猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

夜明け前の問答

公開日時: 2021年3月14日(日) 15:42
文字数:3,087

 夜明け前。僕はなつめの報告を聞いて、すぐさま港へ向かう。その際、今井宗薫と納屋助左衛門も同行してもらった。

 二人とも怪訝そうな顔をしたけど、無理を言って従ってもらう。

 おそらく僕の予想が的中していれば、必ず二人が必要になると思ったからだ。

 港に松明の明かりが灯っていたので、すぐに彼らの居場所が知れた。


「こんな夜明け前に、何をしているんでしょうか?」

「……逃げようとしているんだ」


 助左衛門の疑問に僕はあっさりと答えて、その明かりの元へと赴く。

 何の恐れも無く、怪しげな場所に近づいていく僕に気圧されたのか、二人は黙ってついて行く。


「やあ。何をしているんだい? ――ロベルト」


 十分に近づいて、大きな南蛮船で作業を指示していた、ロベルトに話しかける。

 ぎょっとした顔で僕を見て、それから取り繕った顔になる。


「……オー、雲之介サン。奇遇デスネ」

「もう一度訊くけど、何をしているんだい? 三度目は言わせないでくれ」


 ロベルトは右手を挙げて、刀に手をかけた作業員を制した。


「あなたさまは、どこまで分かってイマスカ?」

「動機以外は全てだね。何なら説明しようか?」


 本当は六割方しか分かっていない。ここははったりで何とかするしかなかった。


「フウム。それでは仕方ありませんネ。雲之介さんは、良きお客さまデシタガ――」

「殺すのかい? それは不味いな」


 僕は素早く今井宗薫の後ろに回った。戸惑う二人に構わず、ロベルトに告げる。


「この人は今井宗久の息子だよ。意味は分かるね?」

「……人質、というわけデスカ?」


 そのとおり。二人――というか宗薫を連れてきたのは、それが理由だった。

 助左衛門は成り行きというか、宗薫だけ連れてくるのが不自然だっただけだ。


「なっ――何故、父の名が? 人質とはどういう意味ですか!?」


 宗薫が振り返ろうとするのを、僕は言葉で制す。


「振り返ったら、斬るよ」

「――っ!?」

「さあロベルト。庄吉をどこへ連れていくつもりなんだ?」


 一番知りたかったことを訊ねる。

 彼を連れて、どこへ行くのか――


「……私の故郷、リスボン」

「リスボン? 地球儀で見せてもらった、あの国か?」

「そのとおりデス。彼は、私の国に連れて行きマス。彼もまた望んだことデス」


 どういう経緯でそうなったのか、分からない。

 でも一先ず生きていたことにホッとする。


「彼に会わせてくれないか?」

「……どうするおつもりデスカ?」


 会ってどうするつもり? それは――


「まさか雨竜さまが、この場にいらっしゃるとは……」


 答えようとして、船内から出てきたのは、今井宗久だった。


「親父!? どういうことだ? 何がなんだか、さっぱり分からない!」

「……雨竜さまを見習いなさい。少ない手がかりでここまで辿り着いた」


 宗久はそう言って、周りの者に合図する。

 あっという間に囲まれてしまった。


「愚息と助左衛門をこちらへ。ご抵抗なさいますな」

「その前にいろいろと聞きたいことがある。それが済めば、二人は解放する」


 ここで二人を解放してしまえば、僕の身が危ないからな。


「……聞きたいこととは、何でしょうか?」

「聞きたいこと、というよりは、まず僕が推測したことを聞いてもらいたい」


 宗久は「……いいでしょう。お話ください」と認めた。


「まず、庄吉の死体。あれは偽物だろう?」


 その言葉に反応したのは、宗薫だった。


「死体が偽物!? でも――」

「庄吉ではなく、別人の死体だ。でなければ身元が分からないように、首を斬りおとす理由がない」

「しかし、着ていた服は同じ――」

「では庄吉の服を着させたか、似たものを着せたかのどちらかだろう」


 着ていた服が同じだから庄吉だったというのは初耳だったので、咄嗟に答えたけど宗薫は納得したのか、何も言わない。


「それで、庄吉が死んだことにして、海外に逃がす。その理由は分からないが、推測することはできる」

「……それは、どういうことでしょうか?」

「庄吉が殺されかけた、もしくは誘拐されかけたのではないか?」


 宗久は感心したように「まるで見てきたように言いますね」と言う。その言葉は認めたと同然だ。


「補足するなら、そのとき襲ってきた者を偽物に仕立てたのですよ」

「そこまでは分からなかったな。まあいい、とにかく庄吉がそうなるのを恐れたあんたは、ほとぼりが冷めるまで逃がす……と最初考えていたが、どうやら違うみたいだな」


 宗久は頬を掻きながら「ええ。違います」とはっきりと否定した。


「庄吉はこのまま海外――リスボンに移住してもらいます」

「どうしてだ親父! 庄吉はあんだけ尽くしてくれたじゃないか!」


 宗薫が信じられないといった様子で、宗久に詰問する。


「数々のもてなしを成功させて、いろんな商談を成立させたじゃないか!」

「ええ。感謝していますよ」

「なのに何故!?」


 宗久の代わりに答えたのは、助左衛門だった。


「ひょっとして、庄吉がリスボンに行きたいと言ったんじゃないか?」


 思わぬ言葉に宗薫は助左衛門を問い詰める。


「い、意味が分からない! 好き好んで日の本を離れるなんて――」

「俺には分かるよ。俺だって海外に行きたいんだ」


 なるほど、そういうことだったのか。

 ようやく腑に落ちた。


「なるほど。今まで尽くしたお礼で、リスボンに行かせるのか。納得いったよ」

「お分かりいただけましたか」

「いや。しかしそれでもやってはいけないことをあんたはやったよな」


 僕は厳しい目で宗久を見つめた。しかし彼は逸らさない。


「確かに庄吉の演奏は見事だ。古今無双と言っても過言ではない。でも、人の心を動かして、契約させるなんて芸当ができるとは思えない」


 この場に居る者の中で、僕の言葉を真に理解したのは、宗久とロベルトだけだった。

 つまり実行者と協力者だけだ。


「お師匠さま――千宗易と山上宗二のもてなしは失敗したらしい。その理由は、お師匠さまの強靭な精神力のせいだ。そして宗二殿に効かなかったのは、出されたものに手を付けなかったせいだ」

「…………」

「盛ってたんだろう? ロベルトから仕入れた南蛮渡来の薬を。僕の場合は冷たいお茶に入れたんだな」


 僕の言葉をこの場に居る者全て聞いていた。


「夏なのに襖を締め切ったのは、何も演奏のためじゃない。冷たいお茶を飲ませるためだ。暑かったら冷たいものが飲みたくなるよな。その心理を利用して、飲ませたんだ」

「……あなたさまは、本当に賢いのですね」


 感心したように、宗久は溜息を吐いた。


「雨竜さま、しかしそれなら薬だけ盛れば、何も庄吉の演奏は必要ないのでは?」


 宗薫の疑問に僕は考えていたことを言う。


「演奏なしに薬を盛っていたら、いずれ怪しまれる。演奏で感動したと勘違いさせることで、不自然に思わせなくなるんだ」


 まあなつめが天井裏で聞いていても感動しなかったというのが、気づいたきっかけだった。忍びは情報収集のために話し声を詳しく聞かないといけない。であれば、演奏された音楽も十分聞けないといけない理屈になる。

 確証を得たのは、宗二殿の話を聞いてからだけどね。


「さて。全てのからくりが分かったところで、僕は二つほど聞きたい」

「なんでしょうか?」

「いつから庄吉を利用していた? そしてどうしてこの時期に厄介払いしようとしたんだ?」


 それだけが分からなかった。前者は聞かないと分からないことだし、後者は考えても分からないことだった。


「それは――」


 宗久が答えようとしたときだった。


「今井の旦那さま。もういいです」


 船内からぬっと出てきたのは、特徴のない顔の男。

 南蛮人と同じ服を着ている、元百姓。

 ――庄吉だった。


「もう覚悟はできています。今までありがとうございました」


 白み始めていた朝日が、庄吉を照らす。

 穏やかで、凛々しい男の顔だった。

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