渡辺友梨香は苛立っていた。この苛立ちが何かはよーくわかっている。
おそらく嫉妬と呼ばれるものだろう。もう少しかわいげのある表現をするならばやきもちというものだ。正直、自分がそんな感情を持つようになってしまうとは……。
松浦怜という女が持つ生まれながらの魔性のそれは恐ろしいものだ。
おそらく、大阪時代の友梨香を知っているものからすれば、一体どうしたと驚くだろう。
たかだか、同性の(結構、相当、めちゃくちゃ顔がいい)子から少々、素敵なスキンシップを受けただけで赤面してしまうのだから。
あの後、教室を飛び出してしまった友梨香は少し廊下を歩き、気分転換をはかっていた。
しばらく歩いていくと、徐々に本来の自分を取り戻し、冷静に今後の野球部について思案できてきた。
実際問題、ほぼ野球素人の集団で全国制覇というのはおおよそ不可能だ。だが、それは都市部や他の野球強豪地域での話だ。長崎県もほどほどには野球は盛んではあるが、九州の強豪地域といえば、福岡、熊本、あとは鹿児島だろう。大体の自分の腕に自信のある子はそこの三県の高校へ入学していく。
だから長崎を選んだのはある意味正解だ。
中堅前後のレベルで、さらに近くに強豪地域があれば何かと練習も様になる。
あとは何より比較的暖かい地域だ。冬場でもしっかり練習が行えるというのも利点だ。
「まあ、あとはメンバーやけどな」
友梨香はこの時間は生徒の出入りも少ないであろう空き教室へ入ると、椅子を外が見える位置まで運び、腰掛ける。そして、胸ポケットから例の紙を取り出すと、今一度眺める。
彼女たちはここに入学する前に友梨香が選抜したメンバーだ。
別に皆、スポーツエリートというわけではなく、中学時代運動部でしっかり3年(正確には2年と半分ぐらいだが)間、部活動に勤しんでいた連中だ。
素人の集団を集めて挑むとなると、正直基本的な基礎体力をはじめから付け直すというのは時間の無駄だ。もちろん、ウエイトトレーニングとかはちゃんとやるが、それよりも大事な「運動慣れ」というものに友梨香は注力した。
ある程度、身体の基礎があれば後は、野球に向けたちょっとしたシフトチェンジをしてあげるだけで、大体は上手くいくと思う。
これは持論だが、正直野球という競技ほど難易度が低い競技はないのではと思う。
陸上や水泳と行った競技は身体一つで行う。そうなると当然ながら絶対的な才能の差というものが如実に表れてしまう。無論、走るや泳ぐというのは誰でも(泳ぐことに関してはやや難しいが)できることなので簡単に選手としては出場できるだろう。しかし、そこから全国の頂点を狙うとなると、練習もさることながら、才能というものがものを言う世界になる。
では、同じ球技でしばしば槍玉に挙げられるサッカーはどうだろうか?
友梨香としてはこれも難しいと思う。なんたって、道具がボールだけなのだから。
ボールを蹴ると一口に言っても、そのためのコントロールというものは身体を自在に扱うそれと同等だ。できない奴はどこまで言っても上手に蹴ることができない。
だから道具を用いて何かを操作する競技は思っているほど難しくないのではと思う。
野球なんてボールをバットで当てればいいのだ。もちろん思ったように飛ばすには技術は必要だろうが、ひとまず当てて転がせばなんとか競技にはなる。それでセーフになるかアウトになるかは別だが……。
だから友梨香は運動経験者をかき集めることにしたのだ。
ある程度自分の身体を動かす感覚がわかっていれば、野球のそれも割と早期に身につけられるはずだ。
0を1にするのは大変だが、1を10にするのは思いのほか簡単だと思う。
ひとまずバットでボールを打つことは、程度の差はあれできるだろうと踏んでいる。だから、はじめは守備を鍛えた方がいいだろう。
友梨香が選んだメンバーはそういうことだ。
テニス、バドミントン、陸上、水泳、あとラッキーにもソフトボールここら辺の出身を集めた。あとは中学時代の体育の成績も加味している。
さらにその中でも「めちゃくちゃその競技に思い入れがあるわけではない」人だ。
よーするに真面目に練習はしてるけど、とりあえず入ったから頑張ったという連中だ。そういう連中ならば、他の部を希望していても引き抜くことは容易だ。
無論、そういう連中だからこそ野球部じゃなくてもいいじゃんと言われたらそれまでだが、そこは一応対策済みだ。
顧問兼監督も目星がついているし、まあ、大丈夫だろう。
――なんてところまで考えて教室へ戻ってくるとだ。
「なるほど、七絵はテニスを、本当に高校はよかったのかい?」
「うん! 別にずっとテニスをしたいってわけでもなかったし、高校までは運動していた方がいいかなーと思っていただけなんです」
見知らぬ……いや、友梨香は知ってはいるが、知っている人の上にまだ話したことがない名前だけは知っている奴が座って楽しそうに談笑している。
言わずもがな怜だ。そしてその上に座っているが曲山七絵だ。
どうして二人が仲良くなっているのか知らないが、あのキャッキャうふふの世界にイラッとした。
なんというか、膝の上に座られているのに嫌そうな顔をしない怜にイラッとした。
どしんどしんと音を立てて二人のところへ向かう。
引きつった笑顔で、
「ふ、二人ともえらい仲ええなあ……」
「友梨香。先ほどはすまなかった。えっと、彼女は……」
「知ってるで。曲山七絵ちゃんやもんな!」
「そうなんだ。君のリストに入っていた。野球部に入ってくれるそうだぞ」
「どけやブス」
「は? 何言ってんの?」
友梨香の刺すような声に、七絵は先ほどまでの甘い顔から一転親の敵を見つけたような表情で言い返す。
いわゆる修羅場というものだ。
だが、こういうものは問題の張本人は気がつかないものである。
「おいおい、二人ともせっかく野球部の仲間になるんだ。仲良くしてくれ」
のんきななものだ。友梨香は怜の隣の自席に座るまで一瞬たりとも七絵からは目をそらさずに座った。
「ばーか」
そして、そっぽを向いた。
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