「すばらしい舞でした! 舞踏会を思い出しましたよ」
船場の荷台を積んで作ったような簡素な舞台から降りたち、顎にしたたる汗を手の甲で拭っていた時だった。
ふいに、若い男に声をかけられた。男は片腕に分厚い辞書を抱え、眩しそうに切れ長の目を細めて私を見ている。
酒場にいる客にしては、いささか不自然な身なりだと思った。浮世離れしたような微笑をたたえるその男は、冒険者にも商人にも見えないのだ。
腰には護身用らしい木製のフレイルが下げられているが、用心棒には見えない。身体はほっそりしていてお世辞にも戦士の類には見えない。
私の舞を見て男は舞踏会と称したが、貴族にしては身につけているものが簡素すぎる。旅人らしく外套は着ているが、たいして汚れていない。
男の外見のちぐはぐさに不審感を抱きつつも、私は彼から目を離せなかった。
なぜなら、彼の顔はものすごく整っていたからである。
◆
この顔がやたら良い男は、ヴァーノンと名乗った。歳は二十八歳。学者だが、王立の大学院を出てからは研究費に金がかかりすぎて食べるのも事欠く日々が続き、仕方なく侯爵家で令嬢相手に家庭教師をしていたという。
「お嬢様に惚れられて、家庭教師をクビになった?」
「はい、そうなんです……。恥ずかしながら」
無造作に後ろで一つに括った癖っ毛の黒髪をかりかりかきながら、彼は困ったように眉尻を下げる。
侯爵家で働く前にも、共学の士官学校で教師をしていたが、そこでも女性関係のスキャンダルに巻き込まれたらしい。
何故か行く先々で見知らぬ間に女性に好意を向けられ、それが原因で職を追われてきたという。
笑い事ではないだろうが、私は笑いを堪えるのが大変だった。話を聞いてるだけの私でもトラブルの原因が分かるのに、彼はまったく理解していないのだ。
──学者先生で、頭は良いはずなのに。
「色男はたいへんねえ」
「自分では己の容姿のことがよく分からないのです。かつての同僚からは、やれ発言に気をつけろだの、表情や目線に気をつけろだの言われましたが……。私は普通に生活してるだけなので」
ヴァーノンは肩を落とすと、しゅんとしながらミルクをすすった。ここは酒場である。
ヴァーノンは不思議な男だった。髪型は無造作だが、口や顎の周りには無精髭はない。身につけている物は簡素だが、不潔な臭いどころか洗い立てのようなシャボンの匂いがする。
金に困っていたと言いながら、歯はきれいに生えそろっていた。
貴族の家で働くには紹介状がいる。大学院出というが、学校に行くにも莫大な金がいる。この男は顔もいいし、おそらく、元は相当良いところのお坊ちゃんなのだろう。
──面白いわね。
正直金づるになるとまでは思っていなかった。ただ、興味は引かれた。人の良さそうなゆったりした口調に、整いすぎた容貌。
流しの踊り子の舞を見て、舞踏会に例えるそのズレた感性。
彼のことをもっと知りたいと思った。
「ねえ、あなたは今何をしてるの?」
「今は世界を見て回っています。前の職場でいくらか退職金を頂いたので」
「そう。私もなのよ」
「あなたもですか?」
「良かったら一緒に旅をしない? 私はセロジー、流しの踊り子よ」
私は自慢の栗毛色の髪をさらりとかきあげると、空色の瞳の片方を閉じ、しなを作った。
ヴァーノンは黒曜石の瞳をぱちくりさせた。
「良いのですか? 嬉しいです。私は旅慣れてないので、仲間が欲しいと思っていたところなので」
へへっと頰を緩め、目を細めるその顔には一欠片の下心も感じられない。若い男だというのに信じられない。
呆れたが、何か癒しのようなものを感じたのも事実。私は彼から差し出された手を取った。思いの外強く握り返された手の温かさに、胸が少しだけときめいたがきっと気のせいだろう。
そんな奇妙な縁で、二人の旅がはじまったのである。
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