「きゃあああああああ!!」
平和な野原に悲鳴が響き渡った。
ベルトラン王国の都に続く一本道。1台の馬車が人ならざるものに囲まれていた。
濁った緑色の小さな身体に血走った目、口から生えた牙は鋭く涎を垂れ流す。
ゴブリン。それが彼らの種族名である。
「く、くるなぁ!」
馬車の御者が必死に護身用の剣を振り回し、威嚇する。
しかしゴブリン達はその様子を嘲笑いつつ、一歩、また一歩とにじり寄ってくる。
彼らは人間の感情、特に恐怖に対する感度が高い。
それは強い敵に対しては一目散に逃走し、弱者から食料などを調達する彼らなりの処世術である。
そんな彼らにとって、目の前の馬車は絶好の獲物そのものであった。
「ママ⋯⋯!」
「大丈夫よ⋯⋯大丈夫だから⋯⋯!」
馬車の中で身を寄せあいながら震える母娘。
裕福な商人の家族である彼女達は乗っている馬車はもちろんのこと、身につけている宝石も美しく輝いていた。
それが不幸なことに魔物の目を引いてしまったのだ。
「グギャアアアアアア!」
そしてとうとうその時がくる。
1匹のゴブリンが己の食欲を抑えきれず、御者に飛び掛かる。それを合図に仲間達も馬車へ駆け出す。
「う、うわあああああ!!」
当然、戦闘のスペシャリストではない彼では勝ち目はなかった。
すぐに馬車から叩き落されてしまう。
地面で剣を手放し、悶える御者。
そんな彼はゴブリン達にとっては、まな板の上の魚と変わらなかった。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
待ちかねたとばかりに全身に牙を突き立て始まる。
全ては確実に食料にありつくため。
小さな体の彼らにとって、大きな体をもつ獲物を弱らせることはゆっくり食事を楽しむための一工夫というものである。
「あ⋯⋯あっ⋯⋯」
馬車の外の惨劇に呆然とする2人。
しかし彼女達にも魔の手が近づいていた。
「キキッー!!」
「きゃあああ!」
馬車の窓を突き破ったゴブリン達は2人を馬車から引きずりおろす。
そして、地面に組み伏せられる母娘を見て、口元を歪ませる。
思わぬ形で彼らのもう1つの至上命題が果たされようとしたためである。
1匹が合図をするように目配せすると、彼女達にゴブリン達が群がり、衣服に手をかけた。
「いやあああああああ!」
彼女達の悲鳴にあわせて引き裂かれた衣服。
ゴブリン達のもう1つの目的。
それは繁殖である。
前述の通り、ゴブリンという種族は数こそ多いものの、体の小ささも伴って、他の魔物からは捕食される対象になっている。
加えて人間からは危険生物とされ、発見され次第駆逐されている。
しかし彼らは長い歴史の中でも特段数を減らしたことはない。
その大きな要因は繁殖能力の高さにある。
彼らの遺伝子は絶滅の危機に反する度に強くなっていき、ついには母体を選ばなくなった。
同族の雌はもちろんのこと、豚や牛などの家畜。
それは人間の雌も変わることはなかった。
「誰か⋯⋯!誰か助けてぇ!!」
最後の力を振り絞って抵抗し、叫ぶ。
しかし数匹がかりで形成されたゴブリンの拘束はびくともしない。
唯一の頼りであった御者も遠くで力なく倒れている。
絶望。
2人の悲鳴は徐々に小さくなっていく。
「ギギッ」
獲物が観念したことを察し、ゴブリン達は腰布に手をかける。
そして鼻息荒くして、彼女達に手を伸ばす。
「誰か⋯⋯助けて」
その時であった。
「ギャ!?」
1匹のゴブリンが悲鳴をあげ、その場に倒れこむ。
その数が1匹、また1匹と増えていく。
突然のことにおろおろとするゴブリン達。
彼らの目の前には1人の騎士が立っていた。
「あの方は⋯⋯」
紅色の髪に藍色の瞳。
白いコートに身を包んだ青年はその手に緋色の剣を携え、ゴブリンを見据える。
「ギギッー!!」
そしてゴブリン達もなんとか落ち着きを取り戻し、青年を取り囲む。
思わぬ邪魔が入り、不機嫌そうに目を吊り上げる。
そして、一斉に飛び掛かる。
「っ!!」
思わず目をつむる母娘。
しかし聞こえてきたのはゴブリン達の断末魔であった。
「ギャ!?」
「ギュ!?」
「ギャアア!!」
次々と飛び掛かるゴブリン達。
しかし彼らの牙、爪は騎士に届くことはなく、体に刀身が突き刺さる。
次第にゴブリン達の顔に脂汗がにじみ始める。
彼らの数はもう数えるだけとなっていた。
「ギャ、ギャギャー!!」
そして不利を感じ取った魔物達は蜘蛛の子散らして逃げていった。
あまりにも一瞬のできごと。
呆然としている親子に騎士が近づいてくる。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
「い、いえ⋯⋯私達は大丈夫です⋯⋯あっ、それよりも!」
「分かっています」
青年は踵を返し、倒れている御者に近づく。
彼の周りには血の池ができており、全身も傷だらけだ。
一刻を争うほど危険な状態なのは明らかであった。
「⋯⋯まだ呼吸はあるな。リリ!」
「はいよー」
彼の呼びかけとともに、1人の小さな小さな少女が現れる。
黄金の長い髪に透明の羽、両手には彼女の身の丈ほどの杖が握られている。
「妖精さんだぁ!」
先ほどまでの悲壮な表情はどこへやら。
娘は目を輝かせながら、リリを見つめている。
「ほい、痛いの痛いのとんでけー」
リリが御者の顔の側で杖をかざすと、彼の身体が光に包まれ、みるみる傷が塞がっていく。
そして顔にも生気が戻る。
「す、すごい⋯⋯!」
目の前で起こる奇跡に呆然としていると、御者がむくりと起き上がる。
彼自身も何が起きたのか分からない様子だ。
「お、俺はいったい⋯⋯!?」
「リリお疲れ様」
「ご褒美はベルツのワインねー」
「えっ、それ、俺の給料ぐらいする高級ワイン⋯⋯」
「よろー」
「ちょ!?」
リリが姿を消し、青年は取り残される。
青年の姿に彼は目を丸くした。
「赤い髪にそのコートのエンブレム⋯⋯まさかあんた、アーク・カーマインか!?」
「おじさん、知ってる人?」
「このベルトラン王国最強の騎士様さ!」
御者の声に驚き、改めて青年に向き直る。
照れくさそうに頬を掻く騎士のコートに刻まれた黄金のエンブレム。
これまで気がつかなかったが、確かにかの有名なアーク・カーマインその人であった。
そんな人が助けにきてくれた。
まさに奇跡である。
そう思うと胸が熱くなり、体が勝手に動いた。
「どうしてあんたがこんなところに?」
「休暇で隣町に出かけていた帰りでして⋯⋯間に合ってよかったでっ!?」
突然抱き着いてきたことに驚いたのか、アークの声が上擦る。
「ありがとうございました!!アルス様がいてくださらなければ、私達はっ」
「い、いえっ!騎士として当然のことをしたまでですので⋯⋯!」
「どうかお礼をされてください!私にできることならなんでもいたします!」
「な、なんでも!?い、いや!本当にお気になさらず!そ、それよりもふ、服⋯⋯!」
「服⋯⋯!!?」
自身の身体を見下ろすと、そこには衣類を身につけず、肌を露出する自分の身体。
あまりの羞恥に顔が急激に熱くなる。
「きゃあっ!」
「も、もう限界⋯⋯ぶはっ⋯⋯!」
「えっ、アルス様!?アルス様!?」
「騎士様が鼻血出して倒れちゃいました!」
「それより奥様達は服着てくだせぇ!こっちは何とかするんで!」
「あーあ、女に弱すぎるでしょ⋯⋯このむっつり騎士」
再び慌ただしくなる馬車周り。
鼻血を垂れ流しながら失神したアルスをリリはコートの袖から呆れた目で見ていたのであった。
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