。二年生なのに、禁じられた森であいつらよく頑張ったな」
「その物語、魔法のやつでしょ? ちょうどそこから怖くて読んでない」
「お前、それはないわ。名作中の名作シリーズだぞ。最後とか、マジ結婚しよってなるぞ」
「聞こえてるわよ、アヒロオタク!」
壁の向こうから、クズネの怒鳴り声が聞こえる。
ごめんなさーい。と智奈と霧亜は聞こえるように謝り、与えられた部屋に戻ってベッドの就寝準備を始める。そこにはベッドとソファーがあり、智奈とナゴはベッド、霧亜はソファーで寝ることが決まった。そして窓枠にアズだ。
「霧亜って、すごいあっちの世界の文化詳しいよね」
智奈の知っている作品から、全く知らない作品まで。おそらく、壮介たちといち早く仲良くなれたのも、アヒロの漫画、映画、ゲーム、小説を霧亜が知っていたからだ。
「お前がアヒロの日本にいるって知ったから、色々調べてたら面白くて好きになった。バベルでも、アヒロの文化は伝わってるぜ。バベルより、文化の違いってのが幅広いからな」
なるほど。智奈のせいで霧亜はアヒロオタクになったわけだ。
明日は、無事にラオが帰ってきますように。
ナゴを抱いて、智奈は眠りについた。
「おい、密告があったのはこいつらだよな」
「他の部屋にもいるぞ」
「こみえはこいつだけじゃないか?」
「いい、とりあえず全員ひっ捕らえとけ」
寝ぼけ眼の智奈の耳に聞こえてきたのは、裏切りの声だった。
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