結局俺は神田と同じものを注文することにした。ただこの定食の〆に特盛蕎麦は食べられない気がしたのでそこは普通盛で。こいつ、とても体力あるようには見えなかったのに、あの険しい山道を嘘みたいに颯爽と歩くし、汗すらあんまりかいてなさそうだぞ。それに良く食うんだな。数年来付き合った友達でもまだまだ知らないことあるんだな。……そーいや、神田に会ったのっていつだっけ?
俺がぼんやり記憶をたどっていると、店のラジオからノイズ混じりの歌が聴こえてきた。
♪~
散る桜 残る桜も 散る桜
けれど想いは湖の上 水面を漂う とけることない 薄桃色の雪片
~♪
桜……。
「まいこちゃんの湖上の桜だねぇ~ いいねぇ~」
神田が流れる歌に合わせるように小さくハミングする。
まいこちゃん? 舞妓はん? あー……最近TVでよく見る人気演歌歌手の子だっけ?
「なになに? キミたちみたいにバンドとかやってると、芸能人に会ったりするわけ?」
俺はからかいと興味が4対5、そして残りの1割は自分で認めたくないような感情、それを気取られたくないと言うなんとも複雑な心境のわりに思った以上の軽い声で尋ねていた。
「ん~ 僕たち、別にデビューとかしてるわけじゃないからね~ そっち関係の人たちと会うことなんてそうそうないよ~」
神田は目をつぶって、って言うか、いつだって開いてるんだか閉じてるんだかわからない目で興味もなさそうに答えた。俺は自分でも驚くほどそれが気に食わなくて話を続けた。
「でも将来的にはデビューとか考えたりしないわけ? でもまあ、キミたちはそっち方面じゃなくて、まじめーに勉強して今の学部を進んでいけば安泰か。わざわざデビューだなんだって、リスキーな職業選ぶ必要ないもんな」
言いながら俺は自分の将来を考えていた。考えたが……空っぽだった。なりたい職業なんてイメージもつかず、やりたいこともない。ぽかんと浮いた将来と言う思考と同じく、ぽかんとした日々。その中をぶらぶらとしている俺。それを見つかって、のこのことここにいる俺。
「どうかな~ 僕らはきみたちより学校にいる時間も長いしね~」
神田はやはりのほほんと返してくる。
そうだった。神田たちとは一緒に入学しても卒業は一緒じゃなかった。
「そうだったな。いやーうらやましいぜ。就職活動、大変なんだぜ?」
俺は何を言っているのか、自分でもよくわからなかった。中途半端な虚勢じみた発言はなんなんだろう。目の前の神田はのんきを具現化したようでいて、未来は明るい選択肢が輝いている。空っぽな俺とは違う。俺は自分が嫌いな感情が俺を支配するような気がして、慌てて、だがその焦りを気付かれないように水を飲んだ。
「きみだって~ 学校に残りたければ院を受ければいいじゃな~い 大変だったら、しなきゃいいじゃない 大変ならね~」
神田は今度は俺の方を向き、少し笑いながらこたえた。俺は少し恥ずかしくなったが、やはりそれを気取られるわけにもいかず、ぐいぐいと水を飲んだ。
院に進むのもアリかもしれないが、目的をもって本当に先に進みたいやつらに混じって、ぶらついてる空っぽの俺が時間のばしに選択するべき道でもない気がした。
歌がフェードアウトして、交通情報と天気予報が流れ始めた。今年の夏は暑い上に雨が少なそうだとおねえさんの声が言う。
「暑くなるのか」
俺が誰に言うでもなしに口にしたとき、おじさんがよっこいせと定食をのせた盆を運んで神田の前に置いた。
「あんたもさ、来るならこんな暑い時期じゃなくて桜の季節に来られれば良かったのになあ」
「桜、ですか」
「きれいなもんだよ」
そういっておじさんは一度奥に戻り、今度は俺の盆を運んできた。
「桜か」
俺は、俺の前に食事を並べてくれたおじさんに礼を言い、そうだ、と思って命を回復させてくれたこの透明な液体のことを伝えた。
「この水、うまいですね」
「この辺は水がきれいでね。それ湧き水なんだよ」
「へぇ……湧き水……」
おじさんは新しい水のピッチャーを置いて「蕎麦はあとから出すよ」と奥へ戻っていった。
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