「よかった。目を覚ましたんだな。大丈夫か?」
怜は椅子を動かしてベッドで寝ている彼女の元へ近づこうとするが、それを養護教諭が制止する。
「ストーップ! これ以上はだめよ!」
二人の間に手を入れると首を大げさに横に振る。
納得いかなかったが、いらぬ騒ぎを起こすこともないと怜も渋々従い、少し下がる。
「えっと……私……」
「ああ、すまない。先ほど廊下でぶつかった時に君を助けたまではよかったのだが……ん?」
怜に気がついた少女は口をパクパクさせて、両手で顔を覆う。
「無理! 直視できない!」
「わかる。わかるわ~その気持ち」
彼女の肩に手を置いてうんうんとうなずく。怜からすれば何が何やらでちょっとストレスだ。
彼女が指の間からのぞき見るようにしてようやく目が合ったような気がする。
「それで私を運んで……?」
「ああ、さすがにあのまま放っておくわけにもいかないからな。お節介だったかもしれないがここまで運ばせてもらった」
「そうだったんですね……ありがとうございます」
「いいや、気にしないでくれ。元々は私の前方不注意が原因だ。ところでえっと……君は」
「曲山です。B組の曲山七絵です」
「そうか、七絵というのだな。よろしく。私も君と同じB組の――」
「ひゃあああああいきなり下の名前呼びはまだ心の準備が!」
「ねえ!! だからあなたのそれはどういうことなの!?」
怜の自己紹介を七絵の裏返った声と、びしっと人差し指を怜に向ける養護教諭(首元のネームプレートにやっと目が入った。どうやら明石静香と言うらしい)の声が重なって遮られたしまった。どうも、怜は台詞を遮られることが多いらしい……。
下の名前と言っていたということは、
「ああ、すまない。やはり馴れ馴れしかっただろうか? 嫌なら曲山と呼ぶが」
「いえ! ふつーに七絵と呼んでください! えっと私は……」
「ああ、途中だったな。同じクラスとなる松浦怜だ。私のことは好きに呼んでくれてかまわないよ」
「えっと、だったら……」
七絵はもじもじうねうねする。時折怜の顔を見ると「きゃっ」と可愛い悲鳴を上げて顔をそらす。しばらくの間その様子を見ていると、
「その……怜……さん?」
「ああ、よろしく。七絵」
「ひゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」
怜の百万ドルのキラキラ笑顔に七絵は再び気絶しかけそうになる。
無論、怜からすれば先ほどの友梨香といい今の七絵の反応といい、どうして皆似たようなリアクションを取るのか、それは理解できていない。
(ふむ。七絵……。ん? 曲山七絵、といえば……)
怜は教室で友梨香が見せてくれた名簿、そして入学式の時のアレを思い出す。
「もしかして、君もあれか? 入学式の時に名前を呼ばれた……」
「そうなんです!」
口調はやや怒っているようだ。そりゃあそうだろう。入学式という多くの生徒や教職員がいる中で突然名前を呼ばれたのだ。恥ずかしさもさることながら、怒りの感情が沸くのも理解できる。
怜は事前に友梨香から野球部に誘われていたので、あまり気にしなかったが。
「なんなんですか!? あいつ! いきなり名前呼んで……。あれ? もしかして」
怜の名前に気がついたのだろう。
「ああ、私もその被害者の一人だ」
「そうだったんですね! もうなんなんでしょうね! どうします!?」
「どうするとは?」
「あいつ、『放課後、野球部の部室に来い』とか言ってましたけど!」
「ああ、その件か」
「大体、いきなり野球部に入れとか、私は高校ではテニス部に入る予定だってのに……」
「私は入部するつもりだが」
「そうですよね。直接行って断りに……ってええ!? 入部するんですか!?」
七絵が顔を寄せるが、すぐにその距離に恥ずかしくなって一気に距離を取る。
「一応、中学までやっていたし。彼女もそれを知っていて来てほしいらしいからな」
「なるほど……」
七絵は腕を組み眉間にしわを寄せる。
何やら考え事をしているようだが……。
「わかりました! 私も入ります!」
「え? いいのか? 別に断ってもいいのだぞ」
「だって、野球部には怜さんと後……」
「友梨香か?」
「そう、ゆり……え、もうそんな仲なんですか!?」
「どういう仲なのかは知らないが、まあ、(中学の時から有名だったので)知らない仲ではないが……」
それに下の名前で呼ぶのはもう自分の癖みたいなところがあるので今更言う必要もないだろうし……。
「許さない!」
「は?」
七絵はベッドの上で立ち上がり腕を組む。
「きっと、あいつ、怜さんに惚れていて、それで無理矢理自分のものにしようとしているんですよ! よし、そうと決まったら徹底抗戦です!」
「えっと……どういうことだ?」
「私が怜さんをあの変な関西人から守護ります!」
七絵はぽかんとする怜を置き去りにし、ベッドから飛び降りると、
「さあ、怜さん! 教室へ戻りましょう!」
「あ、ああそうだな」
七絵もなんともなかったようだし、教室へ戻るとしようか。
「それでは先生失礼しました!」
七絵は怜の左腕に抱きつくと明石教諭に一礼をし、怜を引っ張るようにして保健室から出て行った。
抱きつかれると歩きにくいのだが……。
ガラガラと音を出してしまった扉。それを眺めながら静香は独り言をつぶやく。
「なんというか大変ね……モテるってのも……。あと野球部かー……多分、彼女のことだから知っているんだろうなあ。さて、どうしたものか……」
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