遠くに水の音が聴こえた気がして目を覚ましてみれば、部屋の中はだいぶ光に満たされていて、随分とゆっくり寝てしまったものだと思った。そして。
痛い……。
昨日の痛みとはまた違う、鈍い痛みが体中のあちこちから湧き上がってくる。俺はやはり、んぎぎぎぎ……と、油の切れたブリキのような音を、体と、それから食いしばった口の奥底から響かせながらなんとか身体を起こした。
光の色は濃く、今日も夏日和な天気だろうと思わせたが、家の中はしんと静かに、そして心地よい冷たく滑らかな水のような空気に満たされていた。神田はもうとっくにあの小学生夏休み男子スタイルで出かけていったのだろう。
俺はもう一度、布団に寝転がろうと思ったが、また身体を起こすときの痛みに耐えることを思ってやめた。そういえば、神田から昨夜お願いされた返却物もある。
俺は痛む箇所をさすりながらのっそりと布団から出て、出かける準備をすることにした。
着替えて玄関へ出てみれば、昨日の網がそこに置かれていた。俺はそれを持ち、源五郎さんの家へ向かうことにした。
「源五郎さん家はどこですかねえ……」
夏の陽射しの中俺は一人呟いて、神田に言われた通り家を出て左に曲がりゆっくりと歩き始めた。ちょっと頼りなかったが、網を杖代わりにして。仕方ないだろう。身体中、痛いんだから。
……そう言えば。ここに来るときにあれだけ世話になった命の枝くん……どこやったっけ……。
すまん。命の恩人……いや恩枝よ。
立ち止まって考えてみたが、さっぱり思い出せない。俺は命の枝くんはきっとあの原生林の山へ帰ったのだろうと結論付けて再び歩を進めた。そう向かうは源五郎さん家だ。ここで立ち止まっていてはいけない。
ゲンゴロウ、ゲンゴロウ。そういや子供の頃、田んぼでゲンゴロウとったよな。結構でかいんだよな。あれ、今では絶滅危惧種になってるんだっけ?
ゲンゴロウ、あんなにいたのにな。幼虫もなかなかの姿で、ウルトラ怪獣みたいなやつだ。怪獣と言えばタガメも棄て難い……ゲンゴロウもタガメも飛ぶしな……だが、タガメよりゲンゴロウの方が泳ぎがうまい、おいおいすごいなゲンゴロウ。
俺はゲンゴロウ及び水生昆虫とウルトラ怪獣に思いを馳せながら土で出来た道をゆっくりと歩いていった。ここに来てからアスファルトの道は歩いていない。どこもかしこも、昔遊んだ場所のように、でこぼことした、土と砂利が混じったような道だった。
ゲンゴロウ、ゲンゴロウ……そういや、ここへ来る前、まだアスファルトの地面だった場所の簡素な地元案内板で見た地図に、源五郎という名前の地名があった気がした。
やるなゲンゴロウ。地名にまでなるとは。なんの名前だっけな。池だっけな。
俺はやはりぼんやりとそんなことを考えながら歩き続けた。
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