私は二十歳を過ぎて、稼ぐようになった。
彼女も出来た。
あの時の蛙の悲惨な姿が目に焼き付く。猫のどらも犬のペロも、ウサギのミミちゃんも、もう死んでしまった。時の移ろいというのは残酷だ。何もかも死神が持っていく。
そしておたまじゃくしもどこかで、散っていったのだ。
そして大好きなおばあちゃんは、極楽浄土で笑っている。
浄土なんかあるのか? 私が通った保育園には仏像がおさめられている。あの後光に包まれた背は何を語る? 世の無常をか? それとも生命の悲惨さか? 分からない、私は若干二十を超えたばかり、そんな大そうな人生哲学を考えた時期もあった。けれど、真理なんかどこにもありゃしない。人生は非情だということは学んだ。
生活するのに苦労する。そうかと思えば、障碍者年金を貰ったり、生活保護をもらったりしている人間もいる。自分は正直にその人たちをずるい人間だと考えていた。けれど、彼らだって必死に生きているのだ。
生存権? 働かねば自分は生きていけぬ、何が生存権だ、何が人権だ、法律は美しい、しかし人生を知らない。人生はリアルだ。働かねば物乞いをしなければならない。たまに生きるのが苦痛に感じる。上司に頭をぺこぺこ下げたり、彼女が愚痴を言いだしたり、両親が喧嘩したり……。人生が下らない、子供の頃のような感性なぞ、とっくに死んだ。あの頃は、何かこう純粋だった、純粋が故に、残忍な人間になってしまった。
他人と自分を比べれば、まだましだ、いや僕は損をしている、そんな損得勘定が生まれる。必死で生きたくても、生きられない人間だっているのかもしれない。けれど、そんなこと知ったことじゃあない。究極、人間はエゴの塊に過ぎない、という真理は発見した。何て残酷な人生論だ……。
蛙を殺した自分は悪魔だ。悪魔だけど、人間なんだ。命は大切だが、命を扱う人間も色々なことを配慮しなければならないと感じる。
おたまじゃくしの命を軽んじて扱った自分が情けない。命とはなんと重く、そして軽いのだろう。簡単に死んでしまうのだから。
私は色々な過ちを犯して成長してきた。これからも失敗を犯すのだろう。
しかし、これも人生修行だと思って、自分はこれからも生きていく。人生修行? 何を言っている、人生に意味なんかない、悟り? 悟りの境地が何かをもたらすのか? そんな、私は釈迦じゃあない、キリストじゃあない、孔子でも、ソクラテスでもない、凡庸なまま、暗がりの人生をあくせく生きる凧に過ぎない。
おたまじゃくしを思い出すと鬱になる。今でも。
あの蛙は果たして、自分から生命をなげうったのだろうか?
あの蛙の犠牲は確かに私の魂に刻み込まれ、命の大切さが私にほんの少しだけ理解できた気がする。
私の今年の夏は黄金の夏か?
それとも地獄の夏か?
私は今日もさまよいながら生きていく、亡霊のようなものだ。
私は本を読みながら、まどろんでいた。そして漠然とこんな過去を思い出していた。今は実家暮らしだ。犬も飼っている。日常は幸せだ。それに過去も薄れていく。忘れて、忘れて、けれどこびりつく過去もある。忘れることが出来たらどれほど幸せだろう。また忘れることが出来たら、自分は何て残酷な人間なのだろうと、そんなことを思う。
夏だ。
ひぐらしが鳴く。綺麗に、切なく。生命は流転して、私の耳にこだまする。そして私の情緒は儚く、子供の持つ風船のようにしぼんでいく。
それが必定だ。しかし心に刻まれた過去は、私の目の前に時折現れる。
「お前を呪ってやる」
おたまじゃくしに言われた気がする。
今も言われているのかもしれない。それは分からない。けど、自分の犯した過ちはちゃんと覚えておきたい。
私は仕事をしながら、勉強していた。何を勉強しているか? 何だろう。適当なこと。雑多なこと。宗教も好きだな。
キリストは、人間には原罪があると言った。私は原罪というものを時折考えることがある。人間は原罪を本当に背負っているのかもしれない。
仏という宇宙の中で私は息をしている。そしていつの日か朽ちていく。時折、仏像を見つめると泣いているように見える。
「あーかったる。なんてこと思い出してんだろ。過去の事なんか、なんで? なー。猫のどらちゃん。犬のペロかー。そしてウサギのミミちゃんねー。ばあちゃん元気かな?」
私はひどく感傷的になっている。
夏の宵、私は酒を飲みながら、彼女にメールをする。そんなこともだるくて、昔の自分に嫌気がさす。何? それだけの文面。
「何でもない」そう返信した。
そう何でもないのだ。
自分はちっぽけだな。
酒を飲みながら、何となく昔の自分とおたまじゃくしの事を思い出しながら、自分こそ、本当にちっぽけな存在なのだと思う。
何だろうな自分って。
本当に下らない。人間って下らない。自分は下らない生き物だ。
聖者だって、極悪人だって、そこにはわずかな差しかないのかもしれない。人間であることは、どうしようもなく、下らなく、暗がりの中で、あくせくうごめく、ただの凧なのかもしれない。人間は下らないからこそ、面白いのかもしれない。それは私には分からない。人間は下らないかー。私はなんてことを考えているのだろう。けれど、そこから智慧が生まれるのかもしれないのだ。
夜の闇に光がさす。それは彗星だった。
「あ、彗星、ラッキー」
彗星が見られたのは何故だろう?
私は昔からよく考える子供だった。自分みたいな人間は一生餓鬼なんだな。
おたまじゃくしという罪を背負って生きる、餓鬼なんだな。
暗がりの中で、必死に生きる餓鬼なんだな。
八月の下旬、亡くなったおばあちゃんの家でまどろんでいた。おじいちゃんは今でも元気に煙草なんぞふかしている。おばさんが日向ぼっこして、私に話しかける。
「そこにある頭痛薬、取って頂戴な」
私はそっと薬を差し出す。
「ああ、遼君、今日もいい天気だねえ」
おばさんはそんなことを言いながら、ぐーんと伸びをする。それから、おじいちゃんの悪口を、ぐちゃぐちゃ話した後に、煙草を取り出し、一服付ける。その姿が妙に綺麗だった。
「ねえおばさん」
「何?」
「ばあちゃんみたいに肺がんになっちゃうよ」
「いいよお、別に」
「いいの? 苦しそうだったよ?」
「いいの、いいの」そしてぷかー、と燻らす。
その細長い足を晒して、ぶらぶら、ぶらぶら、揺すらし、小さな胸を反らす。何だか五十代に見えない。まだまだ若く見える。
「肺がんなっちゃうよ?」
「いいの、お母さんと同じ肺がんなら、わたし本望よ」
「え、ほんと?」
「うん、ほんと」
そう言ってぷかーと燻らす。
私は縁側に座って、虚無を感じ取っていた。何もかも無常に過ぎ去る世の中で、果たして確かなものなんかあるのだろうか? 人生とは畢竟うたかたに過ぎないのでは? 私は仏でも菩薩でもない、まだまだ餓鬼だ。
「なんでばあちゃん早く死んじゃったのかな?」
「あのくそ爺がお母さんの目の前で、ばかばか煙草を吸うからでしょ。おまけに、まだ吸ってる。お母さんを殺したのは俺じゃねえ、とか言っちゃってさ。もう嫌になっちゃうわ」
「おばさんも早死にしちゃうよ」
「うーん、お母さんと同じ死に方なら、本望かな」
「ほんと?」
「うん、それがわたしの生き方。下らない死にかたよりまし。それよりもお母さんを少しでも理解できる死に方のほうがまし。世の中腐ってんのよ。起きてるのに疲れることがあるの。でも、苦しー、苦しー、って言いながら、お母さんを理解出来たら、それはそれは、素晴らしいことじゃない? 違う?」
そう言った彼女が何か偉大なものに見えた。
それはエゴだが、実に人間的なエゴではないか。
「僕も煙草吸うよ、一本頂戴」
「はいよ」
そう言って煙草を渡された。
一週間ぶりに吸う煙草は美味しかった。
そうか、おばあちゃんはおじいちゃんの大量の副流煙によって死んだのだな。その時、あそこで背を丸くしているおじいちゃんが、小さな鬼に見えた。
あの背は何を語る? あの人はおばあちゃんをどれだけ愛しただろう。そんなことも知らない。この一家は荒れに荒れて、大変だったとしか聞いたことがない。
「おばさん」
「何?」
美しい秋波をよこす。
「人生って何?」
「人生かー、そうね」
胸を反らしてから、
「憎悪にまみれた、人間の汚れた糞みたいなものかしら」
「人間の汚れた糞?」
「そうそんなーもんよー、人生なんて」
「そうかー。そんな汚れた糞みたいな人生を生きている人間は、何者?」
「何だろう。この年になっても、人間って分からないのよね。時にいいなあこの人、とか、時に駄目な奴―この人、とか。そんなこと思うわ」
「あーなんか分かる。じゃあ人間なんてしょせん自分勝手なんだね」
「そうとも限らないわ――」
こう話したおばさんの表情が少しよどむ。影が差す。それも麗しい影が。
何か媚態のようなもの、ベールが彼女にかけられる。それは神秘的な、五十年を生きた女性が醸し出す、ある種の「あきらめ」であったのかもしれない。
私は煙草を燻らした。その紫煙がどこに向かうのかも分からない。あるいは空へ、あるいは、またあるいは――。
何も人間が生きていて尊いとは思えない。
そんな諦念すら浮かんできた。私は彼女を好きになって、付き合って、付き合ったが、それほど大切に思えなかった。抱擁やキスやそんなものなんの愛の確証も生まなかった。
私は自分が生きていることに価値が見いだせない、虚無主義者だ。
おばさんはぷかーと煙草を吸う。そしておばさんの肺が真っ黒になっていく。
私は突如立ち上がり、おじいちゃんの方へ向かい、背中をじっと眺めた。彼がおばあちゃんを殺したのか? 煙草がおばあちゃんを殺したのか? そんなことどうだっていい。けれど、哀愁の漂う背中を見つめていたら、その背中を蹴り飛ばしたくなった。
今蹴り飛ばして、ぼこぼこにおじいちゃんをぶん殴ったらどうなるんだろう? それが私の憎悪の矛先。私は悪魔だ。おじいちゃんの命もおたまじゃくしの命も大して変わらない。
私は足を振り上げて、蹴ろうとした。おじいちゃんを。
「何してるの?」
おばさんが聞いてきた。
「いや、何も」
私は足を下した。おじいちゃんに当たらなかった。
情けなかった。おばあちゃんは大切な人だった。
病室で細くなった腕を、懸命にこちらに伸ばしていた。
あの時私は手を握れなかった……。
そこにも絶大な罪が降りかかる。結局私は罪だらけの人間だ。
「ねえおばさん」
「何?」
本当はこう言いたかった。おじいちゃんをやっつけよう、悪い鬼だ、やっつけよう、と。
けれど、私は。
「おじいちゃんもいい人だよね?」と訊いた。
「うーん、はっきり悪い人ね」
やっぱり。
「家族を叩きのめして」
やっぱり。
「滅茶苦茶にして」
やっぱり。
「けれど、おじいちゃんがいなかったら、わたしは産まれなかったのね」
私はその一言に、叡知を感じた。
重みを感じた。
「人生は汚らしい糞尿、か。分からないな、僕は」
「人間の背負っているものなんて大したことないわ。わたし思う、人間て大したことない。誰もかれも」
「そんなもの?」
「そうね。人生に意味があると思うわ。そして使命も」
「どんな使命?」
「卑怯でも生きる、ということ」
「卑怯でも生きる?」
「そう、そういう事なの。人生は畢竟孤独。孤独のさなかに、見えない光を探してる」
「まるで蛾だね」
おばさんは沈黙した。煙草を燻らし、浸っている。何かに。
おじいちゃんがこくりこくりと、頭を揺すらしているのを見た。私は縁側に座り、何か異様な気配を感じた。おじいちゃんはそのまま、倒れて、寝てしまったのか? と思った。近づいてみると、彼はもう息をしていなかった。
「ねえおばさん、おじいちゃん息してないよ」
「あら? そう。そのままにしておきましょう」
彼女が神妙な顔をして、こちらを見る。
何も言わずに、沈黙が流れる。狂気的な人間が私を見つめている。おじいちゃんは目を開けたまま、だんだんと目の光が消えていくのを私は見た。
おばさんは煙草を吸っている。
何もかも異常だった。さっきまでの日常はどこぞ?
私も狂気に満ちていた。悠然と煙草を吸いだした。
そのまま二人は黙っていた。私は心臓の鼓動がやまなかった。
おじいちゃんが死んだ。警察を呼ばないと。
でもこの異常さ加減は続いた。おばさんが急に笑い出し、突っ立ったと思えば、すーと歩いて行って、おじいちゃんを足蹴りにしていた。
「わたしがこの世で一番憎いのは何だか分かる?」
おばさんがおじいちゃんを足蹴りにしたまま、そう話す。
「何?」私が聞く。
「このおじいさんでも、自分でも、世界でも、人生でも、何でもない」
「何なの?」
「血だよ。血のつながりだよ。どうしてこんな人生になったかわかりやしないさね。ただね、血、この家庭と関係性を持つことになった血が憎いのよ、坊や」
私はそこに偉大な力を持った神を見た気がする。おじいちゃんはもう死んでいた。
警察が来て、いろいろあって、葬式が行われ、親戚が集まったと思えば、醜い争いが始まった。
人間の闇とは恐ろしいものだ。おじいちゃんが死んで、一同楽しそうだった。
私は思わず、おじいちゃんの家の外で吐いた。彼は五百万の財産を持っていた。それをああだこうだ、皆が集る。
まるで蛾だ。
あるいはおたまじゃくし。一匹の蛙に群がるおたまじゃくし。あの時の鮮烈な思い出が蘇った。
「お前を殺してやる」
親戚中みんなが私を呪っているような気がした。
そして実際みんながおじいちゃんを呪っていた。
月が綺麗だった。私は怯えながら、煙草を、震える指でのんで、その地獄の一夜を過ごした。
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