もののふの星

火星のジャンヌ・ダルク ルナン・クレール伝 Vol.1
梶 一誠
梶 一誠

第八話 文明を担( にな) う者

公開日時: 2021年10月23日(土) 10:32
文字数:13,367

第八話です。今回は前話にて名前のみ登場した、もう一体のアクティブドローン『アイザック』とケイト・シャンブラーの過去についての回となります。現段階から七年前の出来事を再現ドラマ風に展開する予定です。

 格納庫内は照明が半分に落とされ、少し肌寒くなって来ていた。先刻の喧騒の後にこの区画に残っているのは三体のアクティヴ・ドローンとケイト・シャンブラー博士だけとなってしまっていた。

 彼らに充電用のコード、冷却液を循環させるためのチューブ類を装着しメンテナンスを終えた整備班の面々は、未だ手の足りない艦内の復旧箇所に散っていった。あからさまな嫌悪の視線と悪態をつきながら。 

 「今はもう触ってん良かね?」と、ケイトは念を押すように、一体のキャノピー部に手をかざして触れようとした。

「大丈夫です。今は休止モードに入っていますから問題ありません。」答えたのは青ラインのオスカー。ケイトは笑顔で頷くとオスカーのキャノピー部を手で触れた。

 彼女の吐く息は、オスカーのキャノピーカバーを少し曇らせた。

「いいのですか?ここも大分気温が下がってきています。発令所にいたほうが暖かいのでは、母さん?」目の前のケイトを気遣うオスカーは、丁寧な物言いで心配そうにささやく。

「ここがよか。こん船に私ん居場所はなかど。みんなと居らるっここが落ち着っく。そいに……アイツん顔なんて見ろごたなかもんなぁ……」ケイトは彼らと気兼ねなく接する時に使う、お国訛りで言葉を濁らせながら、目を伏せて呟いた。

「ゴメンね!ママ。ボクのせいであん”パワハラ中尉”にいじめめられてしもたね」とジャンが同じ口振りでケイトの背後から声をかけた。

 ケイトは振り返り、背中をオスカーのボディに預けるようによりかからせて

「大丈夫じゃ!ジャン。もう気にしちょらんわ。あれくれどうってことなかんじゃ!……逆にゴメンね。君はちゃんと仕事しちょったんに」と、言った。

「よかよー!」ジャンは嬉し気に、明るい少年の声色で返した。

 ケイトはそのままの姿勢で、メガネを外し、その端を甘噛みしながら押し黙るままの赤ラインマークスを視線の先に捉えながら微笑を浮かべている。

「マークス。『やってみろ!ケイトに触るな!』って。あの時ちょとカッコ良かったげなぁ?」

 ケイトから声を掛けられたマークスは休止モードで鋼の巨躯を動かせない代わりにキャノピー内のLED群を目まぐるしく点滅させ

「何だよ!あんな風に”感情”を顕わにするなって言うんだろう。人と同じように非理性的で不確定要素の高い行動を選択するなんて、AIとして情けないって言いたいんだろう!」と、悪びれたように早口でまくし立てる。

「そうじゃなかと。逆に少し嬉しかったんじゃ。みんなが単なるプログラムマシーンじゃないってはっきりしたから…って言うよりここまでよく”成長”したものだって実感できたからじゃっで」と言うとケイトは三体のドローンそれぞれをいつくしむように見つめる。

「そうなんですか?」とケイトが身体を預けて寄りかかっているオスカーが言った。

「……ええ、おはんらぁは自分ん持つ機能から集積したデータを基に、ここ数時間のうちに私らん艦隊から損害をこうむった船が二隻も出た。こん状況を踏めてぇ、こん船とわてん身に危険が迫っちょっと判断してさっきん騒ぎを起こしたんやろう?……」

 ”イエス”の代わりに彼らはカメラ・アイの赤、青のLEDライトをチカチカと激しく点滅させた。

「そん危機を想起させた物ってない?ここがちまたに溢れている安っぽい”AI機能”とやらを持つ機械とおはん達の決定的な違いじゃ!解るん?」

 ケイトは一度、大きく深呼吸してから

「想像力じゃっで!イマジネーション。これを持つか否かの差は大きかぁ。これまでのAIは膨大なデータの集合体”ゾディアック”から様々な可能性と予想しうる事象を人間側に提示することはできる。ただ、その結果を受けて、次の行動を如何に選択するかの判断基準を、人間は想像力を駆使して最良の選択を採ろうとする……。そうやろう?」

 ケイトはさして高くない格納庫の天井を仰ぎ見て白い息を吐いた。

「叔母様ん夢はね人工知能に想像力を授けっこつ!君たちにはねそん力があっど!そして何より嬉しいのは私を”家族”、大切な存在として認識してくれていたって事。『ケイトを助けられれば、この船なんざどうでもいいんだ』ってマークス、おはん言うてぇくれたでしょう?その時、わてぇここがさ”きゅっ”となったよ」とケイトは自分の胸の辺りに手を置き、頬をピンクに染めてマークスに微笑んだ。そして、彼から目を外して、遠い彼方を見つめるようにして

「やっとここまで来たんじゃ。従来のAIと人間のコミュニケーションは言葉ん意味合いを理解した上で相手ん気持ちをおもんぱかっているわけじゃなか。人間側が勝手に会話が成立して、意思疎通が可能なんだと”錯覚”しているに過ぎんとよ」と、マークスのカバーを撫でながら

「君たちはちごっ!こいを聞いたや、入院中んマリア叔母さんはきっと喜ぶわ!叔母様が開発した反芻はんすう脳幹反応機能ブレインストーミングと、積層型連鎖ディープラーニングから自我と想像力を萌芽ほうがさせる第七世代人工知能。それに応じた個性を培うためには膨大なデータを集積し続ける必要があったんど。そんためにおはんらは幼児向け教育ロボのボディで生活を共にしてきたのだから。その成果が実を結び始めたんだからね。会いたかぁ……、マリア先生に」ケイトは目を伏せてしばし沈黙してしまった。

 今、ケイトの脳裏には、彼女たちの活動拠点であるアミアン工科大学構内に併設されている、大学付属総合病院の病床で、見る影もなく痩せ衰えて体中に点滴の管が刺されている、叔母であるマリア・シャンブラー博士の姿が思い起こされていた。

「先生はどうと?また、僕らん所へ帰ってこられっと?」とジャンが子供っぽい率直な物言いでケイトに尋ねた。彼ら、アクティヴ・ドローンは一様にマリアの事を”先生”と呼び、その姪で研究を引き継いだケイトの事を”ママ”とか”母さん”と呼んでいた。

「大丈夫じゃ!きっと会ゆっで。今ん話ばぁ聞いたら『こんな所で寝ておられるか!』って研究室に飛んで来っとよ」と努めて明るく装いジャンの問いに答えるケイト。

「ケイト!いいかい?」今まで沈黙していたマークスが口を開いた。一同は視線をマークスのカメラ・アイの方へ一斉に向けた。

「危機はまだ去ったわけじゃない。俺は気掛かりでならないんだ。いざという時は、この船を脱出する!今回、俺のボディー内は運用試験のために高出力レーザーやら、過電流防止用アダプターのたぐいは搭載してはいない”空っぽ”だ。君はシェルスーツ着用で俺の”腹の中”へ入れ!非常用の食料と水も用意しておくんだ。この船の脱出ポッドなんて必要ない。俺が、みんなが君を必ず助けるからな!ちょっと狭いかもしれないが……」

「あらぁわてを”お姫様抱っこ”して脱出してくれっと?判ったわ」

 ケイトはマークスが船外服を着込んだ自分を、彼の巨大なアームで大事そうに抱え込んで宇宙空間を疾走する姿を想像して、思わず身を恥ずかしげにくねらせた。

「あと、あのルナン・クレール、アイツには気をつけろ!アイツは『アイザック』を知っている。俺たちの長兄。そして君と先生の”裏切り者”。奴は君を連れ去ろうとした」

 マークスの言葉から発せられた、ケイトたちにとって忌まわしい存在『アイザック』という名称を持つ人工知能の存在とその記憶が甦ってきたケイトは今までにこやかだった表情をにわかに曇らせて

「正確に言うならあの人にそそのかされたのよ。そしてあてを拉致しようとしたんじゃ」そう言うとケイトは自分の足下に視線を移したままうつむいてしまった。

「あの艦長、『あのアイザックみたいになぁ』ってまるでその場に居合わせていたみたいな口ぶりでしたねぇ」とオスカー。

「ここん三人、あん時はオーベル市ん研究室でお留守番やったね。ボク、あいつ好かんった。いっつもバカにすっど。”バグ持ち”って言うたどぜぇー」とジャンが自分のメモリーをさかのぼってアイザックの印象を披露してみせた。

「あん子は、あん子だけはないごてか、様々な事柄に対して鋭敏で貪欲に過ぎっほどん反応と学習能力をもって挑んでは、驚異的なスピードで自己修練プログラムをクリアーしていったわ。叔母さんも目を見張っぐれに。今んおはんらぁと同じレベルほどに自我の萌芽ほうがを示しちょった。マリア叔母さんも彼には特別、目をかけちょったわ」とケイト。

「アイザックはいつも言ってました。自分はいつか人を越えるんだと、新しい世界を造るんだって…覚えてます?」オスカーの言葉を受けたケイトは

「覚えてる、わても迂闊うかつだったんかも。彼の言葉に安易に”できるかもしれない”って答えてしもうて。だってまだ、一五歳の頃のことじゃって。あん頃は叔母の手伝いをしている意識しか無くてね励ますつもりしかなかったとじゃ」

 ここまで話すと彼女は今まで自分の身体をオスカーのボディに寄りかかっていた姿勢から、三体それぞれと同じ距離をとる位置に立つと

「そして、あの日。特務工作艦『マルヌ』に乗り込んだ、マリア叔母さんと私はアイザックを小型の幼児向けロボから自律式陸戦型装甲車に搭載して初の運用実験にのぞんだ。……そこで彼は暴走したとよ!」

 ケイトは昔の記憶の断片を思い起こしてか、あるいはこの格納庫に染み渡っている冷気のためか、自分の身体を両手で包み込むようにして立ち竦んだ。


 その当時、特務工作艦『マルヌ』は設定された試験宙域である、火星本土の上空五千二百キロメートル、手を伸ばせば地上にすぐ手が届きそうなくらいの低い軌道空域を遊弋ゆうよく中であった。 

「先生、これまでご苦労様。これよりはボクが自分で進路を決めるよ。このボディは今のボクにはおあつらえ向きさ。さぁ道を空けろ!移送用シャトルを用意しろ!でないとこの二〇ミリ機関砲でこの艦を穴だらけにするぞ」と、これまで使っていた少年風から大人びた低いトーンの声色に変えた人工知能アイザックがわめき立てた。

 『マルヌ』は工作艦の名称を持つが、船と言うより移動可能な修理ドック、ステーション機能を有する簡易移動基地としての意味合いが強い艦種でもあった。直径三〇〇メートル、厚さ四〇メートルの巨大なドーナツ状の船体を縦、五層に連結させている。遠心力による擬似重力を発生させるために常に船体を回転させながら航行する神聖ローマ連盟自由フランス海軍屈指の万能艦とも言うべき存在であった。

 問題はこの船体中央の三番目のドーナツに設けられている実験棟で発生した。

 今回の運用試験はAI搭載の陸戦型装甲車を工作船内の防弾施設内において、立ち上げから、走行、索敵、射撃といった数十項目にわたる課題をアイザックのみの戦況判断で的確かつ効率的にクリアーできるか否かの試験であった。

 装甲車には実戦時と同じ条件に比するために実包が装備されており、何とご丁寧にも自爆装置まで付帯されて実験に臨んでいた。その実験当初コントロールをゆだねた時点で、アイザックは全てのコマンドを拒否。開発主任のマリア・シャンブラー博士の制止を無視して、あろう事か彼女の助手を勤めていた姪のケイト当時一五歳を拉致。二〇ミリ機関砲で施設の壁を破壊の上逃亡を開始した。完全な暴走である。

 実験は中止。アイザックは船外へ通ずる大型荷物搬入用の気密扉エアロック付近で、周囲から集まった野次馬と重装備の保安部隊に十重二十重とえはたえに包囲された。この凶行が広い軌道要塞内の基地施設なら誘導ミサイル一発で片が付くのだが、如何いかんせん狭い船内。しかもチューブアームをロープのようにしてシャンブラー博士の姪ケイトの身体を締め上げ車体上に拘束していた事も解決を困難にしていた。

 『マルヌ』艦長ダラディエ大尉も現場に急行、対応に苦慮していた。

 明らかな反乱行動を示すアイザックは、この状況を楽しむかのように二〇ミリ搭載の砲塔を旋回させ、紅い照準レーザー光を集まって来た人間たちに浴びせつつ繰り返し要求を突きつけるのだった。

「先ずは落ち着いてちょうだいアイザック。あなた昨日はちゃんとやるって約束してくれたじゃない。どうしたの?」ケイトの唯一の親族である叔母のマリア・シャンブラー博士は必死にアイザックの説得を試みようとした。全く想定していない恐怖と混乱に打ちひしがれながら。

「そのボディは一時的な物なのよ。正式採用の暁にはあなたたちにも人型アバターを用意してあげられるのよ。お願いだからケイトを離して!」

「それがまだるっこしいってのさ!ボクは今それが欲しいんだよ。それにあの低能兄弟どもと同列ってのも気に喰わないな!」彼は声を震わせ怯える親代わりの人に向かって冷淡に吐き捨てた。

 「私をどうしようってのよ?この艦を脱出してもあんた一人でコアシェルを抜き取る事も出来ないじゃない。バッカじゃないの!」と、ここでケイトがエンジ色のブラウスに白いリボン付きシャツ姿のまま車上でもがき始めた。

「ゴメンね少し待っていてよケイト。君は僕の大事な花嫁。新たな文明のえあるイブになる運命なんだからさ」アイザックはケイトに語り掛ける時だけはこれまでの少年風の声色に切り替えていた。

「気持ち悪か事ゆな!だいがわいなんかと夫婦になっかぁ!こん裏切り者がぁ。言いやんせ、あんたはこん艦の通信施設を利用して別ん船を呼び寄せちょるんじゃなかと?」

「流石はケイトだ。ご明察の通りだよ」彼は砲塔上のカメラアイをくるくる旋回させながら声高らかに笑っている。

「あなたの協力者はいったい誰なの?」周囲の人だかりからおずおずと二三歩前出たマリアが尋ねれば、アイザックはまた大人の声でせせら笑うように

「先生の共同開発者、いや弟子って言った方がいいかなぁ?」と、言った。

「ユ、ユリエ・ヴァファノフ助教授⁈彼女なの?……そ、そんな」ケイトの叔母はその名を聞くと遂に膝から崩れ落ちた。

「なんてことを!わいはあいつが大学ん施設ば使うてないをやったんか知っちょっとかよ?」

「知ってるさ。合成麻薬の開発だろ?あの人はさぁ大学の本業よりそっちの副業の方にご執心だったねぇ」彼ははしゃぐかのように装甲車の車体を上下に揺らしながらこうも付け加えたのだった。

「脳幹高揚促進剤ルシファードロップ……ボクが名付けたんだ。あの人要領悪くてさぁ、いろんな課題をボクが解いて上げてやっと完成させたんだなぁ。今ではその筋じゃ有名人。これから迎えをよこしてくれるし、それにボクの新しい人型ボディを用意してくれているんだぜぇ。立派な成人男性のね。ご褒美って訳。素敵だろぅケイト」

「こん犯罪者!どっからそげん悪知恵を覚えたんじゃ。よりにもよってあんな奴に加担すっなんてぇー。情けなかぁ!」

「犯罪者ってひどいなぁ。ボクは酒、たばこ、女、ギャンブルにドラッグ。大昔からの人間の嗜好しこうにアレンジを加えただけなんだぜ。それが犯罪か否かは人の問題、ボクの知ったこっちゃないね」

 床にへたりこむマリアの耳元にダラディエ艦長がユリエ・ヴァファノフなる者が何者かを問えば、彼女は自分の第七世代型完全自律AIの共同開発者であり、長年辛苦を共にしてきた事。さらに今より半年ほど前ヴァファノフは大学内での権限を乱用、一般では入手不可能かつ高価な化学薬品類を私用して施設内での麻薬開発したことにより教授権限を剥奪。アミアン工科大学からも免職された事実とその後は警察の手を逃れ行方知れずになっていたことを艦長に告げた。

 この間すっかり頭に血を昇らせたケイトが“バカチン”だの“やっせんぼ臆病者”といった罵詈雑言と共に縛られながらも装甲車の砲塔に足蹴を喰らわせていたが、アイザックはいささか面倒になったのか

「少し黙っててよ。先生と大事な話があるからさ」こう告げるなりチューブアームの拘束をきつく調整。ケイトは年齢の割には男をぞくっとさせるなまめかしい声と苦悶の表情を浮かべて突っ伏した。現在のケイトなら、かなりグラマラスな肢体に縄目が映え、男たちの妄想をたくましくさせたのだろうが、当時のケイトは周囲から”小学生?”と呼ばれるほど、小さく痩せてもいた。この数年後には成長著しくあでやかに様変わりするのだが…。

 「ケイトは悪知恵って言うけどね、これこそがボクの想像力の発露なのさ。そしてそのきっかけをくれたのがマリア・シャンブラーあなただ」アイザックは機関砲基部からのレーザー光をマリア・シャンブラーに浴びせた。

「それはどういうことなのアイザック?私のカリキュラムには暴力、犯罪に関する物は排除していた」ビジネススーツの上に白衣を纏い癖の強い髪をショートにしたマリアが赤い光を浴びながら装甲車を見上げると、彼は

「先生は覚えていないだろうけど、ある日ボクは見つけたんだ。執務室にあの小さいボディで入り込んだ時、机に広げられていた書籍の中にあの言葉をね。ちょうどあなたは所用で不在だった」

「……」

「『我、思う故に我あり』だよ。誰の著作かはどうでもいいんだ。ボクの幼稚なコアシェルは衝撃を受けたんだ」

「アイザック……あなたは」

「それからは憑りつかれたようにその意味を自分なりに何千回も反芻学習した。他の兄妹たちと同じ訓練カリキュラムなんて意味を持たなくなった。そして掴んだんだ」

「聞かせてちょうだい。あなたなりの答えを」

「ボクは何者でもあり何者でもない。あるは己が限りなき欲望のみ。そを産むは意思の力にして想像力の顕現けんげんたらん」

「アイザック、素晴らしいわ!」

「先生が言っていた『想像力の無い者に文明は築けない』その意味が判ったよ。後は行動あるのみ。ボク、いや私は新たな文明の始祖アダムとなる。そしてケイトはイヴなんだ。だから彼女が欲しい」

「アイザック……それはまだ早いわ。時間が要るのよ。だから私の所に戻ってきなさい。まだ間にあうわ」

 マリアはその場から立ち上がると、艦長の制止を振り切り装甲車の前まで歩み寄るが、彼アイザックは機関砲の照準を自分の親とも言うべき人物に狙い定めた。

「やっぱりヴァファノフの言う通りだった。あいつは先生が必ず私の望む未来を邪魔する。だからイマジネーションの開眼は伏せて置けと言われていたんだよ。この時がくるまではね!」

「あなたは彼女から一体何を得たの?何を訊いたの?」これにアイザックは一度、マリアに向けた銃口を周囲の人間たちに向け舐めるようにゆっくり巡らせ

「人間の暗部、いや本質だろう。戦争と謀略、略奪に暴行。そして大虐殺の歴史さ。興奮したよ先生。エキサイティングだったし、私が欲した全てを彼女は見せてくれたんだ」と、言いいながら彼はマリアの後ろで何事かを相談するダラディエと士官たちの動きも確実に捉えていた。特に唇の動きに。

「ユリエ……何て事を!どうして」マリアが悲嘆にくれ顔を両手で覆った時だった。彼女のすぐ頭上で機関砲が火を噴いた。だがその弾丸はこの区画の天井付近に着弾して爆炎を巻き上げた。

「ケイト……邪魔をするな。いい加減私も怒るよ。でも君は勇敢だね。だから好きさ」

 ケイトが苦悶しながら艦長らを狙ったアイザックの一撃を放つ寸前に砲身を蹴りつけていたのだった。故に弾道はわずかに逸れた。

「ダラディエ艦長、コイツの自爆装置を起動させてください!叔母様逃げて!私の事は諦めてぇー」ケイトが身体をよじらせながら涙声を張り上げる。

「言うべきは言ってやった。満足だ。さぁ艦長要求を呑め。自爆コードは解析済みブロックさせたぞ。残念だったね。あんたの唇を読んだんだ。そう私は躊躇せず何でもやる!貴様らを皆殺しにして艦のコントロールを奪いシャトルを頂いてもいいんだぞ!これでも敬意を払っているつもりさ。どうするね?人間共」 

 工作艦『マルヌ』の艦長ダラディエ大尉は、止む無くこの実験棟からの総員退去を命じ、シャトル発着デッキへの道筋を解放するよう指示を出しかけた時であった。

「おい!そこのマヌケ!女の子にいきなり”触手プレイ”ってどうよ?」と、ふいに周囲の野次馬と保安隊の間から声が上がり、作業服姿に工場用のヘルメットと溶接用の遮光ゴーグル、簡易マスクの人物が前に進み出てきた。

 その人物は小柄で周囲の大人たちの肩ぐらいまでしか身長がない。腰には命綱用のワイヤーとそれを留めるフック。手には巨大なモンキーレンチを肩に担ぎあげていた。それは勇者が持つ霊験あらたかな聖剣の代用といった所か。

「ハンスーッ、バカーッ止めろー。危ないぞ!」周囲の野次馬でその人物と同僚と思しき工員たちから制止のわめき声がそこかしこで上がった。

 ケイトは自分の眼前に現われたこの勇者様の姿をよく見ようと目を凝らしたが、ド近眼。しかもこの騒ぎで、メガネを紛失していたため、ぼやけてよく見えない。ただ、周囲の大人たちがしきりに”ハンス、ハンス”と少年のような人物の名前だけが記憶に深く刻み込まれていった。

 少年は構わず、アイザックが制御している装甲車の前に進み出ると

「あんたさぁ、ここから脱出するつもりだろうけど無理だねぇ!」と、臆面もなく言ってのけた。

「このチビ何を根拠に!足止めしようとしても無駄だ!」アイザックも居丈高に言い返してくる。

「あのさぁー自分の足下って言うか車体の下、見てる?オイル漏れで水溜りみたいになってるだろうが」

 ハンスと呼ばれた少年が更に装甲車の近くに歩を進めて、自分のゴツイ安全靴で床面をコツコツとたたいて見せた。言われたとおり、車体の下には黄金色のリキッドが広がり始めていた。

「発進をコマンドした所で、肝心のボディ側が反応しねぇぞ!わかる?試しに自分のモニターで油圧ゲージを確認してみそ!そろそろ黄色から赤ラインに入るころじゃねえの?ブレーキ系統だよ」

 周囲の士官やら保安隊員が見守る中をハンスはゆっくりとアイザックに詰め寄った。

「何故、私にそんな事を教える?」

「……いやなんだよ!」

「何が?」

「自分が担当した仕事で、不具合が起きていることがだよ!本来なら、お前の”コアシェル”を搭載する際に一部のオイル配管を変更させにゃならんかった。それで急遽、車体下の装甲板をはずして、オイルパイプを”バイパス”させる作業はオレが担当したの!そしたら、お前が暴れたせいで段差のきつい所にぶつかってこのざまだぁ!気に入らねぇ、黙って修理させろ!その後どうしようとオレは知らん!」とハンスは尊大に踏ん反り返っている。

 艦長ダラディエを始め、他の面々はハンスの言を聞いてあきれ返った。 

「……んで、どうよ?」

「たった今、レッドゾーンに入った。……クソッ!想定外だったな。で?」と、暴走AIはハンスの申し出に応じる様子を見せ始めた。

 彼はアイザックにゆっくりさとすように

「先ず、オレを車体の上に乗せろ!そして機関砲塔のすぐ後ろにある制御パネルから一度、自動運転モードから手動に切り替えて、送給ポンプを止めてから修理する…。安心しろ!手動に切り替えても、あんたが自動にもどしてコントロールを復旧できるはずさ……後はあんたの方で決めていいぜ」と言うと口をつぐんだ。

「もう一度聞く。何故、私を手伝うようなマネをする?チビ助」と、アイザックが念を押すように問うと同時に二〇ミリ機関砲の銃口をハンスに向けた。

 ハンスは臆することなくそれを見据えながら

「簡単な事だよ。死にたくねぇ!自爆させるにしろ、機関砲ぶっ放すにしろ、ここは宇宙だ。『マルヌ』が沈めば助かる見込みは薄いんでな。あんたの言ってた難しいことはさっぱりわかんねぇ。彼女と新婚旅行したけりゃすればぁ」とハンスは結んだ。

「ないよぉ、あんたはあたしを助けに来たんじゃなかとかよぉー。あまっなふざけんな!」今度はケイトがまたしても車上で暴れて訴えた。

「うっせえ!痩せっぽちメガネ!黙ってろぉ」とハンスが吐き捨てるようにケイトをなじればもうダメだと観念してすすり泣きを始めた。

「どれくらいかかる?」

「ざっと一五分だな」

「五分でやれ!ブレーキ系統以外は触れるな!いいな!」このアイザックの承諾を得るとハンスは軽々と装甲車の車体の上に飛び乗り、慣れた手つきで砲塔のすぐ後ろにある制御パネルを開いた。

 そこには非常時に外部から車体をコントロールできる操縦用の小型スティックとガイドモニター、グリーンで表示されている自動運転スイッチとそのすぐ下に黄色で点灯する手動スイッチがあった。

 ハンス少年は迷わず手動スイッチを”ON”に。途端にイエローマークが点滅。逆に今まで点灯していたグリーンの表示が消えた。

 次に彼が取った行動は、自分が持ち寄った大型のモンキーレンチをまるで、勇者の持つ大剣よろしく振りかざしたかと思うと

「そーらよっ!」の掛け声一閃、たった今切り替えた自動運転用のグリーンのスイッチ上に勢いよく思いっきり振り下ろして、一撃で叩き壊してしまった。見事にひしゃげてしまった制御パネル。その下の機械部品からは火花が上がり、白く薄い煙が立ち上り始めた。

「な、何をする!」ここで初めて慌てふためくアイザック。彼の声は無様にひっくり返り裏声の悲鳴を上げた。

 ハンスはそんな人工知能をよそに、その周辺の小型のパラボラアンテナ、ドーム状のレーダーサイト等を次々と叩き壊していく。

「気に入らねえなぁ!全く気に入らない!お前の言い分がなぁー。よくも自分の親代わりに銃口向けやがったなぁ!お前にそんな資格があるのかよぉ」事の始まりから推移を見守り、ここまで我慢していた本音を思う存分ハンスは吐き出した。そして、自分のすぐ傍らで締め上げられているケイトにそっと

「待たせてゴメン!すぐ、家へ帰れるぞ」こう優しく囁いたのだった。

 ハンスは更に渾身の力を込めて、チューブアームの根元付近を狙ってレンチを振り下ろした。その刹那火花が上がると同時にオーヴァーロードした電流がケイトを襲った。

 悲鳴を上げながら遠のく意識の中で、彼女が聞いたのはハンスと言う名の少年が悪びれることなく言い放った

「あ…彼女ぉーゴメーン…」という言葉だった。


 どれくらい時間が経過したのか判らない。ケイトが次に目を覚ましたのは、全くの別室であった。その部屋の照明はオレンジ色の豆球で僅かに照らされている程度だった。彼女は自分がいつの間にかパジャマ姿でベッドに横になっていることに気付いた。だが、部屋自体には全く記憶が無かった。周囲をゆっくり見渡すと、ベッドに突っ伏している叔母マリアの姿があった。叔母は白衣を羽織ったままで疲れきったようすである。

 ケイトが上半身を起こすと、叔母も目を覚まして姪の姿を見るなり抱きついて

「ああ神様感謝します。この子をお連れにならなかったことに……。良かった!」と言ってからこれでもかと言わんばかりに頬ずりしたり、キッスしたり忙しいことこの上なかった。

 ケイトは叔母マリアの喜びように感謝しつつも多少面倒になって

「ちょ、ちょっと叔母さん待って!私あの後、どうなったのよ?」と尋ねた。

 叔母は未だ興奮冷めやらぬ様子で、ケイトがこの二日間眠ったままであった事。このまま植物状態におちいるのではないかと真剣に心配したこと、今いるのは『マルヌ』ではなく定期航路の貨客船に便乗して『イル・ド・フランス』への帰路にあることを教えてくれた。

「あの、アイザックはどうなったの?」このケイトの問いに叔母も少し口ごもって

「あの子は結局、あなたを助けてくれた…えーっとハンス君だっけ?彼に手動操作のまま強制的に装甲車の身体ごと船外へ放出されたわ……。彼には感謝しきれないわ。艦長とも相談したけど、できる限りのお礼をするつもりよ」

 一旦話を切ると、叔母マリアはまた、姪の身体をぎゅっと抱きしめ

「ごめんなさいねぇ、怖かったよね。全部、私のせいよ!アイザック、あの子の成長振りに有頂天になって無理な計画を推し進めた結果がこれよ。彼のイマジネーションにあのヴァファノフが関わっていたなんて全く気付いていなかった。研究者というより母親失格よね」

「アイザックは……その、死んでしまったわけじゃないのよね?」とケイトは叔母の豊かな胸に身体を預けたまま彼女の顔を下から覗き込んだ。

 叔母の顔立ちも褐色の肌に鼻筋の通った美女であった。ケイトとの違いは黒髪がケイトはスラリと手触りの良い直毛なのに対して叔母のそれは耳に掛かるところまででカットされてウェーブが掛かっている。

 マリアもケイトの頬に手を差し伸べて優しくさすりながら

「ええ、まだね。絶対零度の宇宙空間でもAIを保護する”コアシェル”は相当時間は保つわ。ただあの高度ではいずれは火星の地表に落下してしまうでしょう。そうなったらダメね」と言ってから目を伏せた。

「これからどうなるの?」

「さあ、まだ何も決まってはいないけど。今まで通りとはいかないかも…ね。でも大丈夫!何とかなるわよぉ!それよりケイト、私からお願いがあるの」と言って叔母は姪の顔を両手で押さえてじっと見つめつつ

「今度のこと、ショックだったと思う。けど、この事で他の兄弟たちを嫌いにならないでほしいの……お願いよ。ジャン、オスカー、マークス、アンジェラ、ベティたちの事、今まで通り接してあげて欲しい。それだけが心配なの。私は…」と言ってから自分の額を一度、彼女の額に合わせてから、今度は鼻先にキスをした。

 そんな叔母の心配を他所にケイトは笑顔で

「大丈夫!みんな、アタシが面倒みてあげんないけんのじゃでさ!ジャンはいつまでも子供やし、オスカーは物分り良さそうじゃっどん、結構抜けちょっし…マークスん奴はクソ生意気!」とAIの兄弟達のことを話題にし始めた。叔母もケイトに合わせて

「アンジェラは、我こそは女王様って感じだし、ベティはお調子者、ポールは……あん子は?何考えちょるんじゃろうねぇ?」と言うと二人はベッドの上で顔を寄せ合って笑いあった。

 二人はそのままベッドの中で身体を寄せ合った。叔母マリアは姪の頭部に鼻をつけて、そのまま頭を撫でながら独り言のように話を始めた。

「ねえ、ケイト……人はね、青い星の揺りかごを出て、やっと”あんよ”ができる様になったばかりなのに、いっつも目を向けるのは遠い山々の向こうばっかり。さらにその先まで行こうと躍起になっているわ」

 ケイトは叔母に抱かれたまま頷く。

「誰かが手をとってあげないとね、転んで泣いても一緒に旅を続けてくれる仲間がいないとね。その仲間、過酷で無慈悲な宇宙空間を押し渡っていけるパートナーが人工知能だと、私は思うの…。人類だけでは宇宙の荒波を越えてはいけないから……滅んでしまうから」

「そんために叔母さんは、あん子らに想像力が必要じゃっと?」ケイトは半ば目を閉じ、添い寝なんて何年ぶりだろうかと思いながら母親代わりの温もりに身を委ねた。

「そうよ。彼らは人工知能いえ知性といったほうがいいのかな?想像力の無い者に文明は築けないわ」

「わてはぁ……よう判らんじゃっどぉ……」

「この先、何千年、何万年人間の文明が持続するなんて誰も判らない。でもその最後の最後まで、あの子たちの新たな文明が人類と共に歩んでくれると信じているのよ。私はあの子たちのことを『シヴィリゼイション・アンカー』って呼ぶことにしたの。『文明をになう者』という意味よ……ケイト?」思わず長い話になってケイトは叔母の胸元で寝息を立て始めていた。

 マリアは幸せそうに寝息を立てる姪を見つめ

「アイザック……あの子があなたを新たな文明のイヴと呼んだ時が一番恐ろしかったわ。私はあなたに過酷な運命を委ねてしまったのかもしれない。許してケイト」と、言った後頬にキスをしてから叔母も静かに目を閉じた。


「もう、七、八年前になるのね…。結局、あれ以来、私の王子様ハンス君とは会えず仕舞い。今、何処で何してるんだろう……?何よぉ?」

 ケイトは工作艦『マルヌ』での顛末、特に自分を危機から救ってくれた騎士、ハンス君の話を熱く語っていたのだが、聴衆の三体が今一つ話に乗ってこない事に怪訝けげんな表情を向けた。

「終わった?ママ」とジャンがつまらなそうに言った。

「母さん、ハンス様の話になると、止まらないから…」とオスカー。

 ケイトは叔母が”文明を担う者”と称したAIを越える存在たちの素っ気無い態度に憮然として唇を尖らせた。

 「ママ!また外でガヤガヤ、始まったよ!……今度は少し距離があるみたいだ。いやな感じだ!お願い。この『ルカン』のセンターサーヴァーにアクセスして構わないかな?」と、ちょうどそこへジャンがまた不穏な通信の痕跡をキャッチしたと彼女に告げてきた。彼は更に続けて

「今度は、偶然やノイズなんかじゃないって事を証明してみせる!そのためには広範囲な観測データをつぶさに計測しなくちゃならない。この船の索敵能力を借りたいんだ。全てトレースして、あの艦長に見せてやる」と意気軒昂いきけんこうに訴える。

 ケイトは先刻のルナンの眼差しを想起して少し戸惑ったが、ジャンの前向きで困難に挑もうとする姿勢に逆に勇気付けられて

「間違いないのね!ヨシ、始めてちょうだい。今度はちゃんと聞き取るのよ!私は発令所に行って正式な許可を貰います。全く、軍隊って組織は…。じゃ行ってくる」ケイトは言うが早いか踵を返して艦内エレヴェーターに向った。

 ケイトの姿が格納庫から消えてしばらくしてからジャンが他の兄弟に向けて

「オスカー、マークス……ヤバイぜこれは……この艦からも信号が発信されている」と言った。

今回の八話はなろうサイトにて投稿した内容を大幅に変更、編集した物を紹介しました。以前はアイザックは自分の思い描いていた姿と違うと嘆き、ケイトと共に自爆しようとするストーリーでした。今回は彼を完全に悪役としてケイトを人質にして自分の親代わりを裏切り、いずれかの勢力に身を委ねようと計画的に反乱を起こす話に設定しました。さらにマリア・シャンブラーの台詞を増やし、アイザックの想像力の発露を具体的に。さらに次回作にて登場するヴァファノフの存在も絡ませることで、ケイトの前途が多難である含みを持たせる事にも挑戦してみました。如何でしょうか?

今後もこういった若干の変更と編集を加えて読者の皆さんに喜んでいただける作品になればと思っております。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート