——— ◆ Kiria
消えた黒いコートの男に負けた、絢香の両親。絢香は、呆然とその姿を見ている。両親と、絢香の周りを見廻が囲んだ。
母親は自分を治療したのか、ふらりと立ち上がると、絢香に駆け寄って跪き、絢香を抱き締める。その周りに、見廻によって、魔力行使を妨害する魔法陣が生成された。これで、もう母親が魔術を使えることはない。父親は、地面に磔にされたまま、体術師の見廻がより動けないように組み伏せている。
見廻が家族を取り囲む、ショッキングなシーンが出来上がる。
「混血と差別されない世界で、ただ暮らしたかっただけなの。 お願いです。この子は、記憶を消してもいいからこっちの世界で生きて欲しい。あんなところで育てたくはない」
母親の、悲痛な叫びにオレは全身に鳥肌が立った。
「混血人種の亡命は重い罪だ。ちゃんと償え、バベルでな」
見廻に連行され、三人はこの世界から姿を消した。最後に見た、絢香の助けを求めるような顔を、オレは眺めることしかできなかった。
数人、まだここに残っている見廻は、公園に転がる仲間の死体を次々と燃やして弔っていた。骨も残らず全て塵になり、風に飛んでいく。
オレが入世書を見せ、黒いコートの男に悪態をついた見廻の男が、近付いてきた。
「大丈夫か、もう安全だ」
オレは智奈たちを守っていた水の膜を解放する。大量の水がばしゃりと地に落ちた。
「見てたぞ。あの状況で、よく母親と戦おうと思ったな。魔術には自信があるのか?」
「なくはない」
見廻の男は豪快に笑い飛ばした。
「悪いが、君の名前だけ教えてくれるか」
「暁乃霧亜」
見廻は目を見開いた。
「暁乃一族か。どうりで」
見廻の反応は、向こうの世界ではよくされる反応だ。暁乃一族は、魔術で非常に強い一族として名が通っている。暁乃と言えば、基本ほとんどのバベルの人間は知っている。
「にしては珍しい髪色してるな、坊主」
オレははっとして地面に残る水たまりに自分を写した。白に近い金髪と、深めの青い目。日本に合わせて外見を変えてたが、元に戻ってた。
暁乃一族は、智奈のような、栗色のような淡い茶色が一般的だ。この白に近い金髪は、母親譲り。
「母さん、こみえだから」
オレが言うと、見廻は改めて目を見開く。
「こみえって、あの伝説のこみえか? 本当に存在したんだな、初めてお目にかかった」
と、じろじろとオレの髪を観察する。
おやじにじろじろ見られて気分のいいもんじゃない。こみえってのは、母さんの一族だ。
白銀のこみえ。っていう通り名があるくらい、有名なのがこの銀髪のような髪色。そして戦闘狂として名を馳せているが、一族自体の数も少なく、伝説とされているらしい。混血として、隠されて育ったから、一族の皆様のことをオレは他人事でしか知らない。
オレと智奈は、魔術と体術の両方に秀でた一族の血を持つサラブレッドってわけだ。このおじさんにとっては、魔術を使ってたオレは、混血人種として体術を抜いたと思ってるんだろうけど。
見廻はがしがしとオレの頭を撫でる。
「ご両親を誇れよ、少年」
と、手を離した。
見廻は懐から小さな手のひらほどのメモ用紙を取り出す。智奈の頭にそれを押し当てる。メモにじんわりと赤いインクの魔法陣が浮かび上がった。
「この記憶は、亡命事件の捜査のために預からせてもらうぞ」
同じ作業を、康太と壮介にも施す。
もう、この三人にはあの恐ろしい記憶はない。アスレチックの山の上で駄菓子パーティーをしていた途中までで記憶が終わっているはずだ。
「家、帰れるか?」
見廻は、まだ姿を消さずにアフターフォローをしてくる。
オレがうなずくと、見廻はもう手持ちの話題と質問が出てこなかったのか、大きく息を吸い、吐いた。
「また、何かあったら、すぐ来るから、笛を吹くんだぞ」
見廻はそう言ってもう一度オレの頭をガシガシと撫でると、姿を消した。
オレは地面に横たわる三人を見る。
疲労が体中を駆け巡り、数分間何もできなかった。鉛のような重い感覚と、安堵。そして罪悪感が、じんわりとあたたかい蒸気のように足元から這い上がってくる。
オレは、絢香の母親が言う、“あんなところ”に、智奈を連れて帰ろうとしている。
バベルの人間なのだから、向こうに帰るのが当たり前だと思ってた。
それが、オレ達にとっては普通だから。オレは、イレギュラーから抜けて、周りの兄妹と同じように暮らしたかった。だけど、こっちで人生のほとんどを暮らした智奈にとって、オレの存在がイレギュラーで、バベルに帰るということが非現実的なんだ。
しかも、オレたちは『混血人種』と呼ばれ、差別される側の人間となる。見つけられた瞬間殺されるなんてことはないが、昔の差別は数十年たった今でも、根付いたものはなかなか抜けない。
空を見上げると、もうだいぶ暗かった。
帰らなきゃな。
多少魔力が回復して、オレは頭と目の色を元に戻した。
その数分後に目覚めた智奈たちは、本当に何も覚えていなかった。なぜ自分たちが寝ていたのか不思議そうにしてたが、缶蹴りをしていて疲れて寝たことにしてどうにか信じ込ませた。
公園を挟んで反対方向に家がある康太と別れ、壮介と三人で帰り道を歩いた。
こんな遅くまで遊んだことがなかったようで、智奈は本当に楽しそうに、壮介と話して帰路を歩いている。
オレたちの家の向こうに壮介の家がある。壮介と、オレたちの家の前で別れた。
また遊ぼうね。
智奈は壮介にそう言った。当初の予定だった、壮介のポジティブキャンペーンは成功したようだった。
家に帰り、今日の楽しかったことを風呂の準備をしながら智奈はまだ口が止まらない。本当に楽しそうにしてる。
向こうの世界にこいつを連れて行って、この笑顔を変わらずに残してやれるだろうか。混血と差別される世界で。元の世界に戻りたいと、泣かれたらどうしよう。
バベルと、アヒロを行き来することは、容易じゃない。オレの力だけで戻してやれる術はない。
あの母親の必死な表情が、今まで意気込んで、帰ろうと智奈を説得しにきたオレの覚悟を鈍らせる。母さんの、親父がいなくなってから憔悴していった姿が頭をよぎる。
母さんは、本当は自殺だった。
親父が智奈を連れていなくなっても、母さんは元気な姿をオレに見せていた。でもやっぱり、限界だったんだろう。母さんは、毒を飲んで、家の中で倒れていた。
今でも、あの姿は脳裏に焼きついて離れない。信じられないけれど、オレは母さんの死んだ姿を見つけた第一発見者だ。さすがに、智奈にそれを伝えられなかった。
もう……もう、家族を失いたくはない。
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