猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

人との出会い

公開日時: 2021年3月16日(火) 01:37
文字数:3,447

 かすみと万福丸を許して三日後。

 長浜城の謁見の間。

 僕は珍しい客人を茶でもてなしていた。


「うむ。やはり雨竜殿の点てる茶は美味しいな」


 天下の大悪人、松永久秀である。彼は満足そうに僕の点てた茶を飲んでいる。


「なかなかのお手前、見事である」

「その言葉を聞けて、嬉しく思います」


 僕の家臣たち――特に恨み骨髄の島は会うべきではないと猛抗議してきたけど、僕は訪ねてきたのだから会うべきだと反対を押し切った。まあ僕を幻術で操ろうとした危険人物に違いないけど――


「ふふふ。やはり度胸がおありだ。わしと二人きりで会ってくれるとは」


 正直、この老人に対して、どんな感情を持てば良いのか分からない。

 恐怖――ではない。

 嫌悪――とも違う。

 尊敬――間違いだ。


 強いて言うのなら、理解不能の四文字が相応しい。人をあっさりと裏切ったり殺したりできるなんて、僕には想像できない。

 そう。理解できないのだ――


「それで、ご用とは?」

「特に用はない。家督を息子の久通に譲ってな。暇で仕方がない」

「……僕はこれでも忙しいのですが」

「知っている。留守居役なのだろう?」


 ふざけているのか真面目なのか、まったく理解できない。


「しばらく会わないうちに、いろいろな変化が貴殿にあったそうだな」

「ええ。かなりありましたね」

「伊勢長島を落とした褒美に、織田家の一門衆になったそうじゃないか。まさか本圀寺で会った少年がそこまで出世するとはな」

「松永殿は大和国の四分の三を支配する大名ではないですか。それと比べたら大した出世ではないです」

「ふふふ。畿内を手中にしていた身からすると落ちぶれたものよ。それに既に隠居している」


 皮肉……ではないな。松永は何の後悔もしていないみたいだ。


「松永殿。あなたに訊きたいことがある」

「なんだ? なんでも訊いてみよ」


 僕は天下の大悪人に問う。

 猿の内政官は松永に問う。


「どうして人は争うんだ?」

「…………」

「自分の大事なものを守るためか? それとも他人のものを奪うためか?」


 松永は――にっこりと微笑んだ。まるで好々爺のように。


「その答えは一つではない。自分の大事なものを守るためであったり、他人のものを奪うためであったりする。自分の権力を高めるためかもしれん。落ちぶれるのが嫌なだけかもしれん。ただ単に殺し合いが好きなだけかもしれん。答えなど――元より求めることは徒労かもしれぬ」


 悪人にしては正論だと思った。

 しかし聞きたい答えではなかった。


「では、松永殿はどうして戦うんだ?」

「それは簡単よ。己がどこまで上り詰められるか、天下に証明するためだ」


 上り詰められるか? 天下に証明?


「わしは立派な出自とは言えぬ。しかしそんなわしでも大和の国主になれた。畿内を差配することができた。天下にわしという人間が居たことを証明できたのだ」

「つまり、それが松永殿の野心と野望の原動力だったのか?」

「ふふふ。そんなわけなかろう。初めは違う。わしは一心不乱に出世するため、必死で戦った。しかし三好家の重臣となったとき、こう思ってしまったのだ」


 松永は手を大きく広げて笑った。


「ああ、こんな簡単に夢は叶ってしまうのか、とな」

「夢……」

「そう。夢だった。偉くなって誰も彼も見返してやるというあまり美しくない夢だ。しかしだ、夢は覚めるもの。そしてまた別の夢を見るようになる。それが人生だ」


 松永が何を言っているのかは分かる。要は現状に満足できない人間なんだ。だから果てしない夢を追う。夢を現実のものとするために、戦い続けている。

 だからこの老人はいずれ謀反を起こす。果てしない夢という名の野心を叶えるために。


「逆に問うが、貴殿は何故、羽柴筑前守に従い続ける? 陪臣に甘んじているのだ?」

「それは……秀吉が好きだからだ」


 躊躇することなく答えた。

 それが当然だと思っていたからだ。


「ほう。筑前守が好きと?」

「ああ。僕は武士の出ではない。松永殿と同じ、出自がよろしくない。幼い頃は死体から武具を引き剥がして売って生計を立てていた、卑しい人間にすぎなかった。そんな僕に道を開かせてくれた大恩人なんだ、秀吉は」


 松永は興味深そうに笑った。存外爽やかな笑みだった。


「ではもし、会っていたのがわしだったら従っていたか?」

「それは分からない。でもそうだな……松永殿は筒井家攻めのとき、僕に幻術を使って思考と思想を変えようとした。もしかしたら僕はその状態になってしまっていたのかもしれない」

「あっさりと認めるのだな。なるほど、筑前守は運がいい」

「運が良いだけじゃないよ」


 僕はあっさりと否定した。

 松永は眉をひそめた。


「では、どういうことだ?」

「松永殿に問うけど、何の才覚も見せなかった幼い頃の僕を――あなたは拾うか?」


 その言葉に松永は何も言えなくなった。


「きちんと面倒を見て、仕事も与えて、家族との安らぎを与えられたか?」

「……認識を改めよう。筑前守はお人よしだったのだな」

「ええ。とびっきりのね。僕は常日頃から優しいと言われるけど――秀吉は本当にお人よしなんだ」


 それが今でも秀吉に従っている理由。そして織田家の陪臣で居る理由なんだ。


「しかしだ。そんな筑前守も越前国では酷いことをしているではないか」

「それは聞いているよ。今、越前国は一向宗にとって地獄だろうね」


 織田家による大虐殺が行なわれていると聞いている。いわゆる根切りだ。

 しかし僕には止める権利もなければ権限もない。


「それについては何か意見はないか?」

「……慈悲を与えるのは伊勢長島だけで十分だよ」


 本当は叫びたくなるくらい嫌だった。

 人を殺すことは本当に嫌だ。

 まるで殺されるために、死ぬために生きているようなものじゃないか。


「貴殿の考えていることは表情で分かる。戦国乱世で生きるには優しすぎる男だな」

「…………」

「そういえば、前妻が延暦寺の僧兵に殺されたと聞く」

「……よく知っているね」

「延暦寺の焼き討ちは貴殿にとって復讐だった。そう捉えても構わぬか?」


 黙って頷くと「それが戦乱の本質よ」と松永は笑った。


「一笑に付すような愚かしい理由で、人は狂気に陥る」

「…………」

「前妻殿がどういう経緯で死んだのかは知らん。だが出会ったことを後悔していないか? 嫌な殺しと復讐をしてしまったのだぞ?」


 にやにや笑う松永に「それこそ一笑に付すというものだ」と言う。


「僕は志乃と出会って、後悔したことはない。人と人との出会いはそんな単純なものではない」

「……ほう。聞かせてもらおうか」

「人と出会い、関わり、そして別れることは決して良いことばかりではなく、悪いこともあるだろう。しかし、そこに喜びがないとは思えない。僕は志乃と一緒に居て幸せだった」


 そうだ。未だに遺髪を持っていることもその理由だ。


「二人で過ごした日々や子供たちが生まれて四人になった嬉しさは、かけがえのないものだ。確かに死別したことは悲しいさ。不幸かもしれない。だけど――」


 僕は松永の目を見据えて言う。


「人と人との出会いは、なかったことにはならないんだ」


 そう。決してそうはならない。


「志乃は料理を作ってくれた。とても美味しくてたまらなかった。志乃は僕が危険な目に遭うと悲しんでくれた。申し訳ないほどに泣いてくれた。志乃は僕を怒ってくれた。ご飯抜きや一言も口を利いてくれないときは流石に困ったけど」


 様々な思い出がある。語りきれないほどの思い出が心にある。


「志乃と出会ったことはなかったことにはならないし、志乃は確かに居たことは決して覆らないんだ。志乃は僕の妻だった。それは絶対に忘れない。だから志乃は今でも僕の中で生きている」


 それを聞いた松永は笑みを止めて、それから吐き捨てるように言う。


「くだらん。死んだ人間は死んだままだ。生き続けるなど幻想に過ぎん」


 松永とは相容れないのは分かっていたが、ここまで異なると清々しい。


「いずれ貴殿も手に入れるぞ。わしは狙ったものは手に入れたくなるのだ」

「こんな僕を所望とはね……褒め言葉として受け取っておこう」


 そして最後に松永は言う。


「貴殿はわしの想像もつかないほど、高みに行くだろう。それが羨ましくあるな」


 

◆◇◆◇


 

 松永が帰って、僕は彼のことを考える。

 やはり恐怖も嫌悪も尊敬もできない。

 理解できない魔のような存在だ。


「雲之介さん、大丈夫か?」

「殿、何かされたのか?」


 雪隆と島が心配そうに僕を見た。

 安心させるように僕は微笑んだ。


「ああ。平気だよ。幻術は使われなかったようだ」


 その次の日、越前国攻めの戦果が報告された。

 一向宗門徒が五万人殺されて。

 越前国は織田家のものとなった――

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