三
坂本さんの訃報を知ったのは、あの日より一週間経った頃だった。
「深冬ちゃん!大変なんだよ!のすけが!!」
長屋で子供たちと遊んでいると、私に声を掛ける背丈の高い男が慌てた様子で駆けつけて来る。よく見ると、一度酒の席を共にしたのすけの友人だと言う新八さんだった。
「新八さん。ご無沙汰してます。のすけはいつだって大変そうですよ?」
「いや、そうなんだけど。そうじゃなくてね⁉」
また島原辺りで馬鹿をやったのかと思っていれば、新八さんは被りを横に振って否定する。
「近江屋の一件、のすけに容疑がかかってんだよ!」
「近江屋?」
「そうか、知らないのか。坂本龍馬が殺されたんだ」
「えっ…?」
口が急に乾き出した。
「身内の犯行だと言われちゃあいるが、その容疑がのすけにかかってる」
「どうして?」
ただのちゃらんぽらんが、どうしてそんな大きな事件に関わっているのか分からなかった。
「いや、どうせ伊東の…なんか変な噂が流れていてな。伊予訛りの犯人で鞘がのすけのモノだったなんて変な事になっちまってて…」
のすけが、私を迎えに来たことによっての容疑だったとすれば、私のせいだ。
誰かがのすけのことを言いふらして、犯人に仕立てあげようとしているのかもしれない。
「本人は?」
「違うとは言ってはいるが、一応の聴取で今日は屯所…沙汰を待つように言われちまって」
なら、話は早い。
「そんなの、鞘はここにあるって証明してやればいいじゃないで……あ」
「深冬ちゃん?」
言葉が止まった私を心配して、新八さんが顔を覗き込んだ。
「どうしよう、しんぱつぁん…のすけの刀、私が預かってるんだけど…」
「何で⁉」
馬鹿でかい声で、新八さんがこちらを見た。
「いや、この前刃こぼれしちゃっただなんだって鍛冶屋にお願いしに行ったらしいんですよ。で、仕上げも込みで出来上がるのは数日かかるらしくて、鍛冶屋は今日取りに来てほしかったみたいなんです。でも、のすけは明日がいいとかって揉めだしたんで、代わりに私が今日受け取ることになったんです」
はははと笑って説明すれば、新八さんは頭を抱えて焦り出す。
「おいおい…まずいんじゃねぇの?疑うどころか、首かかってんじゃねえの⁉」
「どうしましょう…刀は肌身離さずにと思って、ここにあるのですが…」
「とりあえず、深冬ちゃん一緒に来い!」
頭をかいて、新八さんは私の手を掴みのすけのいる所へ連れていこうとした。
「いやいやいやいや!!!私がそんなところ言ったら余計に怪しまれますって‼」
一瞬、自分も行こうと思ったが自分の姿を思い出して地面を擦る様に踏ん張って拒否をした。
「じゃあ、どうしろって…」
「そんな急に言われても……」
そもそも、なんでのすけが疑われる事があるのかと言いたいところだが、多分教えてはくれないと思うので一緒に助け出す方法を考える。
「姉ちゃん、母ちゃんが豆腐持ってけって……」
二人で考えていると、後ろから太郎が豆腐を持って来た。
「……」
「……」
私と新八さんは太郎の顔を見て、互いの顔を見合わせた。
「太郎、夕餉は何食べたい?」
「えっ?」
にっこりと新八さんが笑いかけるので、太郎は困惑した様子で私に助けを求めた。
「私に、考えがあります」
***
まずいことになった。と、柱の木目を見ながら思った。
目前には局長と副長が胡坐をかいて、こちらをだんまりと見つめている。
「ま、まあアレだ。仲間を疑いたくはないんだがな、一応聞かないと他の隊士たちにも示しがつかないからな。すまないな、のすけ」
人がいい局長は、困った顔をして沈黙を破った。
「わかってますって。身の潔白を証明してほしいんだろ?大丈夫ですよ、その日は別の用事で、近江屋なんて行かなかったし」
近江屋事件から数日、何故か俺が犯人に仕立て上げられていた。
あの日、深冬を助けに行ったところを誰かに見られていたのか、それとも端から自分に罪を着せるつもりだったのか。
どうせウチを良く思わない連中が言いふらしているのだろうと思っていたが、まさか今日に限って聞いて来るとは思わなかった。
鞘が現場に落ちていたというが、そんな証拠はないし、刀は俺が持っている。
まあ、今は深冬さんが持ってますけど。
事件があったとされる当日は、新八と島原で遊んでいたので証明はできるが、副長に言ったらそれはまた別で怒られるので避けたい所である。
新八が何やら慌てた様子で飛び出していったが、屯所にまで深冬が来るとは思わない。
馬鹿な新八だから無理やり連れてきそうな気もするし…
どっちかっつーとそっちが心配だァー!
この場にいない友人のことで頭を抱えていると、副長がいつも通りの神経質な眉間のシワを作って尋ねてくる。
「で?その証拠になる刀はどうした?」
「あー…えっと…」
このままでは、身に覚えのないことで犯人になるどころかこの二人から信頼が無くなってしまう。
「実は…今ちょうど無いっていうか……」
ごにょごにょと言い訳をすればするほど土方さんの眉間にしわが寄る。
「ハッキリしろ。らしくもねえ」
信頼と信用を置かれている局長たちを裏切るような気持ちで、目が泳ぐ。
そもそも、深冬のことも言えないというのにどう説明をするべきか。
実は異国の血を引いた女を匿っています?
そんなことしたら、深冬に嫌われる。
彼女をこんなに構っておきながら、自分の危機に利用するだなんてそんなことはできなかった。
無言のまま時間が過ぎていく。
どうしたものかと困っていると、聞いたことのあるか細い声が、屯所の玄関先で聞こえる。
「すみません。のすけさんはいらっしゃいませんか?」
声の方へ駆け付けてみれば、長屋の太郎が俺の刀を持って立っていた。
「太郎…」
「兄ちゃん、これ預かってた刀。返しに来たよ」
太郎の隣には先程心配していた新八の姿があり、やり切った顔を見せてくる。
すごく腹が立ったが、太郎を寄越したのは多分深冬の計らいだろう。
「なんだ?のすけの知り合いか?」
後ろで共に来ていた局長が尋ねる。
「ええ。ちょいと知り合いの子供でして」
「えっと…鍛冶屋さんが今日取りに来いって言ったきり来ないから、僕が届けることになって…」
太郎は、俺に刀を渡してくれる。
「刀、明日できるはずじゃなかったか?」
確かに、深冬に遣いを頼み今日届くことは知っていたが、太郎がそう言っているのでしらばっくれて俺は首を傾げた。
「ううん。鍛冶屋のおじさんが、兄ちゃんが困ってるから今日渡して来いって」
「そうか。わざわざありがとうな」
太郎の頭を撫でて、俺は二人の方に向きを変えた。
「俺の刀はここに。鞘も何も変わらないでしょ?」
一応の確認をしてもらうために、副長に刀を差しだす。
「俺が刀を鍛冶屋に預けたのが、一週間前。近江屋の時にはすでに預けられているんで、犯行は無理かと」
「……確かに。ちゃんとお前の刀のようだ」
副長は、そう言って刀を俺に返してくれた。
「よかった」
「おい坊主」
呼びかけた副長がいつまでも怖い顔をするので、大人しい太郎は返事だけして固まってしまう。
「はい…」
「お前を使いに出したその人に言っといてくれ。『切れ味のいいもん隠すにはもったいねえ』ってな」
うわ、お見通しだよこの人…!
口元を隠して、大人の俺も副長の言葉に怯えた。
各方面からの助け(主に深冬)によって疑いは晴れ、俺は太郎を長屋に送ることになった。
「なんて言われてきたんだ?」
長屋に送る道中、太郎と手を繋いで夜の町を歩く。
「冬姉ちゃんが、ものすごく笑顔で『太郎、この前やりたがってたそろばん教えるから、ちょっと頼まれてくれない?』って言われて、大きいお兄ちゃんとさっきのお寺に行ったの」
深冬の満面の笑みが思い浮かばず、険しい顔をしていると太郎が自分の顔で深冬の真似をする。
「それじゃあバケモンに近いぞ、お前」
あまりの不細工な真似に俺は笑った。
「なに、太郎はそろばんやりたいの?」
「うん。深冬姉ちゃんがすごく上手なんだよ。シュババババって」
「それは知らなかった」
深冬の特技はなんだか意外で、ふと違和感を覚えた。
使用人の娘が、字とそろばんを覚えるのだろうか?
彼女の話では、母親は武家屋敷の使用人だったと聞いている。
そこで出会ったのが異人の父親だ。
どこの国の者だったのかは知らないが、深冬の見た目から察するに樺太辺りの人間ではないだろうか。
「それは、私も思ってた」
長屋の門の前で深冬が太郎の帰りを待っていた。
「思ってたんかい」
どうやら、太郎を向かわせたのは深冬だった。
新八が深冬を連れて行こうとしたので咄嗟に考えた結果だったそうだ。
太郎には悪いことをしたが、深冬との約束に釣られて遣いを頼まれることにしたらしい。
駄賃よりも勉強の方に食いつくのがまた、太郎らしい。
「まあ、言われるまで気づかなかったんだけどね」
カラフトは知らんけど、まあ自分の身分については気になってたと深冬は寒そうに手を温めながら話す。
「言われるって、誰にだよ」
太郎を長屋に送り、今度は深冬を家に帰すことにした俺は河原沿いを寄り道しながら話を切り込んだ。
「坂本さん」
またあの男かよ。
しれっと言い放つその名前に、頭を抱えた。
死んでもなお、名前を聞こうとは思わず大きなため息をする。
「太郎に刀を渡してから直ぐに文が届いたの。君は、自分の身分を今一度知った方がいいと思うって」
「偉そうだな」
土佐訛りに、ガハハと笑いながらあのもじゃもじゃは言いそうだなと想像が簡単にできた。
「あの人らしいと言えば、らしいでしょ」
クスクスと深冬は笑っていた。
「あー、そうだ。ありがとよ」
「なに、急に」
「いや、間接的にも助けてくれたから。そういやひじか…副長が言ってたぜ、『切れ味のいいもん隠すにはもったいねえ』って」
「お褒めに預かり光栄でございます」
相変わらず武士嫌いな彼女は嫌味たらしく舌を出して俺に頭を下げた。
「でもなんで、西本願寺?あそこって、たしかお役人が…」
「さあな。俺にはわからねえよ」
「そう」
悟られないように、シラを切る。
「私こそ、ごめんね」
「なんで」
「あの日、近江屋行ったから…のすけが疑われたんだよね」
「いやなに、お前のせいじゃない。俺が疑われるような場所にいたのが悪いのさ。五体満足で釈放されているんだ。文句ないだろう」
「そうだけど…」
言い淀む彼女が不可解で、思わず深冬の手を取って抱き寄せた。
「なんだよぅ…」
多分、こいつはあの男も自分のせいで死んだと思っている。
「お前のせいじゃない。誰にでも恨みを買われるような立場にいた奴だ。お前が、断ったから死んだんじゃねぇ」
大丈夫だよ。と背中を撫でる。
「……のすけの癖に…無駄にかっこいいな…」
顔は覗かなかった。
声が震えているだけで、気持ちが伝わったから。
ぎゅっと着物を掴まれる。
優しくて、不器用なこの女を俺はやっぱり裏切ることはできなかった。
「一度、母の実家に行ってみようと思う」
少ししてから、深冬が今後の事を伝えてくれる。
「そうか…」
「それで…のすけが良ければなんだけど…」
俺の着物の袖をつまんで、深冬は言いづらそうに頼みごとをする。
「良いぜ」
「まだ何も言ってない」
俺の早すぎる返答に、深冬は驚いた顔をする。
「一緒に行ってほしいんだろ?深冬さんは寂しんぼだもんなぁ」
少し揶揄って言ってやると、パッと目線を逸らして不服そうな声を漏らす。
「……いい。一人で行く」
ムスッとした顔を見せて深冬は踵を返し、帰路につく。
「おい、怒ってんの?」
「怒ってない!のすけは一生島原で下働きするがいいさ!」
「なんで、お前知ってんだよ!おい!深冬さん⁉新八か?アイツがまたいらん事言ったんだな⁉」
顔を一切見せることはない彼女の声は、少し怒っているような、楽しそうに聞こえた。
慌てて深冬の後を追いかけているとふわりと白い羽のようなものが宙を舞う。
「あ、雪」
「道理で冷えるわけだ」
つかつかと先を行っていた深冬が立ち止まって天を仰いだ。
「のすけ、雪がとけたら何になるでしょう」
急な謎かけに、俺は反応できず首を傾げた。
「三、二、一……」
急かす数えに俺は大きな声で答えを出す。
「あー、春!春が来るぞ」
「……」
咄嗟に言った答えに、深冬は驚いた顔をしていた。
「なんだよ、その顔」
「私も。春を待ってるの。桜、今年は二人で見ようね」
「そうだな」
深冬の隣に並んで京の町を歩きだす。
これから先、彼女を届く範囲で守りたいと思っていた。
でもその覚悟は、少し足らなかったようだ。
これは、彼女の話。
これは、彼の話。
好き合う癖にその心にも気付かない、バカな二人の話。
どうか、話だけでも聞いておくれ。
雪がとけたら、——一章閉幕
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