——— ◯ Tina
「絢香、ダメだ」
壮介が、動揺を隠すように拳を握り締め、絢香を睨んでいる。
「智奈、あたし知ってたよ。智奈が転校してきた時から、智奈のおばさんとおじさんが、本当の親じゃないって」
絢香の言葉に、智奈の心臓が跳ねた。
智奈本人でさえ、つい数週間前に、霧亜から聞いた事であるのに、何故絢香が知っていたのか。
「そのことも、いつか話してくれるかなって思ってたのに。霧亜くんのことだって、いつか話してくれるかなって思ってたのに」
ざわりと、あの夜の記憶がよみがえる。あの時に感じた動物の勘が、危険だと騒ぎ立てる。
「なんの事……?」
智奈の言葉に、絢香は泣き顔を上げた。
智奈の全身の毛が逆立ち、遊具から逃げようと足を踏み出す。
「逃げろ!」
霧亜の叫びが聞こえる。
「壮介と一緒にいちゃいけないの!」
絢香の喉から出たとは思えないほど大きな声とともに、風が吹き荒れ、智奈たちは遊具から吹き飛ばされた。
公園の木が弓のようにしなり、地に固定されているはずの遊具がぐらつく。
智奈は後ろに数メートル吹き飛ばされた。目に入った鉄棒を両手でつかみ、ぐるりと回って地面に着地する。自分の行動に、自分自身が驚いた。こんな咄嗟にアクロバティックな動きができると思っていなかった。
辺りを見ると、康太は公園の端の柵に激突したのか、気絶している。壮介は飛ばされて滑り台にぶつかったようで、滑り台の下で呻いている。ここから見える限りでも、壮介が頭から血を流しているのが見えた。霧亜は、壮介の隣で身を低くして絢香を睨みつけている。身体は無傷そうだ。
「霧亜!」
智奈が霧亜に助けを求めようとしたのと、絢香が更に金切り声を上げるのがほぼ同時だった。
無我夢中の顔で霧亜が智奈の方に飛び込んでくる。
突然目の前が熱く、眩しくなり、智奈は目をぎゅっと瞑った。
ガラスの弾けるような、甲高い音がこだまする。バケツの水をひっくり返したかのような大量の水が上から降ってきた。
濡れた布で息が出来ず、咳き込んで智奈はそろりと目を開けた。
智奈はしっかりと霧亜に抱き締められ、視界は霧亜の黒いパーカーで覆われている。智奈の目の前に、いつも霧亜が付けている六芒星のペンダントが揺れている。
肉の焦げた匂いが智奈の鼻をつんざいた。顔を上げると、突き出した霧亜の手は肘の方まで真っ赤に火傷し、煙を上げていた。
「いって。なんだ、あの魔力」
霧亜は智奈を抱き締めていた左手を離すと、火傷した右手に左手を押し付けた。
映画の早送りを見ているような感覚だった。手をつけた場所から火傷がみるみる治っていく。
霧亜の肩から顔を出すと、壮介が痛む頭を押さえながら、唖然と智奈たちの方を見ていた。
絢香は赤黒い靄を背中に携えながら、ゆったりとこちらに近付いてくる。
ふう、と霧亜が息をつくと、壮介に顔を向ける。
「壮介! 智奈に怪我させたら絶交するからな」
そう言い残すと、霧亜は智奈の前に毅然と立ちはだかり、絢香を見据えた。
絢香の周りの靄から生まれる無数の火の玉が、霧亜に向かって野球の球のように一直線に飛んでくる。
霧亜は手を地面につけると、地表から噴水のように水が吹き出し、絢香から放たれる火球を防ぐ。
「やめとけ、絢香! その様子じゃお前、大した魔術使えないだろ」
「使えるもん!」
絢香の靄から、さらに大きな火の玉が生まれ出てくる。
ため息をついた霧亜は、絢香の方へと走り出した。
霧亜は高跳びの選手かのような高さまで飛び上がり、両手をめいいっぱい上げると、絢香に向かって振り下ろした。何もなかった空から、大量の水が滝のように溢れ出す。
霧亜の水が、絢香の大きな火球に当たり、絢香の目の前が爆発した。すると、爆発で生まれた白い煙から絢香の姿が飛び上がって出てきた。重力で落ちてくる途中の霧亜まで近付くと、霧亜の腕を掴んで、公園の端へと投げ飛ばす。
智奈は、ファンタジーでしか見たことの無い光景が、目の前で行われていることに驚きを隠せない。しかも、あの人間離れした映画のワイヤーアクションのような跳躍、絢香のような小さな少女が、自分より体格の大きな男子を投げ飛ばす様。そんなこと、可能なのか。
投げられた空中で、霧亜は足元に手をかざすと、氷の壁が現れた。その壁を蹴って絢香の元へ戻り、空中で前転をすると、絢香の頭にかかとを落とす。
霧亜と絢香の周りを水が覆った。水の向こうで、霧亜と絢香が交戦している姿が、ゆらゆらと見える。
ふらふらと、滑り台から移動してきた壮介が智奈の隣にしゃがみ込み、智奈の肩を抱き抱えた。
「どうなってんだ」
壮介の腕はカタカタと震えている。
「き、霧亜はバベルってとこの人で、魔術ってのが使えるんだって。だけど、なんで、絢香まで———」
壮介の震える手が止まった。
智奈が笛から口を離した時、壮介はばたりとその場に倒れ込んだ。智奈は倒れた壮介を見て、息が止まる。
後ろから、肩に手を置かれた。 驚きのあまり、智奈はそこから壮介を置いて犬のように飛び退く。
智奈の肩を叩いたのは、黒いコートにフードを深くまで被った、住宅街で智奈たちに声をかけてきた男だった。しゃがみ込んで智奈と目線を同じくし、口元に人差し指を立てて静かにするよう、智奈に促してくる。
智奈は、息が苦しくなり、胸に手を当てて必死に息を吸った。訳の分からないことが起こりすぎている。息を吸っても吸っても、上手く肺に空気を送り込めない。早すぎる空気が、口から入り続け、余計に苦しくなる。
男は智奈の頭に、優しく手を置いて撫でる。
智奈にはもう、それを振り払う余裕がなかった。
男は立ち上がって霧亜たちの方に顔を上げ、智奈の前に立ち塞がる。
不思議と、息が正常に呼吸できるようになってきた。
「よく頑張ったな」
突然目の前が霞みだし、水浸しになりながら絢香の攻撃をかわす霧亜を薄目に、智奈は気を失った。
甲高い笛の音が、遠くの方でで聞こえた。
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