「俺、そろそろ行く。その布やるよ。あと傷にはヨモギとかオトギリソウを塗るといいってばあちゃんが言ってた。お前、わかるか?」
俺は全然わからなかったが、少年をこれ以上ここに留めておくわけにもいかないと、首を縦に振った。それを見て少年は満足したように「この辺に隠れるなら狼に気を付けろよ」と言って、足早に、振り返ることはなくそのまま沢を降りて行った。片足で立ち上がってしばらくその姿を見送っていたがふと誰かが俺の名を呼んだ気がして振り向くと、大きな獣がこちらをじっと見ていた。低い唸りが聴こえる。名を呼ばれたと思ったのはこの獣の飢えた音だったのか。俺はゴクリと喉を鳴らし、その金に光る凶猛な双眸に小さくなった少年の姿を見せまいと、じりと体を動かすと、獣が言った。
そんなことをしても隠したことになりはしない。どんな子供がいたかなど臭いで手に取るようにわかる。
俺が驚きに息を止めている間に、獣は滑らかな変身を遂げ、俺の前には一人の男が立っていた。
男はぐるりと辺りを見回し、狼の瞳と同じ色の目で俺を見下ろした。俺の足を見るなり呆れたような声を出す。
「君の食べた亡骸を追って来てみれば、またこんなに傷を、酷い傷まで作って。今度はなんだ」
男は当たり前のように俺に近づくと、戸惑う俺の目玉を覗き込む。目玉を通してその奥底、深淵までを覗くかのように。
兎か。独り言のように男は呟き小さく嘆息した。
「おいで。帰って傷の手当をしよう」
男は動けないままでいる俺の手を引いた。俺がつかまれた腕に力を入れると、振り向いた男は俺の顔に何か言いたげな表情を見たのだろう。
「声が出るまではもう少しかかるだろう。何せここを斬られたんだからね」
男は俺の首横一文字に走る浮き上がった傷に指を滑らし、そのままピタリと止めた。
「時間を持て余すと人間はろくなことをしない。退屈しのぎの戯れの破壊、試し斬りなどにいちいち付き合っていては、いつか本当に声を失くすぞ。付き合うといえばもうあの子に近寄ってはいけないよ。私は君が悲しむ姿は見たくない」
俺が何も言わないまま立ち尽くしていると、男は俺の喉に押し当てていた指を離した。
「さあ行こうか。三ツ山の主から借りたこの姿は便利だが昔程の力はもう無い。なんとも哀れなものだが、今の君を乗せて走るぐらいの力はある」
奇妙だが自然と思える変化で男はまた熊ほどの狼に姿を変えると俺の着物を咥え弾くようにその背の上へと放り、俺を乗せたまま力強く地面を蹴った。
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