第五話投稿します。今回は冒頭部で亡くなった艦長と部下との展望艦橋でのドラマが中心に主人公らの世界を震撼させた、表題のリューリック事件に関しての記述があります。彼女らの世界と地球との関係を網羅する回となります。
「彼の言っていた、デブリストームにすき間の空間が開くと言う現象は本当かね?」と、唐突にムーア艦長が宇宙のゴミ屑に覆われてしまっている地球の画像に関してルナンと坂崎に問うてきた。
「根も葉もない噂ですよ。本当にこの雲みたいなスペースデブリを排除できたならあちらから何らかの交信があってもいいのに、いきなり大型宇宙船を地上から打ち上げるなんて。ちょっと無理じゃあないですかね?」と、艦長の言を受けた坂崎が明瞭に返した。
「やはり難しいか。もう二〇年もこんな状態で、地球との国交はおろか通信さえ途絶えて久しい」艦長はふと遠い目を先祖の惑星へ向けていた。
ルナンは本来なら艦長から訓示というお説教を受けねばならなかったはずの話の矛先が他に向っているのに少し安堵して二人の会話には加わらないようにした。
ルナンは観測員ブースの真後ろ火器管制ブースの座席に腰を下ろし、天蓋キャノピーから見える光景に目を向けた。被っているヘルメット内で投影される映像には、『ルカン』の右舷側に接近、併航中の僚艦『ダ・カール』の全容が見て取れる。
先刻の航法担当クルーの報告通り、シンクロ率の誤差で僚艦はこちらのやや斜め右前に滞空中であった。
『ダ・カール』の全長は一九〇メートル、不慮の事故により艦隊を離脱した『シュルクーフ』の姉妹艦となる。全体の外観としては船体の前半部はアリゲーターヘッドと称されるくさび型を成し、各種センサー及び回転式二連装装砲塔が集中していた。船尾部エンジン区画は縦型ツインの噴射ノズルを配している。両端を繋ぐ船体中央部はそれに比するとやや細めで槍を連想させる艦影だった。
船体カラーは周囲が漆黒の宇宙空間であるのに、ダークグリーンとグレーの迷彩柄。中央部には中央から青、白、赤の順に三重円トリコロールカラーの国章がマーキングされていた。
この艦影をルナンは目玉印をつけたトカゲが甲冑を着込んでいるみたいだと評する中、先方の艦長代理を引き継ぐためアレン大尉を乗せた涙滴型連絡艇が展望艦橋のすぐ脇をすり抜け”甲冑トカゲ”の方へ飛び去った。
「貴官はあの時、いくつだった?」といきなり背後から投げかけられた艦長からの問いに、ルナンは困惑した。外の景観に目を奪われていた間に二人がどんな話題に興じていたのか全く念頭になかったのである。
返答に苦慮していると坂崎一等兵曹が
「ちょうど二〇年前の『リューリック事件』の時ですよ」と、助け舟を出してくれた。
「ああ二〇年前ですと、確か四歳でした」彼女は記憶を辿りながら答えた。
「その時、おれはまだお袋の腹の中。。いや何かと言えばお袋は『あの時は大変だった!明日からどうしよう?どうやって生きていくの?……』って言うのが口癖で」坂崎はあたかも自分の実体験であるかのように母親の苦労話を披露し始めた。
その話を受けた艦長も自分の記憶をもとに
「地球からの物資がもう入らなくなるって、この火星世界全体がパニック状態になったものなぁ。自暴自棄になった人々が暴動を起こすわ、焼き討ち略奪事件が頻発。自殺者も急増したな。世界の屋台骨がなくなったみたいになってなぁ大騒ぎだ」と述懐し始めた。そしてある人物の名を口にした。この名を知らぬものは火星世界ではいないであろうその名を。
「セオドア・ヴァン・リューリック。あの罰当たりとその信奉者の暴挙でもう永い事、地球からの移民船団が絶たれてしまっている。全くいかれた連中のために、はた迷惑な事だよ」と艦長は物憂げに目を船外の僚艦に向けて、誰に言うでもなく呟いた。
『リューリック事件』と呼ばれる事件は、あの『百家の災厄』が猛威を奮ったちょうど百年後の地球の西暦で二一八四年。火星統合暦〇〇八四年に起き、火星世界と地球を揺るがした大事件として永らく記憶されているものだった。
これは、事件が起きる更に一〇年ほど前から政治運動家あるセオドア・ヴァン・リューリックなる人物が提唱した『地球回帰運動』なるムーブメントに端を発している。
リューリックは神聖ローマ連盟の政治的中心地である首府城『イル・ド・フランス』と精神的な拠り所として隠然とした勢力を顕示しつづけている教皇庁が置かれた『セント・ロマーナ』の二大軌道要塞を中心に自らの信条に基づく政治運動を展開していた。
セオドア・ヴァン・リューリック。彼を知る人物は一様に、この人物の印象を”黒い縮れ毛の癇癪玉”と評した。
背は低い。が、体つきは豪壮で、常に早歩きで四角い顔に四角いメガネ。黒く縮れた頭髪を掻きむしっては口角泡を飛ばし、舌鋒鋭く相手を論破する様を癇癪玉と周囲は見立てた。
彼の主張の骨子はこれまでの火星移住事業を推し進めてきた地球側宗主国陣が一方的に、移住者の地球への渡航を禁止。並びに惑星間航行とゲノムフリーズの技術供与を拒否してきた事に対する抗議運動を興し、強制的に押さえ込まれてきた火星人民が自由に惑星間の移動と生存の権利を獲得しようと言うものであったのだ。
碧い星の宗主国連合側の頑なな態度に疑問を持つ、赤い星の人々の間では当然の如く彼が提唱する『地球回帰運動』は確実に支持を集めていった。
やがて、彼の存在は一介の政治運動家という立場を逸脱して、その運動を強固に実現しようとする狂信者団体の教祖的立場に押し上げられる結果を生み出した。
リューリックは再三の抗議活動に進展が見られず宗主国の顔色ばかり気にしている、列強と呼ばれる各連邦政府首脳陣と自分の支持者に向ってこう宣言した。
「よろしい!もう議論は尽くした。実際的な行動に移る段階である!地球が我々の要求する、惑星間航行をあくまで拒むならば、我々の現有の技術を持ってして宇宙を押し渡ってみせようではないか!ゲノムフリーズと核融合エンジンのノウハウが無いのなら、我々には軌道要塞がある。一年ないし二年に及ぶ永い航海を自給自足で補いつつ地球を目指そうではないか!」
この宣言を受けた各国政府要人、有識者また常識的な一般人の大多数は彼の言動に鼻白み、埒もないと無視する傾向が多かったが、一部熱狂的に支持する支持者、団体も確実に存在したのも事実である。
「何て言いましたっけ? リューリックの同志って言うより信者って言ったほうが適切かな。その連中三千人も乗っけて地球に向った軌道要塞は? 『花の苑』かな?」と、坂崎は担当部署の席でレーダー用モニターに気を配りながら首を傾げている。
「『夢の苑』だよ。我が国の軌道要塞『スゴン・セダン』向け農業資源用小型衛星基地だった。と言っても直径三キロメートル、長さ六キロメートルに到る小惑星№二二七七をベースにしたオービット・フォートレスだ。立派なものさ。統合暦MD:〇〇八二年にリューリック一派は武装化して『夢の苑』を占拠。そこに昔から暮らしていた住民一万人を人質にした。奴らは人質解放の条件として、軌道要塞自体の曳航を要求。地球に向う軌道と加速度を得るために。そしてリューリックを崇める狂信的テロリスト集団は人質解放の後にとうとう火星空域を出奔してしまった」ムーア艦長は忌々しげに自分の記憶を披露した。
ルナンは艦長が珍しく饒舌になっている事に訝りながら
「よく、ご存知ですね。以前そこに住んでいらしたとか?」と、尋ねてみた。
「いや。その時分私は貴官と同じ中尉で巡洋艦『リヴェルテ』の主計士官だった。いやぁ壮観だった。軌道要塞そのものを火星の引力圏を脱する加速を得るまで延々と大型タンカー、戦艦からフリゲートまで艦隊総出で曳航したんだぜ。何とも大げさなバカ騒ぎだって思ったものさ」こう言いつつ艦長はさらに付け加えた。
「噂は枚挙にいとまがないとはこの事さ。武装化にしたって装備はどうやって手に入れた? 確かにリューリック信奉者の中には軍関係者だっていただろうがね。それにしたって手口が専門的すぎて当時からおかしいって声はあった。でも誰も深く追求しようとはしなかった。最終的に『夢の苑』で火星を旅立った面々は一般市民ばかり。いつの間にか襲撃の実働チームは姿を消していたって話だ」
艦長は事件の未だ究明されていない謎に関して巷に溢れる陰謀説を始めとする諸説をまるでニュース解説員のように二人の若者に披露して見せ、ルナンと坂崎もしばし聞き入っていた。
「それだけ大騒ぎしておいて、結局リューリックとその信奉者たちは生きて地球には辿り着けなかった。とんだ顛末だ!」と、ルナンが艦長の言葉を受けて事件の終着点を口の端に乗せた。
「全滅の原因は、いろいろ憶測されたっけなぁ。派閥抗争での殺し合い説にヒステリックな集団自殺説。その中で最も有力なのが、軌道要塞内で『本土病』が猛威を振るったのではないかと言うものだったな。もう確かめようがないが」艦長はまた、無精髭を右手の甲で擦り始めた。
軌道制御を失った上惑星間航行速度を維持したまま、天文学的数値に達した膨大な運動エネルギーに危険極まりない質量を有した『夢の苑』は、地球西暦で二一八四年。火星統合暦MD:〇〇八四年の七月二二日、約二年に及ぶ旅路を終えた。三千人の遺体と共に巨大な隕石と化したそれは地球ではなく月に衝突した。
地球の人々は直接的な被害を免れたと安堵したが事態は思わぬ方向へ。火星からの飛来物は月の表層に深さ一五〇〇メートル、長さ三〇〇キロメートルの深い溝を抉るようにして爆発。雲散霧消してしまった。その様子は、夜空に浮かぶ月が突如太陽のように輝き、ほんの数分だったが地球の夜側を完全な昼に変えてしまった。
月全体を、この天体が冷え固まってから初の大地震が襲い、その衝撃波で膨大な土砂と巨大な岩石の礫が火山のように吹き上がり、地球―月間の軌道上にばら撒かれた。
それらは単なる土くれではない。礫の全てが、秒速で一〇キロメートル以上の軌道速度を有した破壊的な運動エネルギーの塊であり、言わばショットガンの弾のような物だ。
無秩序で破壊的な飛礫群はまさに天と大地を覆いつくす蝗の如く、更には大地震の後に沿岸部を襲う大津波をも凌駕する勢いと規模を持って、人類がこれまで営々と築き上げてきた、地球‐月間の中継基地となる合計五基の宇宙ステーションと地球上の赤道部に建設されていた、火星移住向け船団の発進基地を担う三基の軌道エレヴェーター及び各種人工衛星の全てに押し寄せて薙ぎ払い、引き裂き破壊し尽くしたのだった。加えて性質が悪いのは破壊された宇宙開発の基幹施設の残骸が、新たなデブリ”二次デブリ”として加わり、そのデブリによる脅威の総称”ケスラーシンドローム”に更なる拍車をかけた事が事態を深刻化させていった。
「デブリ・ストームに覆われた地球は今や、ガガーリン時代以前に逆戻りって訳ですよねぇ。ネットもGPSも気象衛星も失われているんだろうから気の毒ですな」と坂崎がルナンのすぐ前の席で、肩をすくめている。
「あのヴェールの向こう側では深刻な食糧難になっているかあるいは太陽光もある程度遮断されている可能性もある。氷河期に似た気象環境になっているかも……これはあくまで想像だけど」とルナン。
今度は坂崎のほうから、問題の黒人青年が勤務中に熱心に収集していた画像の一枚をモニター上にアップして
「見てくださいよ”竜”が走っているよ! 不気味だなぁ」と指し示した。
そこには、母なる惑星の周囲を覆う霞の中に数条の青白い雷光が閃いている様子が捉えられていた。見ようによってはそれらが濁雲の中を縦横無尽に飛び回る竜を連想させるに充分であった。その規模は長さにして有に数千キロメートル、幅にしても数キロメートルは下るまい。
この画像を垣間見たムーア艦長が今回もまた親切に
「ストーム内の漂流物質の密度の濃い所で金属同士がこすれ合い、衝突を繰り返した事による帯電現象だな。イオン化したエネルギーの奔流だ。地球と月の間の空間は今や”荒れた内海”と化してしまった。これではロケット一基打ち揚げるのも至難の業。大きいものでトレーラーサイズの物から、小さくて手の平に収まるボルトの類に到るものが、やたらと攪拌していやがる。これがもう二〇年だ」と二人の若者に解説してくれている。
「本当にあと何年続くのでしょう?」ルナンは問う。
「何らかの人為的な解決策を見出さない限り自然任せでは数百年では収まらん。しばらくお隣さんとは疎遠のままだな。……いい機会だ。貴官らにこの画像を見せておこう」と艦長自らが一件のフォルダを表示して二人に”開け”と顎で促した。
「これはな、事件から半年後。デブリが一番濃い状態の時に私自身が撮影したものなんだが、偶然の産物にしては……な。」
フォルダを開いた二人は、我が目を疑い、そして戦慄した。
「何ですか?これ!宇宙に白い目玉が浮かんでいて、こっちを見てる!さっきの”竜”よりビビリますね」坂崎が艦長と自分のモニターを交互に見ながら甲高い声をあげた。
二人が目の当たりにしている問題の画像と言うのは、その当時の地球と月、そして太陽の相互の位置関係が生み出した一瞬を撮影したものであったが、白く濁ったデブリに隙間無く球状に覆われた姿の地球に太陽光が反射して、そこに月の影が黒い目玉の様に映りこんでいる。その位置関係がまさに闇夜に浮かぶ一つの眼球が火星をただただ睨んでいるように見受けられ一層不気味なのだった。その目玉が何を云わんとしているか、ルナンが察したように呟き始めた。
「……まるで、『首洗って待っとけ!』とでも言っているみたいですね」
「貴官もそう感じるか?私もそれを見つけた時は”地球が怒っている”と思った。そして恐くなったよ。そこに映っているのは”地球の総意”だということに気付かされたんだ」
「”総意”でありますか?」
「二人ともよく聞け。このリューリック事件は我々にしてみれば、一部の狂信者団体の暴挙、不幸な事故であるとの認識しかない。しかし、地球側は完全に『火星からの先制攻撃』と見ているに相違ないんだ。事件当初にまだ通信が一部可能だった際に、地球からの猛烈な抗議、と言うより戦争を示唆する文言が送信され続けいたとという報告もある。彼らにして見ればこの事件は宣戦布告無しで行われた火星からの”パールハーバー(真珠湾攻撃)”だという認識に立つと言う事を忘れるなよ」
艦長の忠告に耳を傾けながらルナンは
「『地球からの総攻撃』があるという事ですか?」と問う。
「いずれはな。三年後なのか、二〇年後さらにその先になるかは分からん。だが必ず彼らは来る! 本来なら我々はそれに備えるべく大同団結して然るべきなのに”列強”どうしは陣取り合戦に明け暮れる始末だ……」と艦長はここで一旦口を閉じて、部下の女性士官の顔をしばし見つめてから相好を崩して
「今までのしがらみを越えて、人々の持つ希望を体現する象徴がいないという事も一因だろう。そうだな、遠い祖先の故国フランスに実在した救国の”ラ・ピュセル”ことジャンヌ・ダルクのような存在が求められているのかもな。どうだ? 君、立候補してみては?」と冗談っぽく、ルナンを指差してからかった。
ルナンは普段全く見たことのない艦長から差し向けられた笑顔に戸惑い、慌てて顔の前で大げさに手を横に振りながら
「め、滅相もない! そんな偉人に私がなれるはずがありません! 小官は一介の大砲屋で貧乏中尉ですから。そういうことなら、私より……そう!あの天才、ケイト・シャンブラー教授のほうがピッタリ来ますよ!そう小官は愚考するものであります」と言った後、彼女は今まで笑顔を向けてきていた艦長の表情が”ケイト”の名を耳にした途端に、いつもの険しく気難しい雰囲気に変わってしまったことを目した。
ルナンは自分が地雷を踏んだと悟ったが、時既に遅し。ムーア少佐はジーッと彼女を見つめてから昨晩 “スルタンのハーレム”での珍事を問い詰め始めた。ついさっきまでの物腰腰らかい口調から一転しまたもや居丈高に捲くし立てた。
ルナンは反射的に自分の部署から立ち上がり、上官に対して直立不動の姿勢を執り、前の席では坂崎一等兵曹が”我、関せず”を決め込んでいた。
艦長はルナンを展望艦橋に呼び寄せた本来の目的である”扱き下ろし”第二ラウンドを開始したのであった。
艦長からのお説教タイムをなんとか平身低頭でやり過ごしたルナン。今は自分の部署に腰を下ろして本来の索敵任務に集中しようとしたが、先刻の艦長の言葉が心に引っかかって思うにまかせずにいた。
(ジャンヌ・ダルクか……。オレがなれる訳ない。オレは国を救うどころか、自分の家族すら守れなかった。妹を見捨てた卑怯者だ……)そんな思いに囚われていた彼女を、坂崎の言葉が現実に引き戻してくれた。
「クレール中尉、お気の毒でしたね。何やらかしたんです?」と、楽しげに語りかけてきた。
「うるさい!」とここまで言うと一度咳払いして
「それより、ジョンスンはちゃんと”宿題”を提出してきたか?」と無理やり話題を変えた。
「ああ、それならたった今、『ダ・カール』からのメールが届きました。これならなんとかなりそうです」と坂崎が、ルナンの被っているヘルメット内部のダイレクトヴューア、四分の一サイズの中で満足そうな笑顔を浮かべている。
ルナンは坂崎にあちらに彼の方からも謝意を示すよう注意してから
「じゃぁ、早いとこ片付けちまえよ。レーダーによる広範囲索敵でないと正直不安だ」と付け加えた。坂崎はこちらに背を向けたまま”了解”の意味で軽く手を上げて見せた。
狭い展望艦橋で、しばし三人は各々の仕事に集中した。
艦長は、装着したインカムを通じて戦列を離れた『シュルクーフ』以外の艦長達としきりに連絡を取っている。
ルナン・クレール中尉は『ルカン』に搭載されている六基の一〇センチ単装砲用レーザー照準機を広角モードで周辺空域を精査している。各砲塔がランダムに動いて今、艦長を悩ませている僚艦の二の舞を踏まぬよう、監視を強化中であった。
その部署の中では各機器が勝手に放出している微細な音が占領していた。
そんな中、ルナンが詰めている火器管制ブースから”ピッ”と短いアラーム音が鳴り、ディスプレイにデブリ接近を表示する。危険度はイエロー、注意喚起程度。デブリは『ルカン』の二キロメートル範囲から離れ行く軌道を描いていた。
これが脅威とはなりえないことを確認すると、彼女は狭い部署の座席に深く体を預け、腕を組んだ姿勢のまま天蓋キャノピー越しに見える宇宙空間を見据え
「大体がこんなものなんだがなぁ……」と小声で呟き視線を転じて『ダ・カール』を捉えてから(それでもなぁ?)と彼女は首を傾げる。
ほぼ自艦と同クラスの正規フリゲート艦の威容を見ながら、職業柄の知識と経験から憶測してみても合点のいかないことばかり。
各艦艇は周囲の監視を怠ることは無いはずだ。そこに太陽系外から飛来した亜光速の物体が広大な宇宙空間では微生物より微細な存在に直接被害を与えるなど、正に宝くじに当選するより低い確率となる。
ルナンは”ヘタな考え休むに似たり”と気を取り直し、監視業務に身を集中しようとした時ディスプレイ中央にフォルダが表示されているのに気が付いた。
「中尉殿、それ見てもらえませんか?」と装甲宇宙服を着込んだ坂崎の音声のみがルナンのヘルメット内で反響する。彼の声色は、これまでの気さくで軽いノリの口ぶりとはうって変わって、神妙な様子だった。
ルナンは黙って彼の言うとおりに画像を開いてみた。
「何だ? これは青白い光の……矢か?」。
そこには、艦隊の進行方向、一五〇キロメートル先を偵察中であった『シュルクーフ』の船首方向から俯瞰した全景が写っていた。問題はその左舷方向に写り込んでいる、青白い線状の光跡であった。
光跡は僚艦から発せられたもので無いことは一瞥すれば明らかで”青白い光の矢”というルナンの印象は妥当であろう。矢の先端部からは数条の雷光が枝分かれしながら一直線に僚艦に向っている。その前後の画像を見ると、問題の光跡が認められるのはこの一枚のみだった。
次の画像には、危険な放射能を含む白い蒸気のようなガスを中央部から吹き上げ、周囲に船体の残骸をまき散らし、船底部を曝け出すようにしているフリゲート艦の無惨な姿があった。見ようによっては銛を打ち込まれて波間でのたうち回る鯨を連想させた。
「アレン大尉からのコメントが添付されています。『自然現象とは考えにくい』とあります」坂崎の声は不安げで少し震えているようにも聞き取れた。
「至急、艦長に送れ」とルナンが坂崎に問題の静止画を艦長専用の端末に送るよう指示した。
艦長は会話を続けながらパネルを操作、問題の画像に行き当たるとその場でピタリと動きを止めた。無言でそのまま呼吸が止まってしまったのかと思われるほど身じろぎもしない艦長の様子に不安を感じたルナンが声をかけようとした矢先
「アレン!ブレイクだぁ!現宙域を即刻離れろ!」とインカムに向って叫んだかと思うと、矢継ぎ早にルナンに
「クレール中尉!艦隊行動を解く!『モンテヴィエ』のシェーファー少佐に緊急通達。散開せよ!」と畳み掛けるように指示を浴びせた。
「艦長!一体?」
「早くしろ!説明は後だ。坂崎、緊急警報発令!こちらも一時退避する!」と吐き捨てるように言い放った。慌てて坂崎は自分の卓上に設置されている大きい赤ボタンを拳で叩いた。
展望艦橋から発せられた警報は瞬く間に、けたたましいブザー音が艦内全体に響き渡り、非常用の赤ランプがそこかしこで点滅を始める。この部署の下では、緊急警報に接して飛び起きた非番の連中を含めた全員が己の担当部署に向っているに違いない。
「クソッ! 間に合わんか」とムーア少佐が艦外の様子を凝視しながら悔しげに呟くのを受け、ルナンは振り返った。
そこには驚くべき光景が展開されていた。今まで艦隊旗艦『ルカン』と併走航行していた『ダ・カール』がその船体の中央部からくの字に折れ曲がり、その付近から白いガス状の物質を猛然と吹き上げていた。更に連鎖反応による小爆発が船体各部から生じている。
折れた船体を引き摺るようにして『ルカン』の進行方向を塞ぐように遷移していく僚艦の船首部、アリゲータヘッドの部位に”青白い光の矢”が撃ち込まれた。
第一波と言うより一射目の光跡は艦長が、二射目はルナン自身がその目に留めた。碧い光の矢は船首部をあたかも陶器を地面に叩き付けたときのようにいとも簡単に粉砕した。
一部始終を目の当たりにしたルナン・クレール中尉は反射的に
「ダァーイブッ!」と叫んでいた。
第三話での『百家の災厄』と、今回の『リューリック事件』。この二大事件によりこの物語の世界観の骨子が固まったことになります。現時点においては火星世界には地球からの干渉は在り得ない。だがいずれはやって来る危機が確実に存在している事も念頭に、ルナンらは戦略を練らなければならないというバックボーンにもなるのです。
この事件は後の話にもちょくちょく出てきます。常に地球は脅威であり彼らの独立を阻む強敵として記憶されている事が物語に多大な影響を与え続ける事となるでしょう。
ここでようやく、第一話我、漂流セリの段階に話が戻ってこれから後継艦長ルナンの苦難が始まります。彼女はどうやって乗り越えるのか?そして彼女自身の過去に何があったのか?
以降の回から話は佳境に入ります。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!