最終話となります。全ての戦いを終え帰路に就く『ルカン』。その前に味方の艦隊が到着しますがルナンはこの指揮官ともやり合ってしまいます。そしてケイトとアクティブドローンの今後と未来にルナンはどんな結論を導き出すのか?
ルナンとケイトが発令所に戻ると、未だ動甲冑姿のアメリア・スナールが中央モニターの前で直立不動の姿勢を取り、その向こうにいるのであろう人物と応対している所に出くわした。
「艦長が戻りましたので替わります。少佐殿」
きれいな回れ右の後、アメリアは二人の方に歩み寄って
「お迎えが来たぜ。……にしてもタイミングが良すぎないか?」ルナンの耳元で声を拾われないように囁きこう続けた。
「中央軍管区からの分遣艦隊だ。堂々たる布陣でお越しだよ。ネルヴァール少佐が率いている」アメリアは思い切り顔をしかめた。
「あの点取り虫のルネか…」小声で悪態をついてからルナンはモニター前に滑り込み
「少佐殿お久しぶりであります。艦長代理を務めておりますルナン・クレール中尉であります」と、敬礼を送った。
「少し太ったか?相変わらず不調法だな」モニター越しに相対している細身で肌の白いキツネ目の青年将校が感情を出さない抑揚の無いトーンで言い放つ。
ルナンはぐっと口を結んで、努めて無表情を装わんと必死になっていた。
「誰ですか?」モニターから死角になっている場所でケイトがアメリアに尋ねた。
「ルネ・ネルヴァール少佐。あたしらと同期で、出世欲の塊だ。上司の機嫌取りと昇級テストの点数稼ぎはピカイチ。現場で汗をかくのは低能のすることだと言って憚らないクソ野郎だ」アメリアはあからさまに嫌悪の表情を浮かべて見せた。
「さて……貴官にはご苦労とは言っておこうか。『ダ・カール』と『モンテヴィエ』は残念であった。二隻でざっと四八〇億ジルの損失だが、『ベーオウルフ』だったか?あれを拿捕できれば損失に見合う成果となり得るだろう。まぁ後は任せてもらおう」
ネルヴァールは端正な顔立ちに吊り上がった三白眼をルナンに向け、冷血漢らしい鉄面皮をひくりともさせない。
「こちらは『ベーオウルフ』を追う。貴官が尻尾を巻いてきた相手に我々が意趣返しをしてやろうと言うのだ。感謝して欲しいな。……それと貴官は気密情報を部下に開示したらしいではないか。軍務省査察部に連絡が入っている頃だ。出頭要請があるだろう。…この件に関して言いたいことはあるか?」
この上官の質問に対してルナンは
「二五四……」とある数字を口にして、ネルヴァールの意地の悪そうなキツネ目を睨み返した。
自分の意に介さない返答を聞いた少佐は無言のままで微かに首を傾げるのみ。そんな上官にルナンは
「二五四名であります。少佐殿!当『ルカン』前艦長アレクセイ・ムーア少佐、坂崎智也一等兵曹、副長ジョゼフ・アレン大尉、他一四名。『ダ・カール』艦長シュライデン大尉を初め乗員一一二名。『モンテヴィエ』艦長クライスト・シェーファー少佐以下一二五名の英霊に対して感謝も哀悼の意も表さないのですか?我が海軍はぁ!」と、堰を切ったようにネルヴァール少佐に食って掛かってしまったのだった。
「貴様は何を言ったのか分かっているのか?当然だ。感謝も哀悼も無い!軍務に服して任官の際に国家に忠誠を誓うと宣誓したのだからな。それが軍制である。死にたくなくば上を目指すことだな!……何だ?貴官らは」
急にネルヴァールの表情が怯えた用に歪んで唇をきつく結んでいる。ルナンが気配を感じて視線を廻らせれば…。
屹立してモニターを見つめるアメリア・スナール准尉が。ケイト・シャンブラーが。安井機関長、ロイド、ジョンスンら発令所に居合わすクルー全員が彼女の周りと自分の持ち場から立ち上がり、一斉にモニター内の人物に無言の抗議を浴びせていたのだった。
中央でエリートコースをひたすら目指す、この冷酷な至上主義者もこれには辟易したらしく迷惑そうに眉間に皺を寄せ
「『ルカン』は以下の座標へ変針せよ!補給及び、応急修理が必要である事を認む。特務工作艦『マルヌ』を呼び寄せておいた。そこへ向かえ。以上だ!」と、ぞんざいに言うのみであった。
「ご配慮に感謝いたします」敬礼するルナンが言い終わらぬうちに通信は一方的に断ち切られた。
画面が瞬時に切り替わり、たった今までネルヴァール少佐の陰険な顔を映し出していたそこには、『ルカン』とは真逆の方向に進路を取る勇壮な艦艇群を映し出していた。
アルジェリー級巡洋艦二隻、トロンプ級軽巡洋艦二隻、C級フリゲート艦三隻、合計七隻の分遣艦隊。急遽編制されたとする割には、重厚で万全を喫した陣容であった。そのネルヴァール少佐が率いる艦隊は、自分たちに二次加速のオレンジ色の噴射炎を見せつつ遠ざかっていく。
ルナンはそれを黙って見つめながらも、拳を強く握り、唇をかみ締めて天井を仰ぐとそのまましばらく動こうとはしなかった。
アメリアが背後から近づきそっと両手を彼女の肩に添えてから耳元で
「ルナン、少し休め……なぁ」と言った。ルナンもその好意を受けて
「通達。通常シフトへ移行せよ。手の空いた者から暫時休憩に入れ」と艦長としての指示を告げた。
「よし!後の事は先任のおらに任せてくれなぁ。ケイトも一緒さ休むと良かんべ」と、アメリアは二人背を押しながら促した。
二人が“スルタンのハーレム”に足を踏み入れると、ルナンは軍服の上衣を丸型ソファの背もたれに放り投げ、体を横たえた。その隣にケイトが腰かけるとルナンは身体をイモムシのようにずり動かして頭をケイトの腿の上に乗せた。
女同士の膝枕に困惑するケイトに、ルナンが口を噤んだまま指でもっと顔を寄せろと招く。これを察した彼女は
「ないよぉ!あんたにまでキスしてやらんでね」にこやかに言えば、ルナンは真剣な眼差しで見上げつつ
「済まない。今からは標準語を使ってくれ。……ケイト・シャンブラー、君はこの襲撃を事前に知っていたな?」と、切り出した。
ケイトは驚く風でも無く、逆に膝上の女に微笑むや
「どこで気付いたの?先ずはそれからよ」ケイトは顔をルナンに近づけ頬に手を添えながら囁いた。
「それでいい。管制AIの映像に残されるのはなるべく避けたいからな」未だに鷹の様な目を向けながらルナンは続けた。
「ジョンスンにステルスシールドのカラクリを説明した時だよ。オレが初見した時、あれは完全な論文だった。あそこから君が示した見事な対抗策をひねり出すのは容易な事じゃない。事前に情報を得て自分なりにシールドの概要を把握しておかなければ無理だとオレは踏んだ……ケイト?」
ケイトは視線をルナンから逸らし、天井部を仰ぐと一つ嘆息をついた。
「そうよ。この襲撃計画を私に漏らしたのはあるスポンサーだった。でもバックがいるのよ。その人物は情報部のエージェントだった」
「それで?」
「私がこの実験航海を申請したのは半年も前。それがやっと認可されたと思ったら、ある条件が付帯されていたのよ。……ルナン、ブライトマン機関って知ってる?」
ルナンは頭を振った。
「アトランティア連邦の秘密機関。元大統領アーサー・ケイリーの懐刀エドガー・ブライトマンなる人物が仕切っている。その機関は今回のステルスシールド以外にも、私とは別のドローン制御システムを構築しようとしているの。D・Cシステム……知らないわよね?」
目をぱちくりさせ、やはり首を振るルナン。
「ドローン・コンダクトという意味よ。機器を通じて人間の脳幹反応とAIとをダイレクトに交信、一気に二〇機に及ぶ攻撃型ドローンを制御するシステム。私はこれも探れと……。でないと来期の予算は大幅にカットされると通告された」
「君は……それを知っていて『ルカン』に乗り込んだ。何食わぬ顔で」
「やるしかなかったわ!叔母から引き継いだ研究室には、あの三人の様なボディを待っている兄弟たちがいる。あん子らのためならば、叔母様の意思を継ぐためなら何でも!」
「ムーア艦長には?」
「出港前ミーティングの時に彼にだけ何らかの妨害の可能性を伝えたけど。まともには取り合ってもらえなかった。ここまで徹底した攻撃になるなんて思いもしなかったわ……艦長までお亡くなりになるなんて。恐ろしかった。他の船が沈められた時は」
ケイトは目を伏せ、ルナンに覆い被さるようにしてこうも言った。
「告発されても仕方ない。私がもっと早くあなたに計画の存在を知らせていれば良かったのよ……でも」ケイトの目から大粒の涙が。
「君にもKーⅣと同じ秘匿義務を課せられたんだね。予算削減の他に何か言われたのか?」
「アミアン工科大学附属病院に憲兵隊が乗り込んで、マリア叔母様の身柄を拘束するって脅されたのよ」ルナンは黙したまま自分の顔が濡れるに任せた。
「だが、君はオレ達のために戦ってみせたな。……あれも当初から目論んでいたのか?」これにケイトは大きく首を振って
「一か八かだった。マークス達なら勝てるかもしれないと。彼らは期待に応えてくれた……文明を担う者として。私たちの同胞としてね」ケイトは鼻をすすり上げ、目一杯に笑顔を作ると
「ありがとうございます。ルナン・クレールさん……あの子たちを信じてくれて。嬉しかったわ」と、両手で顔を覆った。
暫しルナンはそのままケイトを見上げていたが、ゆっくりと体を起こして
「オレの見立てではな、君は新兵器の情報収集という名目で、この周到な襲撃計画を知りながら艦隊を送り込んだ軍上層部に巣食う保守派の陰謀に乗せられたとみているんだ」彼女は身体を屈めるケイトの肩を力強く握り
「まだ戦うのか?そのブライトマン機関と保守派相手に。君は言わば……奴らの生贄にされたに等しい」と、言った。
これにケイトは憤然と面を上げ
「戦うわよ。一人でもね!D・Cシステムはね私が目指す“文明を担う者”とは対極となる思想よ。芽生え始めたAIの個性と想像力を奪い奴隷として使役するだけ。私がこれからどうなろうとこの事だけは覚えておいて!」こう言うなり思いの丈をソバカス女に叩き付けるように告げたのだった。
「一度生まれた文明の灯を人間の身勝手で奪う事なんて許されない。そんな権利は誰一人として持っていないのよ!絶対に」
「新たに生まれた文明の担い手たちの安住の地が欲しいのか?」ルナンもまた叫ぶように彼女に問えば、ケイトは微かに頷いた。
「バッカ野郎!一人で戦うなんて言うな。オレを巻き込めよ!」と、ルナンはソファの上で胡坐をかき、大きく胸をそらせて
「ケイト・シャンブラー、オレと共に征こう!いつの日か君らが安住できる軌道要塞の一つくらいオレがくれてやる」と大声を上げた。ケイトは半身を反らせ怯えたように
「ど、どうするつもりなのよ……」こうおずおずと尋ねると、
「天下獲ったるぅ‼」またルナンはその区画が揺れんばかりの大音声を上げた。
ケイトは目の前にした小柄な女性から飛び出たあまりに豪胆な物言いに、ポカンと呆けてしまった。そして次に腹を抱えて笑い出した。
「何を言い出すかと思えば……どうかしているわよ。ルナン、あなたには何も無いじゃない。一介の中尉さんでしかないのに」
「おおっそうとも。オレのポケットは空っぽさ。だから何でも入る!ほぼ天涯孤独と言ってもいい。だからいくらでもやれる!女の身だから何もできないかね?やってみなきゃ判んねぇだろうがぁ!」
ルナンはその小さな手で拳を作るとケイトの眼前に差し出し
「この手を取れ!ケイト。これからは同志だ。オレがいくらでもサポートするぞ。物資でも資金面でもな」と、言い不敵な笑みを彼女に向けたのだった。
その手をじっと見つめるケイト。すると彼女の頭を越えて手が伸び、その拳をぐっとつかんだのだ。
「その話、おらは乗ったぞぉ!」声の主はアメリアだった。
「おらは決めたでぇ!コイツが赴く先々ではこのアメリアが先陣承ろう!」ケイトの頭上からアメリアがニヤリとして
「やる奴は今からでも動く。やらん奴は条件が整っていても一〇年経っても動かん。そんな物だよ。ケイト」と、彼女にウィンク。
「アメリア、お前聞いていたな?それと指揮は?」
「安井のオッサンが替わってくれたよ。自動航法だから問題無いってさ」
そこへ休憩室のスピーカーから発令所に詰めている安井技術大尉の報告が流れてきた。
「発令所よりクレール艦長へ。目標の特務工作艦『マルヌ』が視認できますよ。ご覧になりますか?」
「ああ、頼むよ。機関長、いろいろありがとう」ルナンは彼にこれまでのお礼を述べた。
「どういたしまして。三人はゆっくりしていてくれ」
通話が切れた時だった。
「よかぁ!あても決めた。どうせ就くのなら、あの子たちを信じてくれる人と進みたいもの」ケイトは二人の拳を両手でしっかりつかんだのだった。
「ヨシッ!これで決まりだ」三人はしっかり握られた互いの拳を見つめ、そして狭い区画の中で微笑みを交わし合った。
「で、ケイト。先ず何が欲しいね?」三人が手を解くとすぐにルナンがケイトの顔を下からイタズラ小僧みたいに覗き込んだ。
「何よ、大きくでたわね。……そうねぇ。先ず船が欲しいわ。いつでも宇宙に出られるあの子たちの移動基地が」ケイトの言を受けたアメリアが
「あれぐらいのかい?」と、モニターを指さした。
休憩室の大型液晶モニターには漆黒の虚空に浮かぶ艦艇と言うよりは移動ドック、宇宙ステーションと呼称した方が妥当な特務工作艦『マルヌ』が映し出されていた。
「懐かしいなぁ…『マルヌ』か。あそこの艦長はまだダラディエ大尉かな?いや、何年も前だから…もう偉くなって他の艦の指揮官かな?」とルナンは感慨深気に映像を眺めた。
「変わっていないわ。……あの時から」ケイトは少し沈んだ表情を浮かべた。
「叔母様の言葉を思いだすわ。AIにイマジネーションを与えても、それを人間側が許容できるかどうかが本当の問題だって」
「同感だね。君を亡き者にしようとした保守派がいい例だ。人間は常に新たな存在を脅威と捉えてしまう」こうルナンが答えると、いつの間にか二人の間、ソファの背もたれに頭を乗せているアメリアから
「でも、おらたちはケイトさ味方につけて危機を乗り切ってみせたべな。余計な心配はいらねぇんじゃね?」と答えた。
二人はアメリアに体を向ける。
「オレはこれにも賛成さ。人間には多様性がある。それを信じたいね。いつの時代だって人間は過酷な問題をそれで乗り越えて来たんだから。……そう思わないか?ケイト」
「今はそう思える。多様性を生み出す素も想像力の為せる業かもしれない。それに多様性を認めない社会、文明は脆いわ」続けてケイトは二人にこうも告げた。
「この先、あの子たちの機能も個性も格段に上がってくるでしょう。近い将来彼らは互いに愛し合い自分たちの子孫を欲するようになるかも知れない。その時が人間と新たな文明の大きな転換点になるのは判っている。私はその時、二つの文明が何を選択するのかが、正直怖いの……」ここで一息つくケイトは思いつめたように語った。
「わ、私は常に不安だった。研究に没頭するあまりに私は『フランケンシュタインの怪物』を生み出してしまったんじゃないかって」
「ケイト、それは……」
真剣な物言いと怯えたような眼差しに捉えられたルナンが何か言おうとした時
「ケイトォ。なに、おめはあれかぁ? あいつらをオスとメスさ分げでぇ将来は卵さ産ませる気なんけ?いやまずそれはぁ気味悪かんべさのぉ」と、アメリアが眉間に皺を寄せつつ二人の肩の間で頭を振ったのだった。
アメリアからの珍妙な応えに二人は口をあんぐりとさせたが、ルナンが苦笑する傍らでケイトは部屋がひっくり返らんばかりの大声で笑い始めた。そして涙を拭いながらルナンとアメリアの首っ玉に抱き着いた。
「最高だわ!あなたたちは。最初航海に臨んだ時は不安だらけだったけど。来て良かった!だってこんな素敵な友人が二人もできたんだもの」両脇に二人を抱え込んだケイトはスカーフェイスとソバカス面にキッスを送った。二人もニヤニヤしてまんざらでも無さげにしていると、ケイトはモニターに向き直ってから
「今、思えばあの時叔母様は焦っていたのかも。その頃、叔母様は共同研究者と袂を分かった。そしてあの人はブライトマン機関へと移ったらしいの」と、言った。
「……それであのアイザックに無理な移植改造を。あの時は大騒ぎだったっけ」
「ち、ちょい待ち!あなたが……どうして?それと、私が人質になった時、あなたは『また、待たせて済まない』って言ったわよね?それっていつ頃よ」とケイトが疑わし気にルナンを正面にして向き直る。
「ええっと…確か一六歳の頃だから八年前かなぁ……。オレの事忘れた?あのアイザックから助けてあげたじゃないか……あれ?」ルナンはさも当然であるかのようにケイトに笑いかけたのだが。
ケイトは口をパクパク。だが目線だけはねちっこくルナンを凝視しながらソファで正座になって
「……あんた、まさかぁ~ハンス君?いや、待ってよ。あんたは女でしょ。それにルナンって名前はあの時、聞いたことないもの!」ケイトは凄まじい形相でルナンににじり寄っていく。
ルナンは剣呑な面持ちで睨みつけてくる彼女に気圧され、自分もソファに正座してからあたふたし始めた。
「あの、あの時分、オレ、いや私の本名はハンナ・ブッセルでして、訳あって今はルナン・クレールって名乗っているのだけどぉ。その頃は、みんなが『お前はハンナって柄じゃねえ!男だぁハンスだ。ハンスでいい』って勝手に男名前が一人歩きしていた訳で。実際に『マルヌ』の乗組員では本当にオレの事を男子って思っていた奴も相当いたんだよぉ……?ケ、ケイトォー!」
全身から溢れ出す負の感情のオーラを漂わせたケイトはいきなりルナンにつかみかかってきた。
「あんたぁ!ふっざけんなぁー。こんばちあたり。返しやんせ!わたしん清らかな初恋ん思い出ば返せぇ!」褐色のインド系メガネ娘はルナンの胸倉を引っつかんで前後にぐらんぐらんとフルパワーで揺すった。
「いやっそげん言われても困りますぅ。お、おいは悪気なかとですばぁぃー止めてくさぁぁい」ルナンも変なお国言葉で返しながらも抵抗できないままであった。
この二人のやり取りを見ていたアメリアは何だか事態がややこしくなって来たのに些か面倒になったのか
「あっ!じゃあおら、シャワー浴びてくるわ。おっつー!」そそくさと、その場を辞去した。そして去り際に
「ああ……アホくせぇ。でも賑やかになりそうだなぁ」こう付け加えながら。
ケイト・シャンブラーは更に渾身の力を込めて
「あ、あんたがあたしのハンス様だったなんてぇー。どうしてくれようかぁ!いっその事あんたなんか男に生まれてくれば良かったんだぁー」と一層ぶるんぶるんとルナンの体を揺すり続けた。
されるがままのルナンはそれでも豪放磊落に大笑いしつつこう言ったのだった。
「いやぁ何故か、皆さんそうおっしゃいますのよねぇ」
火星統合暦 MD:〇〇九六年某月某日
「君、ハンス君じゃあないんだよねぇ?」と特務工作艦『マルヌ』艦長ダラディエ大尉は自分の執務室に呼び寄せた目の前の人物に目を細めている。
大尉は皆がハンスと呼んでいるこの義勇兵扱いで入隊を果たし、工作艦内の船渠区画で下働きに勤しむ小柄な人物が女の子とはどうしても思えなかった。何せこの全く女っけのない娘が今回の事件解決の最大の功労者であったからだ。
「はい。ハンナ・ブッセルと申します」その少女は両手を背後で組み、半歩足を開いた姿勢で答えた。
ダラディエ艦長は執務室のデスクにあって、軽く咳払いすると
「今回のAIによる反乱…いやっ、動作不良で君は、この艦の危機と我が海軍にとって大変重要な協力者の親族を救出してくれた。このことに対して先ず『マルヌ』を代表して礼を言わせてもらうよ。よくやった!ありがとう」と言い、机の引き出しから一通のA4判の茶封筒を取り出した。
「私が君にしてあげられるのはこれくらいだが……」休め姿勢のままの少女にそれを差し出した。
「失礼します」と断ってから彼女は一歩前へ進み出てそれを受け取った。
その封筒には『神聖ローマ連盟海軍士官学校入学願書』と表記されていた。
「推薦者は私と、今回君に姪御さんを救ってもらったマリア・シャンブラー博士が快く同意して下さった。喜べ。博士は初年度分の経費の全てを請け負ってくださるそうだよ。で、どうするね?」こう聞かれて断る人間がいようか。ハンナ・ブッセルと名乗った少女は
「過分な評価を戴き感謝いたします。是非、お願いします!」澱みない大きな声で答えた。
ダラディエ艦長も満足気に大きく頷いて
「よし!若者らしい良い返事だ。私も艦を救ってくれた恩人に報いる事ができて嬉しいよ。じゃあ名前はハンナ・ブッセル君で申請していいのだね?」再度の確認を取ろうとしたのだが
「いえ、艦長。申し訳ありませんが、訳あってその名前は使えなくなります」とハンナは言った。
「……そうか。では、何とする?」
ダラディエ艦長の問いに少女は威を正して敬礼をすると
「ルナン。ルナン・クレール、この名でお願いします!」とこれまでより更に大きく元気一杯に答えてから、ソバカスだらけの顔で破顔一笑してみせた。
この日、後の火星世界の歴史に多大な足跡を残す事となる風雲児、ルナン・クレールが誕生した。この少女が後に一代の女傑として常に陣頭に立ち、兵を鼓舞して幾度も故国の難局を乗り切った。そして『火星鎮撫軍』を名乗る、地球から押し寄せる大遠征軍にも挫けず最後まで戦い抜いたのだった。
火星に住まう人々はこのルナン・クレールをこう呼んで敬愛の情を示した。
『火星のジャンヌ・ダルク』と。
今回でこの『もののふの星』は全編終了でございます。ここまでお付き合い頂いた読者の皆様に先ずはお礼を言わせていただきます。誠にありがとうございました。
この作品を“小説家になろう”サイトさんに初投稿したのが、2017年の今頃でした。小説を書き上げる事、プロットの作成、キャラクターの細かい設定など全てが人生初の出来事でした。
仕事の合間を縫って小説を書き、作品を一本書き上げる喜びに打ち震えた思い入れの強い作品であります。えーしかし、完成させたのはいいのですが、しばらくしてから読み直すと“何じゃこりゃぁー!”と叫びたくなるほどのありさま。何度か推敲してから他の作品を手掛けてからまた見直すと“うーんなんかなぁ”てな具合で再編集。昨年からはClip Studio Paint Proでイラストまで描き始め、宇宙艦艇、キャラクターデザイン、軍服やら何やらまで手に掛ける始末。今秋から会員登録させていただいたノヴェリズム様への投稿に際しても、結局全話に渡って再々編集してイラストも新規に投稿させていただいた次第なのです。
これもひとえに、こんなヘボ作家の作品を覗いてくださった読者様に世界観をご理解、作品の雰囲気を楽しんでいただくためと思し召し下さいませ。これからも頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。
次回からは続編『軍神(マルス)の星』を投稿予定であります。今回では名前のみの登場でありました、ルナンの同居人キサラギ・スズヤ、後半にチラッと登場したゲルダ・ウル・ヴァルデスなど、新たなキャラクターも続々登場します。全編で40万文字になる長編ですので前編、後編の二部構成でお送りするつもりです。でも、また一話ずついじるんだろうなぁ。イラストも前のが気に入らなくて描き直すんだろうなぁ……どうしましょうかねぇ。進まねぇなぁもうっ!
最後はグチっぽくなりましたが、読者の皆様にはご愛顧いただけると幸いです。感想などありましたらお寄せ下さると嬉しいかぎりです。ありがとうございました。梶 一誠でございました。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!