——— ◯ Tina
智奈の両親、光谷功路と光谷レンミは自分たちの座っていた席に智奈と霧亜を座らせた。
夫婦の向かいに、兄妹が座る形。ナゴは、智奈の首から降りてテーブルに寝そべっている。
「まさか、本当に会えると思ってなかった。信じられない」
レンミは嬉しさからか、ずっと智奈の手を離さない。智奈のさっきまで流れていた涙を指で拭い、濡れた頬を両手で包む。
智奈も、嬉しさで顔が緩んだ。
「ナゴも、久しぶりね」
レンミがナゴの頭をかく。ナゴは尻尾を大きく揺らした。
「弥那と、霈念の取り合いしてたあんたも、こんなおっきくなるなんて。もうおばさんじゃない」
レンミは声を上げて笑った。
「やだー! やめてよナゴ、そんな昔の話」
まるで近所のおばさんたちの井戸端会議だ。
呆れた顔の功路は、霧亜に向き直った。
「君が、霧亜君かい?」
功路が、テーブルを挟んで目の前に座る霧亜ににこりと微笑む。
「はい」
霧亜は、こくりと頷いた。
「智奈と一緒に居てくれてありがとう。少しの間でも、智奈を一人にしてしまったことを許して欲しい」
功路が智奈と霧亜に向けて、頭を下げる。続けてレミも、頭を下げた。
「突然姿を消して、本当にごめんなさい」
霧亜は慌てて二人に顔を上げるよう伝える。
「待って、何でナゴやオレのこと知ってるんすか」
訊かれた功路は、ゆっくりと瞬きをする。
「私たちは二人とも、霈念の旧友なんだ。彼が先輩に当たるかな。君のことは、生まれた時から聞いていた。会うのは、はじめましてだけれどね。私たちは、アヒロに駐在する見廻として、向こうで暮らしていたんだ」
「じゃあ、公園のことも……」
霧亜が小さな声で言うと、功路は頷いて人差し指を口に当てた。
「大丈夫。知っているよ」
智奈が首を傾げて霧亜を見るが、霧亜はなんでもないと首を横に振るだけだった。
「親父を知ってるってことは———」
「もちろん、弥那ちゃんと、サダンくんも知ってるわ」
レンミが嬉しそうに言うと、テーブルの上のナゴの首を撫でる。
「ほんとに、久しぶりね」
ナゴはごろりと回って腹を見せた。
「昔会った最後は、結婚するしないで功路と大喧嘩してる時だったわよね」
にやにやと功路とレンミを見るナゴ。
二人は恥ずかしそうにはにかんだ。
霧亜は智奈に目を向け、少し何かを悩んだ末に口を開く。
「なんで、智奈を育ててたのか、なんでいなくなったのか、聞いてもいいですか」
功路は少し悩むように口を噤み、息を吸った。
「霈念に頼まれたんだ。智奈を、育ててくれって。突然現れて、そう言い残して、霈念は姿を消してしまった」
「それだけで……?」
智奈は、ふと言葉が出てきた。
「人の子でしょ?」
「突然ではあったけれど、大事な友人の託した大事な子だ。育てようと決意したのは、生半可な覚悟ではないよ」
功路は智奈の目をしっかりと捉えてきた。
「こんなことにならなかったら、一生智奈と一緒に居るつもりだったわ。智奈の成人した姿だって、お嫁さんの姿だって、私、孫のいるおばあちゃんになるのが夢だったんだもの」
レンミが智奈の手を掴んで言った。
「じゃあなんで居なくなったの」
智奈は、レンミの手からするりと抜ける。今更、二人が突然消えたことへの怒りが込み上げてきた。
レンミは離された手元を悲しげに見つめた。
「智奈が、不法入世していたことがバレそうだったんだ。霧亜くん、君のおかげでね」
呆れたような顔でにやりと笑う功路。
突然振られた霧亜は目を瞬いた。
「オレ?」
「君が、異例の未成年入世をするとなって、アヒロにいる見廻はかなり警戒したんだ。特に、君が転移先に指定した地域周辺をね」
もちろん、霧亜の転移先というのは、智奈の家や学校の周辺に当たる。その地域に住む見廻の夫婦に、出生歴のない子供がいることが明るみに出るのも時間の問題だった。
更に、智奈は力の抜かれていない混血人種。見廻にバレれば、智奈は強制的にバベルへと拘束、連行されてしまう。
それを避けるために、夫婦はアヒロから姿を消し、バベルに戻ったという。
智奈の命を守るために。
「霧亜くんがアヒロに来ることは、また突然現れた霈念に聞いたんだ。まさか、こんなに早くこっちに転移していたとは思わなかった」
霧亜は、困ったように首をかく。
「オレたちも向こうで色々あって」
「霈念さん、智奈がこっちに来てるって知ってるなら教えてくれればよかったのに」
レミが、どこかにいるのではときょろきょろ辺りを見回す。
「今度会ったら殴っときます」
霧亜の決意表明に功路は笑った。
「よろしく」
「智奈、こっちの世界はどう?」
レミは、なんの悪意もなく聞いてくる。
その言葉に、霧亜の肩がビクリと上がったのを智奈は目の端で見つける。
ヤクザの人達に襲われて、世界を転移した時の、ナイフが腹に刺さっていながらも自分のことより智奈の心配をする霧亜を、思い出す。
実際、智奈は今、その答えが出ない。この世界は楽しい。経験したことのない事の連続で、怖いこともあるけれど、霧亜が守ってくれる。
もちろん、帰りたい気持ちもあるからこそ、霧亜の四神の調停者の旅について行って、願いを叶えてもらおうとしている。
でも、もしアヒロに帰ってしまって、バベルに来れなくなるのだとしたら。今、智奈は大いに悩むことだろう。
「たの、しい。この世界を、もっと知りたい」
純粋に、今思う気持ちを母に伝えた。
レンミはにこりと微笑む。
「良かった」
功路は智奈の頭に手を置く。
「どうしても、今すぐにでも帰りたいって思ったら、見廻である立場を使って、どうにかして向こうに連れ帰る気持ちもあったんだ。犯罪を侵してでも、智奈のためならね」
この二人はもちろん成人していて、正式な手続きを踏めばアヒロへ行くことは可能だ。未成年者を連れての転移も、政府が承認している。
だが、智奈は正式な手続きを踏むと、見廻に混血であることがバレる。それを隠してでも、両親は智奈をアヒロに戻す覚悟がある、と言うのだ。
霧亜は、サダンによって違法ルートギリギリで世界を行き来したため、政府に絡んでいない。だから、混血である霧亜も、アヒロに行けたし、智奈を連れてバベルに戻ることが出来た。
レンミは、智奈の手を優しく、壊れ物のように包み込む。
「ここは、学校の友達もいなくて、育った場所でもないけれど、あなたの故郷であり、あなたの家族がいる場所でもあるの。魔力と体力を持って生まれたのが、在るべきあなた達。あなたが居ていい場所なのよ」
レンミの言葉が、ストンと智奈の中に入っていく。つっかえた物が落ちたような気分だった。
アヒロから来た、この世界のことを何も知らぬ、別の世界の住人。
『混血人種』と呼ばれ、法に触れる存在であること。
ここに居ていいわけがないと思っていた。
本当のお父さんである霈念が、どうして智奈をアヒロに連れ去ったのか謎のまま。だが、智奈がこの世界で生まれ、兄である霧亜が、本当の父親である霈念が、ここにいることも事実だ。
「それにしても、どうしてあなたたちガンにいるの? 霈念さんたちのお宅ってライルよね。こんなはるばる、船で来たの? 火山噴火は見た?」
穏やかな母親から切り替わり、興奮気味にはしゃぐレンミの口。
「噴火、すごいおっきくて綺麗だった」
智奈が言うと、レンミは嬉しそうに笑った。
「船より大きい噴火見れた? 実はあれ、大噴火はなかなか見れないのよ」
ふふふ、と得意げに話すレンミ。
智奈は懐かしさで胸がぐっと縮んだ気がした。この母の質問責めと、常に穏やかな父の口調。二人がいなくなったのがついこの間のようにも感じるし、色々なことが起こりすぎて、随分前のようにも感じる。
「オレたち、四神に会うためにここに来たんです」
「四神って、あの神獣の伝説の?」
レンミは首を傾げる。
霧亜はうなずいた。
「なんか、ここの言い伝えとか、ないですか———」
霧亜は、二人に四神の調停者の話を伝えた。
「———で、マンダの森に行って青龍に会えたんです」
二人の目はまん丸に見開かれている。この世界では、四神は伝説としてだけ言い伝えられていて、本当に存在すると思われていないらしい。両親の反応は、楼斗と同じものだった。
ちょうど霧亜の説明が終わった時、智奈の首にかかる六芒星のペンダントが光に反射してきらりと光った。
手のひらサイズほどの光る鱗が智奈の目の前にぼうと現れると、オーロラのように揺れ動く美しい鱗から、小さな青い龍がぬるりと出てきた。
ナゴの隣に降り立つその姿は、ナゴよりも小さく、青い小さな鱗一枚一枚が玉虫色に輝いている。
ナゴは驚きで固まっている。尻尾が小さく、ピクピクと動いている。一緒にいてわかってきた。このナゴは、緊張している。
「かわいい」
そっと智奈が龍に指先を差し出すと、ナゴは柔らかい猫パンチで止めてくる。
「やめなさい、失礼よ」
「よい」
青龍の声なのか、小さな身体にそぐわぬ、低く何重にも反響しているような響く声がする。
すると、智奈の差し出す指先に、龍は顔を近付けて鼻を触れさせた。そのまま首をかいてやると、龍は気持ちよさそうに目を瞑る。
ナゴは、小さな口をあんぐりと開けっ放しに青龍と智奈を見つめている。
「これが、青龍さん? 四神の伝説って、本当だったのね」
レミは自分の娘に撫でられている青龍をまじまじと見た。
「私の姿を見るのは初めてだろう、女子。お前は気を失っていたからな」
霧亜から聞いた。謎の男女と幼女に襲われ、ナゴに助けられた後。霧亜たちの前に大きな青龍が現れ、智奈を守るため、霧亜が智奈に調停者の権利を譲渡した、と。そして鱗を渡され、次の四神の所に向かうよう言われたこと。
智奈が目を覚ましたのは、一度ライルに戻ってきてからのことだった。
「なんだ、出れるのかよ」
「出れないとは一言も言っていない」
霧亜の言葉に鼻をふんと鳴らす青龍。鼻から小さな電撃が、青龍の周りをバリバリと跳ねた。
「この四神たちに会いに、智奈は、霧亜くんにこれからもついて行くのね?」
母の言葉を、智奈は心の中で復唱させる。
「うん!」
智奈は大きく頷いた。
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