「今日はわざわざご足労を頂いてありがとうございます」
私はヘレンさんに頭を下げる。
「それは別に良いんだけど……」
「はい」
「えっと……?」
「ここは馬車のキャビンです」
「いや、それは分かるわ……」
ヘレンさんがゆっくりと手を左右に振る。
「そうですか」
「そうよ。アタシが聞きたいのは……」
「聞きたいのは?」
「この馬車がどこに向かっているかってこと」
ヘレンさんが窓を指差す。窓には厚いカーテンがかかっていて、外が見えない。
「ああ……」
「ああ、じゃなくて、なんでカーテンを閉め切っているの?」
「光が苦手でいらっしゃるかなと思いまして……」
「得意ってわけじゃないけど、全然大丈夫よ」
「そうでしたか」
「開けても良い?」
ヘレンさんがカーテンに手をかけようとする。私は声を上げる。
「ああ! ちょっと待って下さい!」
「な、なによ……」
「……カーテンは閉め切ったままでお願いします」
「何故?」
ヘレンさんが首を傾げる。
「理由は……三つあります」
「け、結構多いわね……」
私は指を三本立てる。ヘレンさんがそれに戸惑う。
「まず一つ目は……」
「一つ目は?」
「パニックになるといけませんから……」
「パニック?」
「ええ」
「どういうことよ?」
「今や、ヘレンさん……いや、ヘレン先生はベストセラー作家です」
「そんなことは……」
「謙遜されても事実は事実です。有名作家が乗っていると分かったらパニックになってしまう恐れがありますので」
「顔は知られていないでしょう?」
「こう言ってはなんですが、この馬車は結構立派な馬車ですので……」
「そうね……」
「そういう馬車に乗っているサキュバスの方……ヘレン先生だとすぐに結び付けられてしまいますから」
「そ、そうかしらね?」
「そうです」
「なかなか不便ね……」
「こらえて下さい」
「いわゆる有名税ってやつね……」
ヘレンさんは髪をかき上げる。なんだか満更でもなさそうである。
「とにかくこらえて頂いて……」
「まあ、それは分かったわ。他は?」
「はい?」
「他の二つよ」
ヘレンさんが指を二本立てる。
「ああ、二つ目ですが……」
「うん」
「それは……これから向かう行先を秘密にしたいなと思いまして」
「秘密に?」
「はい。おぼろげな記憶なのですが、私が元いたニッポンでは、こういう移動の際に行先を秘密にして、いわゆるサプライズ感を演出するのが流行してまして……」
「か、変わった流行ね……」
「本当は出来れば、目隠しと耳栓もしてもらおうかと思ったのですが……」
「そ、それは、なんだか意味合いが変わってきちゃうわね……」
ヘレンさんが困惑する。
「ええ、よって自粛しました」
「こっちの世界でも、貴族が秘密の社交場に向かうときにこういうことをしなくもないけど、別にそういう場所でもないんでしょ?」
「まあ、そうですね……」
「じゃあ、良いじゃない、ちょっとくらい外を覗いても……」
「まあまあ、それはお楽しみということで……」
「サプライズってこと?」
「そういうことです」
ヘレンさんの問いに私は頷く。ヘレンさんが笑みを浮かべる。
「結構期待値が上がっちゃっているんだけど……」
「きっと、ご期待に沿うかと……」
「ふ~ん……で?」
「は?」
「いや、三つ目よ、三つ目の理由」
「ああ……いや、間違いです。理由は二つだけでした」
「なにそれ、どんな間違いよ」
私の言葉にヘレンさんは苦笑する。本当はもう一つ理由があるのだが、黙っておくことにした。ヘレンさんが醸し出す極上のフェロモンは厚いカーテンなどで覆っていないと、馬車とすれ違った人々が大変なことになってしまうからだ。キャビンも特製で、御者や馬にも影響が出ないように配慮してある。ただ、これまでわざわざ伝える必要はないと判断した。
「! 着きましたね……」
「ふむ……」
「それでは降りて下さい」
「これは……建物の入り口?」
「入り口にピッタリつけてもらいました。どうぞお入り下さい」
「え、ええ……」
ヘレンさんが建物に入る。私は先に進むように促す。
「どうぞ、お進み下さい」
「これは劇場かしら? !」
「~~♪」
「わあ~!」
「こ、これは……」
ヘレンさんが驚く。劇場の舞台で動物の着ぐるみが数体、劇を展開し、それを見た観客が――そのほとんどが子供である――声援を送っているのである。
「事後報告になってしまいたいへん恐縮なのですが、ヘレンさんの書いた絵本を着ぐるみショーにさせてもらいました」
「サプライズってこれのこと⁉」
「はい、そうです」
「~~~♪」
「あはは!」
「すごい……子供たちがアタシの書いた話であんなに喜んでいる……」
「いかがでしょう?」
「……こういう風に人の感情を動かすのもなかなか良いものね」
私の問いに対し、ヘレンさんは嬉しそうに笑みを浮かべる。
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