——— ◆ Kiria
オレの箸が止まった。
口の中に入っていた美味すぎるカツレツを飲み込んで、オレはどう切り返そうか考えた。壮介がバベルのことを知ってるってことは、当然、爽子さんも知ってるってことだよな? 栗木組ってのも、バベルの人間なのか? 類が友を呼びすぎてねえか?
はぐらかした方がいいのか、認めた方がいいのか。すでにこの箸を止めて間を空けてしまったことではぐらかせる余裕がなくなってる。
爽子さんはふふっと笑った。
「ごめんな、困らせるつもりはないんよ。ただ、まさか界隈で噂になってた学校に潜り込んでるていう、バベルのやんちゃ坊主と、壮介が仲良くなると思わんやん。偶然というか運命というか」
はぐらかす方向はなしにした。
「何で、知ってるんすか」
「栗木組———というかヤクザと名のつくもんはな、昔からバベルとの橋渡し的な存在なんよ。裏の世界の人らはそういう役回り多いねん。でも、私らは魔術も体術も使えんアヒロの世界の人間や」
だから、壮介もバベルのことを知ってたのか。家業だから。絢香と壮介には、共通の隠し事があったってわけだ。
それに、と爽子さんは歯を見せて笑い、オレの背中をばしっと叩く。
「私、幽霊よく見えんねん。君のでえかい魔力がだだ漏れしてるのもよおく見えとります」
アヒロでも、オーラが見えたり、幽霊が見えたりする人がいる。見えているもの、幽霊の類はつまり魔力だ。死後、魔力が具現化して見えてるだけ。
オレは普通の魔術師より魔力が多いらしい。見える人からすると、だだ漏れなのはさすがに恥ずかしい。魔力が見える人もいれば、見えない人ももちろんいる。オレは見えない。
「壮介を救ってくれた子が、そっちから来てくれるなんて前世でどんだけ徳を積んだんやろか」
そこまで言うと、爽子さんは母親の優しい瞳でオレを見つめてくる。
手を伸ばして来たかと思うと、しっかりと抱きしめられた。
オレはどうしていいのかわからず、ご飯もテーブルに置けずに硬直する。数秒無言だった爽子さんは、更にぎゅっと腕を締めてくる。
「壮介を、救ってくれて、ありがとう。壮介には、公園の出来事は伝えてへんよ。君の勇敢な判断は正しい。あやちゃんが、混血人種とバレてバベルに帰ったってことだけ、昨日伝えたんよ」
オレの耳元で、爽子さんは壮介に聞こえない音量で囁いた。
オレの心臓が、どくんと跳ねる。
この人の言う壮介を救ったとは、友達になったことじゃない。この人は、絢香との、あの公園での惨劇の一部始終を知ってるんだ。
「幼馴染みやけど、康太はバベルのことは何も知らない、アヒロの子よ。あやちゃんはなあ、特別なことを隠さなければいけない、アヒロの人間として生きるのが辛くなってたみたいやね。壮介も、事情は知ってるんやけど、特に自分の力を隠すことはないやろ? 同じ境遇であるはずのその違いが、嫌やったんやろうねえ。そんなとこに、ぽんぽこ魔術を使う霧亜くんが現れたら、そりゃもう、気付いて欲しくて、霧亜くんにちょっかいを出してたんと違うかなあ」
やっぱ、絢香だったのか。オレの虐めの主犯は。そして、絢香と全く同じ境遇のはずの壮介が、オレと仲良くなることがいい気分じゃなかった。
「俺、運悪くて。ちょうど絢香がいたずらをするとこに遭遇しちゃうんだ。それで、犯人にされちゃうっていうか」
「こーんな悪いめつきしてる坊主がいたら、そりゃ犯人にしたくなりますやんなあ」
ころころと笑う爽子さん。自分の息子をそんな言い方していいのか、爽子さん。
「あやちゃんの家族も、栗木組を頼って来てくれた家族なんよ」
も?
「智奈の家族も、栗木組を頼って、この街に来てくれたんだ」
「え、智奈の両親を知ってるってことか?」
爽子さんと壮介は頷いた。
「でも、突然連絡があったんだ。自分たちはアヒロにいることができなくなったって。そこから連絡つかなくなって、少ししたら、霧亜が転校して来た」
入世確認書類には、こんな記載がある。
『最注意事項。汝、バベルの者と悟られるなかれ』
転校してきた瞬間バレてたってことだ。なんか、掌の上で転がされたような感覚。
「兄ちゃん、アイスまだ?」
遥平が、階段を降りてきた。
オレと壮介、爽子さんは顔を見合わせる。
壮介が立ち上がった。
「ごめん、今持ってくから」
上では、三人で人生ゲームをしていたらしい。二回目の人生に入れてもらうと、圧倒的な金額差で、完膚なきまでに他を叩きのめしてオレが優勝した。流石に、壮介と智奈にはイカサマを疑う目を向けられた。いや、こんなたかがゲームでしねえよ。
次に、男子の腕相撲大会が始まり、壮介も康太も打ち負かしてオレが優勝し、今度は遥平から羨望の眼差しをもらった。
「お邪魔しましたー」
「霧亜また来てなー!」
遥平が大きく手を振る。
爽子さんと遥平が、玄関まで送りに来てくれた。
オレたちはヤクザさんたちの「お気をつけて」という行列に見送られながら栗木家を後にした。
「送ってくる」
と、壮介は靴を履いて出てきてくれる。
帰ることを伝えた時、爽子さんはまたオレたちを一人ずつ抱きしめた。最後にオレを抱きしめた時、耳元で「何かあったら、いつでも頼りにくるんよ」と囁いてくれた。
こっちの世界に、事情を知ってくれている大人がいるのはありがたい。離れたオレは深く頭を下げた。
帰り道、康太はひたすら、オレが爽子さんとの抱擁が長かったことに対して文句をつけてきた。
オレは康太の話を聞き流しながら、数メートル後ろで楽しげに話す壮介と智奈が気になっていた。ここ数日で仲良くなりすぎじゃね? ……別に、妹の恋沙汰に文句は言わないけど? 恋沙汰なのか知らんけど?
「あの二人、今度、二人で遊ぶ約束してたよ。買い物とか言って」
いつの間にか文句を終えていた康太がオレにすっと近付いてきて呟いた。
「え、いつの間に?」
お兄ちゃん聞いてない。
「壮介もやるよねー、学校でも顔ランク上位の智奈ちゃんをコロッと落とすなんて」
「お前も、智奈のこと前から知ってたのか?」
壮介の話があったから、思わず“お前も”と言っちまったが、康太は大して気にしていないようだ。
「去年、遠足の縦割りで班が同じだったんだ。めちゃくちゃ可愛いかったから、ずっと一緒に手繋いであげてたの俺なのにな」
その時から目をつけられていたわけか、恐ろしい。
「あ」
智奈が声を上げた。
振り返ると、智奈がワンピースのポケットから人生ゲームの駒を取り出した。自分が使っていた赤色の車に女ピン二本と男ピン一本が刺さった車だ。さっきの人生で、智奈は女の子の子宝に恵まれていた。
「壮介ごめん、持ってきちゃってた」
「ん」
壮介はそれを受け取り、自分の尻ポケットに入れる。
「智奈の大事な子供、ちゃんと家まで送り届けてくれよ」
冷やかし気味にオレが壮介に言うと、真正直にしっかりと頷かれた。
冗談の通じないやつめ。
康太はオレの隣で爆笑している。
辺りはだいぶ暗くなっていた。道に点々とある街灯が光り出す。
住宅街の細道だが、意外と車の通りは多い。帰宅のサラリーマンが乗っていたり、送り迎えらしき母親の運転手だったり。
銀塗りのバンがオレ達の前からこちらにむかって走ってくる。サングラスをかけた怖めのお兄さんと、いかつい顔の男が運転席と助手席に座っている。
ついさっきまでの体験で、サングラスのお兄さんが今までよりは怖い存在ではなくなっていた。あの車の人達がヤクザかどうかはさすがに違うだろうけど。
「今度俺も智奈ちゃんとデートできるか聞いてみよ」
「お兄ちゃん権限で阻止」
言ってから、口滑ったことに気付く。本当の兄だということは、智奈以外は知らない事実のはずだ。自分で思ってるよりも内心浮かれてるらしい。
「本当のお兄様だったらその権限行使してもいいよ」
康太は鼻を鳴らした。
本当のお兄様なんだけどな。
近付いていたバンがオレ達の横かなりギリギリを攻めてくる。
オレは康太の肩を掴んで壁に引き寄せた。結構ギリだった。
「あっぶな、ありがと」
「気をつけろー」
がらりとバンの扉が開く音。
「智奈!」
壮介の腹からの叫び。
オレが後ろを振り返ると、一人の男がバンに乗ったまま壮介の肩を掴んで腹に拳をめり込ませている姿が見えた。そしてバンから助けを求めてのびるか細い腕と白いワンピースの端が見えた。壮介は腹を抱えてうずくまり、さっきの食べたものを口から胃液とともに吐き出している。
バンは扉を閉めて急発進して去っていった。
おっと?
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