猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

荷止め交渉

公開日時: 2021年3月16日(火) 21:01
文字数:3,147

 評定から翌日。

 僕は家族に事情を話していた。


「というわけで、今から堺に行くことになった。留守を頼んだよ」

「……お前さまはすぐにどこかへ行ってしまうな」


 口を尖らせて不満を言うはるに困ってしまう。

 僕だってゆっくりしたいんだけどなあ。


「はるさん。わがまま言っちゃあいけませんよ。父さまは大事な勤めのために行くのですから」

「……分かっている。晴太郎殿の言うとおりだ」


 晴太郎がはるを説得してくれた。ありがたい。

 子どもが成長するのは早いものだ。晴太郎を見ていてそう思う。

 背丈も僕と同じぐらいになっているし。


「お土産。買ってくるよ。何がいい?」

「……金平こんふぇいとすが良い」


 こんふぇいとす? なんだろう? 

 おそらく南蛮のものだろうから、ロベルトに訊けば分かるかもしれない。


「分かった。その金平糖を買ってくる」

「約束だぞ。お前さま」


 最後にはるの胸の中で寝ている雹の頬を触る。

 くすぐったそうにして笑っていた。


「では行ってくるよ」

「お気をつけて」


 短い言葉で出立する。

 屋敷の門をくぐる前に、玄関で控えていた丈吉たち忍びの者八人に言う。


「家族を頼む」

「はっ!」


 

◆◇◆◇


 

「いやあ。相変わらず堺は栄えておるなあ!」

「……あんまり面白くないよ、秀吉」

「ははは。やっぱり気づいたか?」


 くだらない洒落を言いつつ、堺の目抜き通りを歩く秀吉。

 傍には僕と護衛のためについて来た清正と、交渉のため、算術に明るい三成が居る。

 若い二人はいささか緊張しているようだ。


「こんな大勢の人、見たことねえな」

「ああ。まるで祭りでもやっているようだ」


 ぼそりと話す二人に僕は「驚くのはまだ早い」と言う。


「堺には珍しいものが多く売られている。暇ができたら南蛮商館にでも行こう」

「お、俺は護衛だし、三成も忙しいし、そんな余裕ねえよ」


 すると秀吉は「若いのう」と笑い出す。


「雲之介、言ってやれ」

「いいか清正、三成。余裕とはあるものを見つけるのではなく、ないものから作り出すものだ」


 言われた二人は顔を見合わせて、それから三成が手を横に振って「ちょっと何を言っているのか分からないです」と呟いた。

 まだまだ若いなあ。こずるいことを覚えないと、仕事なんてやってられないぞ?


「わしは天王寺屋の津田宗及殿に会ってくる。雲之介は今井宗久だ」

「委細承知。任せてくれ」

「……雲之介さん一人で大丈夫ですか?」


 三成が心配と言うか気遣うように言う。しかし秀吉が「万事こやつに任せれば大事無い」と言ってくれた。なんだか気恥ずかしくなる。


「いえ。護衛の者が居なくて大丈夫なのかと」

「……三成。雲之介さんを護衛している奴なら居るぜ。さっきから視線を感じる」


 おお。凄いな。なつめたち四人の気配を感じるなんて。


「やるな清正! 成長してくれて嬉しいよ!」

「頭を撫でるな! だああ! もう餓鬼じゃねえんだ!」


 秀吉が「ああ。件の甲賀衆か」と退屈そうに欠伸をした。


「おぬしのことだからぬかりないと思っていたが。それでは、交渉が終わったら、東屋という宿屋で会おうぞ」

「それも承知した」


 ということで、僕は今井宗久の店、納屋に入る。

 納屋は他の商家よりも大きく、外観も小奇麗だった。


「御免。どなたか居られるか」

「はい。ただいま……って雨竜さまではないですか!」


 奥から出てきたのは、助左衛門だった。

 出世したようで着ている服が高価になっている。


「これはご機嫌よろしいようで」

「そっちも元気そうだね。さっそくだけど今井宗久殿は居るかな?」

「おります。今、客間へ案内いたします」


 客間で茶を出されて、飲みながら待っていると、すっと襖が開く。

 そこには今井宗久だけではなく、他にも居た。

 ――松永弾正だ。


「おお、これは雨竜殿。貴殿も堺に居るとは。奇遇というべきかな」

「ああ。奇遇だな」


 松永は堂々と上座に座り、宗久はちょうど三角となるように座る。


「雨雲はどうだ? 大切に扱っているかな?」

「……真っ先に茶器のこととは。相変わらずの数寄者だな」


 呆れるというか、そこまで来ると尊敬に値する。


「それで、何用でここに?」

「あなたが訊くべきことではないが、一応答えよう。今井宗久殿に、上杉家の荷止めを頼みに来たんだ」


 僕が正直に言うと、松永は「少しおかしな話だな」と首を捻る。


「北陸方面軍の軍団長は柴田勝家殿だ。貴殿の仕える羽柴殿ではないはず」

「……あなたのことだから、知っているだろう。上杉の配下、軒猿が長浜で一騒動を起こしたんだ」


 悪人に対して、誤魔化しなど効かない。

 ただ真っ直ぐ伝えることのみ有効だ。

 松永は顎に手を置いて、それからしばし考える。


「なるほど。上杉の力を削ぐために荷止めをするのか。まあ内政を軽視している上杉殿には効果は大だろうな。よく考えている」


 少しの間でこちらの考えを読み切っている。

 改めて恐ろしい……


「しかし遅かったな。たった今、直江津港と柏崎港への荷止めが決まった」


 一瞬、何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間、理解する。


「……あなたが既に交渉していたのか?」

「いかにも。まあ上様の命令であったがな」


 上様の? ということは松永を通じて、今井宗久と交渉したということか。

 ならば津田宗及も同じ……


「無駄足ではない。むしろ貴殿が来たからこそ、交渉は成立したのだ」

「……意味が分からない」


 今井宗久をちらりと見ると、彼はにこやかな表情で言う。


「流石に松永さまだけのお頼みでしたら、他の商家を説得することは難しいでしょうが、羽柴さまも同じお頼みでしたら、聞かざるを得ないでしょう」

「堺の豪商の中には、簡単に言うことを聞くものが少ない。まあそういうことだ」


 まあつまり、多くの方面から圧力をかけられたという事実が必要なのだ。

 それが理由となり、名分となる。商家らしい処世術だ。


「今井宗久殿。悪いが少し席を外してほしい」

「承知いたしました」


 今井宗久が中座し、僕と松永の二人きりとなる。


「ふふふ。紀州平定、おめでとうと言っておこう」

「ありがたいとだけ答えておく」

「これでわしが、謀反を起こすことはなくなった」


 そう言って笑う松永。

 僕は笑わずに「これで従い続けるんだな」と念を押す。


「さあな。わしが素直に約束を守ると思うか?」

「思わない。いずれ起こすと思うが……近い将来ではないだろう?」


 松永は「貴殿の言うとおりだ」と溜息を吐く。


「裏切り。それこそがわしの生き方だ。人生そのものだ。自分より弱き者をねじ伏せ、自分より強き者に背く。強弱関係なく、善悪関係なく、ただただ裏切り続けた」


 裏切ることが快感になっているのか。それとも他の生き方ができないのか。

 僕には判断できなかった。


「翻って雨竜殿はどうだ? 主君のために尽くし、裏切ることなく、忠義に生きる」

「そんな立派な生き方をしているわけではない」

「わしから見れば眩しくて真っ直ぐ見られない」

「あなたは暗がりで生きているようなものだからな」


 皮肉を言うと、松永は「羨ましくはないが、恐ろしくある」と珍しく本音を話した。


「戦国乱世、下克上の時代。成り上がることが正義である中、貴殿は明るい道を歩んできている」


 それは僕の内面を知らないからだ。

 気を狂わせた母。狂わせた張本人の父。そして僕を殺そうとした祖父。

 たった一人で生きてきた孤独。

 そして志乃の死。

 決して明るい道を歩んだわけじゃない。


「違う。僕だって戦国乱世を生きてきたんだ。明るく生きてきたわけじゃない」

「…………」

「志乃が……妻が悪僧に殺されたとき、胸が張り裂けそうだった。その悪僧諸共、比叡山を焼き討ちしたとき、僕は塗炭の苦しみを覚えた」


 だから目の前の悪人に言ってやる。


「誰だって暗い道を歩んでいる。汚いことをしている。後ろめたいこともしている。松永殿だけじゃない」


 最後に、松永に向かって嘲笑ってやった。


「長く生きているからって、なんでも分かった風で居るなよ。じいさん」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート