「ちょっと~ そんなに驚かなくてもいいでしょ~」
自分の顔を懐中電灯で顎の下あたりから照らしていた男が身を起こし「耳が痛くなったよ~ も~」とお門違いの文句をたれながら室内灯の紐を引っ張った。ちかちかとごく短い間隔で点滅したあと蛍光灯の青白い光が部屋を照らす。寝転がってほんの少しからだを起こしたまま後ずさりしようとした俺の上に、化けもんかと思った正体が照明の光を背にして影になっていた。
「か、かんだか。化けもんかと思った……」
俺は心底安堵の息を吐いた。死ぬかと思った。心臓の拍動が強すぎて胸が痛い。それになんだか息苦しいぞ。
「ひどいな~ 友達に化けもんってさ~ ひどくな~い?」
「ひどくない。俺の友達は俺を心臓麻痺で殺したりしないと信じている。そして俺は俺の友達だった人間を化けもんかと思わせたお前の友達をやめようかと考えている」
「きみの心臓はこんなことじゃ止まらないでしょ~」
「なんだと? お前のせいで胸が痛い。息苦しさすら感じる」
「え~ じゃあ診てあげようか?」
すとん、と腰を落とした神田はいつもの開いてるんだか閉じてるんだかわからない目で俺を見た。俺はあぐらをかきつつ微妙に神田から距離をとる。
「触るな。遠慮する。大丈夫だ。いくら白衣が似合っても、お前にだけは診てほしくない。お前に診てもらうぐらいだったら入谷さんのほうがマシな気がする……」
特に考えもせず深い意味もなく、神田がよくつるんでる仲間内の一人で一番まともそうな人の名前を出しただけだった。どこかの飲み屋でちょっと会ったことがあるぐらいで。たいして話もしたこともないけど。
「ちょっと~ どういうこと~ 驚きすぎて、思考回路がショートしてるよ~」
驚きすぎだと? 山の夜を舐めんなよ。マジで真っ暗なんだぞ。腕を伸ばしたら自分の手が闇に飲まれて見えなくなるんだぞ。そんな暗闇の中で生首のそれも目の開いてない能面だかキツネの面だかが浮かび上がってみろ。驚いて当然だ。極普通の反応だ。って言うかお前、わざとやっただろ。そうに決まってる。
「あのなぁ……」
さすがに文句の一つでも言ってやろうと口を開いた俺に、神田は手に持っていた懐中電灯を俺に向けてカチカチと点灯、消灯を繰り返しやがった。
「やめっ……まぶしいだろっ」
「さっさと風呂でも入って~ その短絡した思考回路をなんとかしてきなよ~」
神田はいやに小刻みにカチカチを繰り返すばかりだった。
「風呂? 風呂ってなんだ。って言うか、そのカチカチやめろ!」
「風呂は風呂だよ~ 外に風呂があるから入ってきなよ~」
神田のちょっと低くなった声とカチカチピカピカが止まらない。
もしかして機嫌悪いの? 怒ってるの? なんで? 少し前から今に至るまでのこの状況。怒っていいのは俺だけだと思うんだけど?
俺は「ピカピカやめ!」「わかった! 風呂、行って来る!」「場所、どこ?!」を何度か繰り返し、ようやく神田から場所と懐中電灯を受け取ると母屋から繋がる風呂場に行った。
風呂をのぞけば温泉がひいてあるという小さな露天風呂だった。
湯に浸りながら見上げた空は、青、白、黄色、赤といった小さな光が散りばめられた満天の星空で、果てしなく広く人が知らないその先はまだ空っぽなのかもしれない黒い宇宙を頭上では天の川が満たしているように見えた。
「バカンスって……バカンス……俺、バカざんす……」
俺は目の直ぐ下まで湯にもぐるようにつかって、今日一日を振り返りながらぶくぶくと盛大に泡を立てた。
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