僕たちは急いで奥の部屋に向かう。
そこには弥平殿だけじゃなくて、雨竜村の百姓たち数名と産婆さんも居た。そしてその奥には志乃が居た。
志乃は産まれたばかりの僕の子供二人を抱えて、鬼のような形相で彼らを睨んでいる。
「近づかないで……どっちも渡さないよ……」
出産したばかりなのに、体力を使い果たしているのに、それでも子供を守ろうとする志乃。
「志乃……気持ちは分かるが……」
「お父さん、お願いだから……」
弥平殿の説得に対して懇願する志乃。
「――志乃!」
僕は思わず声をかけた。
志乃は一瞬だけ嬉しそうな顔をして、それから険しい顔つきに戻る。
「く、雲之介。下手に刺激するようなことは――」
秀長殿の言葉を無視して、僕は志乃に近づく。
志乃はますます子供を強く抱きしめた。
「雲之介……まさか、子供を――」
僕は首を横に振った。
「僕が――自分の子供を殺すような男に見える?」
それを聞いた志乃は――安堵の表情を見せた。
周りの人たちはざわざわしている。
「雲之介殿! まさか、殺さないのか!?」
「弥平殿。殺すくらいなら僕は切腹するよ」
僕は志乃を子供と一緒に抱きしめる。
「よく、頑張ってくれたね。志乃」
「――っ! ありがとう、雲之介……」
志乃はここでようやく涙を流した。今まで耐えてたんだろうなあ。
「わ、私、みんなから、子供を、殺せって、そんなの、嫌だから……」
「うん。大丈夫。大丈夫だから」
「ごめんなさい、畜生腹で……」
「良いんだ。そんなの気にしない」
僕は笑顔で志乃に頼んだ。
「子供を――抱かせてくれる?」
「――うん!」
僕は片方の子供を抱きかかえた。
小さくて、良い匂いがする。
しわくちゃで、か弱くて、僕が守るべき存在。
「そっちは男の子よ」
「そうなんだ。じゃあそっちは女の子かな?」
「うん。名前、どうする?」
「前から決めていたとおりにしよう。女の子は僕で、男の子は志乃が名付けて」
たとえようも無いくらい幸せだった。
記憶を失くした僕にこうして家族ができるなんて。
想像なんて――できなかった。
「ほう。男女逆に名付けることにしたのか。雲之介らしいな」
秀吉がこっちに近づいてきた。途端に志乃は警戒する。
「秀吉……もしかして、この子たちを――」
「馬鹿を言え。子供など殺したくないわ」
軽く怒った秀吉。そしてこの場に居る全員に向かって宣言した。
「もしこの子たちの片方を殺す者が居たら、一族郎党皆殺しにする」
「秀吉……」
「さ、皆の者。雲之介たち四人だけにして、わしたちは行こう」
秀吉の言葉に、誰も何も言わなかった。
黙って部屋から出てくれて、僕たちは穏やかな夜を過ごせた。
不意に僕が抱いていた子供が泣き出した。
「えっと、どうしたら良いんだろう?」
「こっちに貸して。大丈夫。ほら、怖いことはないわよ」
志乃が抱くと安心したのか、すぐに泣き止んだ。
「うふふ。可愛いわあ」
「ああ、そうだね」
「……雲之介」
志乃は僕の目を見て――
「あなたと婚姻して良かったわ。心からそう思える」
僕は照れくさくなって「恥ずかしいこと言わないでよ」と目を逸らした。
「あなたも可愛いわね」
「からかうなよ……さて、今日は遅い。もう寝よう」
志乃たちを寝かせた後、僕は三人の寝顔を見ながら、ぼんやりと考えていた。
出世には興味ないけど、志乃とこの子たちを飢えさせるようなことはしたくない。
そのためには、生き抜くことだ。
お屋形様が太平の世を築くまで、生きる。
「前は秀吉のためなら死んでもいいと思っていたけどな。今じゃ死ねなくなったよ」
志乃の髪を撫でながら呟いた。
子供が愛おしくてたまらなかった。
そして何より子供が産まれた興奮で。
今日は――寝られそうになかった。
◆◇◆◇
「子供が産まれたか! めでたいな!」
翌日、岐阜城で義昭殿に報告すると自分のことのように喜んでくれた。
「しかも双子か。後々に大物になりそうだな」
「義昭殿は厭わないんですか? それに大物ってどういうことですか?」
義昭殿は「ああ。知らんのか」と僕に教えてくれた。
「日本武尊という英雄を知っているか?」
「ええ。存じております」
昔、お市さまに教えてもらったっけ。
「あのお方は双子だぞ」
「ええ!? そうだったんですか!?」
「ああ。だから私は双子を厭う気持ちはない」
そして義昭殿はこう言ってくれた。
「良ければ男の子のほうの烏帽子親になっても良い」
「ありがたき幸せです!」
満足そうに頷く義昭殿。それから僕は本題を切り出す。
「――義昭殿。上洛の準備が整いました」
「そうか。岐阜城ともお別れだな」
感慨深そうに言う義昭殿は「しかし信長殿の軍事力は凄いな」と褒め称えた。
「これなら足利家を終わらせることができるな」
「……本当に足利家を終わらせるんですか?」
「当たり前だ。そもそも将軍は鎌倉と違って絶対君主ではない。まあ鎌倉も初めだけしか機能していなかったが」
義昭殿は分かりやすく説明してくれた。
「そもそも初代の足利尊氏公は領地を家臣に渡しすぎた。基盤である領地が少ないために、権力が弱く、守護大名たちの合議制になってしまったのだ」
「尊氏公は領地や権力に執着がなかったんですか?」
「無くはないと思うが、物欲があまりないお方だったと聞いている」
義昭殿は「軍才はあっても政治の才はなかったと判断するしかないな」と締めくくった。
「ご先祖さまの話はいい。ではさっそく京に参ろう」
「かしこまりました。輿の準備は整っております」
一万ほどの護衛の軍を率いて、僕たちは京へと向かう。
義昭殿は輿から顔を出して、離れて行く岐阜城を何度も見た。
思い入れがあったのだろうか。
「兄弟。お前の決断は格好良かったぜ」
「そうねえ。惚れちゃいそうだったわ」
「君は本当に優しい人だね、雲之介」
正勝、半兵衛さん、秀長殿たちが口々に僕を褒めてくれた。
まさか褒められるとは思わなかった。だから照れてこんなことを言ってしまう。
「偉いのは秀吉だよ。他人の子を守ってくれたんだから」
「あっはっは。そうだろう! 皆の者、わしを褒めよ!」
「…………」
秀吉が偉そうに言うものだから、みんな呆れてしまった。
少しは謙遜しようよ……
「兄者はともかく、子供の名前は決まったかな?」
「えっと。二人で相談して決めました。まあ幼名だからいずれ変えますけど、それでもかなり悩みましたね」
正勝が「焦らさないで言えよ」と催促してきた。
「男の子は志乃が名付けた。晴太郎という。女の子は僕がかすみと名付けた」
半兵衛さんは「晴太郎とかすみ。良い幼名ね」と笑った。
「家族みんな、天候に関する名前なのね」
「うん? ああ、雲之介、晴太郎、かすみか。でも志乃は?」
「篠突く雨という言葉があるのよ。これはこじ付けっぽいけどね」
そう考えると家族の絆があるようで嬉しく思う。
「兄弟はどういう由来で付けたんだ?」
「なんとなく浮かんだ名前なんだ。意味はないよ」
すると秀吉は「わしが名付けてやっても良かったがな」と冗談を言い出した。
「ふうん。どんな名前にしたんだ?」
「そうだな。女なら美女姫とか――」
「嫌だよそんなの」
そんな馬鹿な会話をしながら行軍して、三日後には京へと着いた。
堺に茶の湯修行しに行ったときは、立ち寄らなかったけど、何故か懐かしい感じが不思議とした。
「どうした雲之介?」
「うん? 何が?」
「いや、泣いてるぞ?」
秀吉に指摘されて気づく。
頬を伝う涙を。
「あれ? なんでだろう? おかしいな」
涙を拭った僕を怪訝な表情で見つめる秀吉。
拭っても拭っても止まらなかった。
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