猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

探る理由

公開日時: 2021年3月14日(日) 15:39
文字数:3,694

 摂津国のとある宿にて、僕はなつめからの報告を聞いていた。すっかり夜更けになってしまったので、晴太郎とかすみ、勝蔵は別室で寝ている。志乃は僕となつめが二人きりで居るのが気に入らないようで、隣に座っている。


「今井家で働いている女中に聞いたんだけど、あの演奏者――名をしょうきちというわ。彼はごく普通の百姓だったの。初めは手先の器用さを生かして、簡単な道具や農具の修理を農閑期に請け負っていたんだけど、どういうわけか、今井宗久に雇われてチェンバロの演奏者になったのよ」

「ただ手先が器用な百姓が演奏者になったのか?」


 あまりに解せぬ話だ。経緯は分からないけど、ただの百姓に高級品である南蛮物を触らせるだろうか? しかしあれだけ見事な演奏だ。手先が器用だとしても何度も練習しなければ上達しないだろう。


「私に言われたって知らないわよ。何かきっかけがあってそうなったんだと考えるのが自然だけど、そこまでは調べられないわ」

「まあそうだけど……ちょっと疑問が残るな」


 よっぽど人を見る目があったのか。それとも僕と秀吉のように偶然知り合ったのか……


「今井宗久は庄吉を使って、もてなし――接待って言ったほうが合っているわね。とにかくしていて、結構な人数が引っかかっていたわ」

「まああれだけ見事な演奏だ。感動のあまり、何でも言うことを聞いてしまうだろうな」


 まさに魔性の演奏だった。魅入られてしまったと言っても過言ではない。

 もしもお屋形様が演奏を聞いたとしたら――考えるだけで恐ろしい。


「それで、雲之介はどうしたい?」


 不意に志乃が僕に訊ねる。


「どうしたいって……どうもしないよ。ただ報告を聞いただけさ」

「本当に? ただそれだけなの?」

「まあ庄吉って人は気の毒に思うけどさ。というより、なつめはどうやって知ったんだ?」


 なつめは悪戯っぽく笑った。


「実は天井裏から見ていたのよ。あなたたちの様子をね」

「えっ? あの演奏を聞いていたのか?」

「ええ。でも私は平気だったわ。おそらくあの部屋に居なかったせいね。それほど感動しなかったわ」


 密閉された空間だからこそ、感動できたのだろうか? 音が縦横無尽に反射して身体を響かせるような、心地良い音楽を受けていなかったから、効かなかった?

 何かが、おかしい……


「難しい顔して、どうしたのよ?」


 志乃が不安そうにしている。険しい顔をしてしまったようだ。


「……少し確かめることがある。志乃、子供たちと勝蔵を連れて、長浜に帰ってくれ」

「あなたはどうするの?」

「僕はなつめと一緒に、堺に戻る」

「……なつめと一緒に?」


 途端に不機嫌になる志乃。なんだかとても嫌そうだ。


「大丈夫よ。私は雇い主とそういう関係にはならないわ」

「……信用できないわ」

「僕も信用できないかい?」

「……お市さまのことがあったから」


 うっ。それを言われると立つ瀬がない。


「私も残っちゃ駄目かしら?」

「子供たちと勝蔵だけじゃ心配だし、それに身の安全が大事だから」

「そんなに危ないの?」


 僕は真剣な表情で言う。


「人が殺されているんだ。探ろうとすれば殺されるかもしれない」

「そんな……」

「でも大丈夫。危険なことはしないから」


 僕は志乃の手を取って言う。


「本当に大丈夫だから」

「雲之介……」


 志乃は少しだけ考えて、頷いた。


 

◆◇◆◇


 

 翌日、志乃たちと別れて堺に戻った。しかし今井宗久の屋敷ではなく、真っ先に向かったのはお師匠さまの屋敷だった。まずは情報を集めなければいけない。


「おや。お早い再会だな」


 屋敷には宗二殿が居て、何か文を書いていた。僕たちを見ると驚いたように目を見開いた。


「そちらの女性は?」

「使用人のなつめです。ちょっとお師匠さまにお話を伺いたいと思いまして」

「お師匠さまは出かけている。京で茶を点てに行かれた」

「そうですか……」

「何か、あったのか?」


 宗二殿が怪訝な表情で訊いてくる。僕は事情を話した。

 話を終えると宗二殿は「ふうむ。あの演奏者か……」と首を傾げた。


「数ヶ月前、私もお師匠さまに伴われて、その者の演奏を聞いたことがある」

「お師匠さまもですか? どんなことを要求されたんですか?」

「お師匠さま所有の名物を譲れと迫ってきたのだ。まあ断ったがね」


 断った? あの演奏を聞いて心動かされなかったのだろうか?


「それにしても、あのもてなしは酷かった。お師匠さまが至高とする一座建立が最初からできていない。私は腹が立って、出されたものに手を付けなかったが、お師匠さまは平静を装っていただいていたな」

「宗二殿も感動しなかったのですか?」

「素晴らしい演奏だと思ったが、何でも言うことを聞こうなどとは思わなかったな」


 なんだろう。僕が未熟なのか、それとも別の理由があるのか……


「そういえば、お師匠さまが気になることを言っていた」


 宗二殿は腕組みをして、何かを思い出していた。


「帰り道、確かこう言っていた。『商人としては正当だが、茶頭にあるまじきこと』と。ま、もてなしがそれだけ酷かったということだな」


 何かが噛みあっていないような感覚だ。お師匠さまが留守なのが残念でならない。

 もっと詳しく話が聞ける人間を探さないと。

 僕となつめは宗二殿に別れを告げて、とりあえず今井家の屋敷に向かう。


「何がそんなに気にかかっているのよ?」

「少し怪しいと思ってね」


 僕は忍びであるなつめに訊ねた。


「……今井宗久は、庄吉を使ってもてなしをした客に、暗示か何かをかけていた可能性はないか?」

「暗示? 言うこと聞くように催眠をかけていたって言うの?」

「ああ。それに気づいた他の商家が、庄吉を忍びで殺した……」

「まあ辻褄は合うわね。でもそれを知ってどうするの?」


 なつめの言葉に、僕は何も言えない。


「糾弾するつもり? 契約を破棄するつもり?」

「……そういうわけじゃない」


 なんて言えばいいのか分からないし、どう伝えればいいのか分からないけど。

 心の内にあったのは、庄吉という者への同情だった。

 危険だと思っていたのは事実だけど、何も殺すまでしなくてもいいじゃないか。

 あんな素晴らしい音楽を奏でられる人間はそうは居ない。

 そう考えて、傍と気づいた。


「そうか……僕は庄吉を惜しんでいたのか……」


 同情でも憐憫でもない。

 感謝しているのだ。

 あんな素晴らしい音楽を聞かせてくれたことに――


「よく分からない人。ま、いいわ。とりあえず女中に混じって情報でも得てくるわよ」

「ああ、頼んだ――」


 しかしなつめと別れる寸前、見覚えのある二人がぼそぼそ話しながら、こちらに歩いている。

 今井宗薫と納屋助左衛門だ。

 これは良い機会かもしれない。


「二人とも。奇遇だね」


 二人に話しかけると、驚いたように僕を見つめる。

 助左衛門が僕に訊ねた。


「あれ? 雨竜さま、堺から出たはずでは?」

「ちょっとやり残したことがあってね。君たち二人に聞きたい」


 不思議そうな顔をしている二人に僕は言う。


「庄吉、知っているだろう? 話してもらおうか」


 カマをかけてみる。すると二人とも青ざめた。


「わ、私たちは知らないです!」


 宗薫が踵を返して逃げようとするのを、なつめが素早く腕を捻って押さえる。

 

「いてて! 何を――」

「なつめ。ここじゃ誰か来る。裏路地に行こう」


 僕は固まっている助左衛門にも言う。


「素直に話してもらうよ。いいね?」

「大旦那から、庄吉のことを話すなと口止めされているんです……」

「そんなの、知らないよ」


 二人を裏路地に連れ込んで質問を始めた。


「庄吉が死んだのは聞いているね? 彼は一体何者だったんだ?」

「さ、堺の近辺の村人です――」


 宗薫が話したのは、なつめの報告と変わりない話だった。しかし両親が病死して、独り身であるのは初耳だった。


「そうか……他に知っていることがあるか?」

「いえ……父が裏で何かしているのは、分かっていますが、息子の私にも、話してくれません……」


 うーん、どうしたものだろうか……


「そういえば、最近、南蛮人が店を出入りしているのを見ました。確か口髭を蓄えた……」


 助左衛門が思い出したように言う。

 まさか、ロベルトか?


「二人とも庄吉の死体は見たか?」


 二人とも顔を見合わせて、それから首を横に振った。


「誰が一番に発見した?」

「女中です。大騒ぎでしたよ。首なし死体が出たって」

「首なし死体?」

「ええ。それで忍びの仕業だって。大旦那が言っていました」


 ふうむ。よく分からなくなってきた。

 僕はなつめに「忍びって首を取るのか?」と訊ねる。


「殺した証拠で取るかもしれないけど、あんな重いもの持って逃げられるのは、よっぽど腕が立つ忍びね」

「…………」


 腕の立つ演奏者。首なし死体。ロベルト。宗二殿は何も手を付けなかった。お師匠さまは感動しない。何でも言うことを聞く……


「庄吉と話したことあるか?」


 宗薫は「あいつ、いつもチェンバロ鳴らして練習していたから、あんまり……」と言う。


「でも、あいつ楽しそうでしたね。チェンバロ弾いているとき」


 楽しそうだったか……

 僕はそれを聞いて、一つの仮説が浮かんだ。


「なつめ。今井宗久を見張ってくれ。おそらく、今日か明日、動きがあるかもしれない」

「何か分かったの?」

「確信はないけどね。それでも分かったかもしれない」


 僕は許すか許さないか。

 選択できずにいた。

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