俺は熊への恐怖と鬼への畏怖と、なによりこの神田への甚だ不服ながらもじゃっかんの恐れを抱きながら必死に大声を上げながら歩き続けた。
どうせだったら「神田のバカ」とでも叫んでやればよかったが、そこは大人の人間として悪口雑言をこの大自然に撒き散らすわけにはいくまいと、断じてその後の仕返しを恐れたわけではない。
「神田……オニってなんだ」
「だから~ 蚊でしょ~ 蚊に食われたら困るでしょ~」
「鬼蚊なんているか?」
「いるかもよ~ だいたいきみは何をそんなに心配しているの~ 鬼なんていると思ってるの~」
何を心配しているかだと? 全てだ。俺は今この自分がおかれている全てを心配している!
「俺はな、都市伝説とか意外と信じちゃうタチなんだよ? このへん、鬼伝説とかあるんじゃないのか? こんだけの山なんだから」
「へぇ~ 科学信奉の専攻なのに~」
「科学を信じるからこそ、非科学も信じている。相反するものじゃないと思っているからな。お化けだって妖怪だっているかもしれん。そしたら鬼だって……うおっ!」
足を滑らせた。視界が弧を描くように頭上の木々の葉を映しもんどりうちそうだった俺は、近くのせり出した木の枝に背中をぶつけてゴツゴツした石の転がる地面への後頭部直撃を免れた。
「あっぶね……」
こんなところで頭部強打とか絶対イヤ。しかも近くにいるのがこいつだなんて絶対イヤ。
俺は体勢を立て直そうとしたがなかなか背中が離れない。荷物が枝にからまったらしく無駄にじたばたしてしまった。
神田はやれやれと言った感じで足をとめてこちらを見ている。
友人に手を貸すとかないの?!
ようやく離れた枝に、なんとなく「助けてくれてありがとな」と言って俺はまた歩き始めた。
「神田、お前、友達に手を貸すとかないの?」
「え~ 邪魔しちゃ悪いかな~って」
「なんの?!」
「ん~ きみのがんばり?」
「……神田」
「な~に~」
「次からはな、がんばりの応援担当じゃなく、実際に手を貸して」
「え~」
神田よ。そこは、え~じゃねえよ。お前、ほんとに友達なくすぞ。
俺は溜息をついて話を戻すことにした。いつかはこいつも人間の心がわかるかもしれん。
「で、どうなんだよ。この山、鬼伝説とかあるわけ?」
「こだわるね~ でも、もし伝説があったとしたら、あのおやじにからかわれたんじゃな~い? きみっていじりがいがありそうだから~」
「どういうことだよ」
「どうもこうもないよ~ きみってほんとに、なにも見えてないからな~」
「どういうこと?! 俺が自分を見誤っているってこと?」
「見誤っているっていうか~ う~ん 見えてな~い」
「だから、何が見えてないって……」
「はい~ 着きましたよ~」
俺の質問は、相変わらずののほほん声に掻き消された。
深く生い茂る木々の出口、明るい光の先には山に囲まれた小さな集落が見えた。
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