だがしかし

Hatter
Hatter

16

公開日時: 2022年3月30日(水) 18:10
文字数:1,082

翌朝、夢でみた台所から漂ってくるような味噌汁の匂いに、空腹を感じた俺は目を覚ました。階下におりると湯気をたてる朝飯が用意されていた。俺が先に顔でも洗おうかと思った矢先、白衣……と言えばそうだけど、だいぶ趣きの違う白い服。白い割烹着を着た神田が顔をのぞかせた。

うん。どっちかと言えば病院の白衣より、そっちの方がお前に似合ってる気がする。

なんで割烹着をわざわざ着ているのかとか、どこから見つけてきたんだとか、もっと現実的な疑問もあっただろうに、俺は冷め切らない頭でぼんやりと味噌汁片手に割烹着姿の感想にひとり納得していた。

「おはよ~ ご飯出来たから、食べたら虫取りに行こ~」

「ああ。おはよう。これ、神田が作ったのか?」

机に並んだ朝食は、ずいぶんと和食、懐かしさすら感じる#純__・__#和食の品々だった。これを朝から割烹着を着てせっせと作ったのかと、驚きと有難さが入り混じった思いで席につく。

「頂き物です」

いやにきっぱりと神田は言い放つと、自分も割烹着を脱いで席に着く。割烹着の下は、虫取り準備万端な姿だった。

……ああそう。なのに割烹着。紛らわしいぞ割烹着。だいたいお前、今、出来たからって言わなかった? 俺の心からの感謝は神田ではなく、朝早くからこの朝食を作ってくださった方に捧げます。

二人で手を合わせて「頂きます」と朝食を開始した。

うん。美味い。どこのどなたか存じませんが、飯、美味いです。有難うございます。

俺は感謝を唱えながら箸を進めた。話を聞けば、俺が起きる前にすでに神田は早朝虫取りに出掛けたらしい。その帰りにこの食事を頂いてきたとか。こういう宿泊施設のオプションプランなのかは知らないが、随分と親切な人がいるものだと思った。


朝食を終えた俺は、神田にせっつかれながら家を出た。家の外では、今日も暑くなりそうな太陽が見えたが、空気はひんやりとしていて、透明な、水の匂いが流れてきた。

「きみ~ 虫取りの必需品を忘れてるよ~」

そう言って、どこから持ってきたのか、でかい麦わら帽子とでかい虫取り網を俺に渡した神田は「それでは~ れっつご~」と意気揚々と歩き始めた。俺はその後ろを少し肩を落としてついていく。

変な構図だよな。

現実離れした感覚は朝も早くから全快だ。

いい歳した大学生の男二人が、小学生の夏休みのように麦わら帽子と虫取り網を持って山に向かう。川面に映る姿を見るように、第三者的視線でその様子を眺めてみた俺は、虫取り網を肩にかけ麦わら帽子の下で苦笑と失笑が入り混じったような顔の俺が、上機嫌ののほほん男の後ろを、それでもそんなに悪い気はしない様子でついていくのを見た。

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