じゃない!
そんな感情に浸っている場合ではない。さっさと話を進めなければ。
友梨香は咳払いを一つ入れて気持ちを落ち着かせる。
「うちは渡辺友梨香!」
「ああ、それはさっき聞いたぞ」
くすくすと笑う怜。
「え、めっちゃ可愛いんやけど」
「真顔で言われるとそれはそれでちょっと照れるのだが……」
ぽりぽりと怜は頬をかく。
いつの間にか言葉に出ていた……。なーにをやっているんだ。
「そ、そうやった! そう、怜ちゃん! 松浦怜ちゃんやろ? あの女流ライアンの」
女流ライアン。
シニアリーグ時代の怜のあだ名である。
東京のシニアリーグに所属していた彼女はその長身から都内でも有名なピッチャーであった。
さらにはその左足を高々と上げる投球フォームからついたあだ名が友梨香が言った「女流ライアン」であった。
もちろん元ネタはあのメジャーリーガー「ノーランライアン」だ。
残念ながら全国や練習試合含めて直接の対決はしたことはないが、中々の名投手であるとは聞いている。あとついでにスタイルが半端ない。顔小さいのに身長高いし、腕も脚も長い。
そして、友梨香の主観評価だがめちゃくちゃ可愛い、いや、美人? どっちでもいいや。
友梨香が新入生のリストを見て驚いたのは彼女の存在だろう。
何がどう間違えば東京から長崎の高校に進学するのだろうか?
残念ながらそこら辺の事情まではさすがの友梨香にも把握はできていない。
とはいえ友梨香がここに来た目的のためには是が非でも彼女は必要となる。
キラキラと目を輝かせる友梨香とは裏腹に怜の反応は複雑だ。どうも言われたくなさそうだが……。
怜はばつが悪そうな顔をすると、少し返答を考える。
「そうだな。私がそう呼ばれていることは知っている。それよりも君の方が有名だろう?」
切り上げるように話題を友梨香へと変えた。
「この世代で野球をやっていてそれなりに真剣にやっている者なら、君を知らないなんてのはいないはずだ。去年の全国優勝チームのメンバーの一人であるし、それに色んな異名がついているだろう?」
後半は少し面白そうに笑って話す。
「ええと……、『大阪のトリックスター』、『100年に一度の逸材』、『関西の安打製造機』、『超人』、あとは単純に『天才』、それと面白かったのはあれだな」
「『打てばイチロー、守れば秋山、走る姿は赤星憲広』やろ。いくらなんでも無茶苦茶やろこれに関しては」
実際、これを書いたどっかのスポーツ紙は「いくらなんでも誇張が過ぎる」と苦情が来ていたとか来ていなかったとか。
「というか、覚えてるもんやね」
「私も一応ピッチャーだったからな。同年代として君と勝負してみたくなるし、それに中学時代は君の名前を見なかった日がないぐらいだ」
微笑む怜。
(ぬうううううう顔強すぎひん?)
「まあ、確かにうちとしても勝負してみたかったなーってのはあるね。とはいえ、去年の都大会はそのー残念やったな」
「君が知ってくれているとは光栄なのかどうなのか……」
去年の都大会。
それは怜が所属するシニアチームが初の全国大会出場をかけた決勝戦の試合のことだろう。
怜は決勝までほぼすべての試合に出場。チームの大エースとして大車輪の働きを見せていた。
ところが決勝戦の中盤あたりからだ。
ここまでの疲労がついに来たらしく、投球が崩れ相手にリードを許し、後半反撃に及ぶもののあと一歩足りず怜のチームは準優勝となった。
もちろんすべての原因が怜にあるわけではない。当たり前だが野球はチームスポーツだ。
「それでなんでまた長崎に?」
「それはこっちの台詞でもあるのだが……。そうだな……」
腕を組み悩む怜。なんと答えたものか、と悩んでいるように見受けられる。
急かすのも野暮であるし、友梨香は黙って彼女の返答を待つ。
「どうしてここに――」
というところで教師が入ってくる。入学式が始まるので廊下に並ぶようにということだ。
「おっと、そんな時間か」
怜はほっとした様子で立ち上がると、
「続きは入学式のあと、放課後でもいいかい?」
こんなざわざわしたところで聞く話でもないし、
「せやな。オッケー、放課後な」
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