「指紋一〇パターン並びに、網膜識別完了。再度、官姓名及び認識番号をどうぞ」と流暢で柔らかな声色が、人一人が座れる程度のスペースしかない、管制業務保全AIが収められている通称”コードルーム”内に広がる。
正式名称『暗号保全解読室』。一見すると臨時用トイレと勘違いされがちなボックス型の施設。ここの使用権限を持つ艦長及び士官以外の乗員は素通りするしか用を成さない。
「ルナン・クレール。中尉。認識番号D―一四五七九〇九―Ⅹ。以上」ルナン・クレールは、艦長業務引継ぎに必要な手続きの最終確認事項に応じていた。士官学校の養成課程を経て、二一歳で駆逐艦『キャバリエ』への乗り組みを拝命してからこういった手続きには慣れてはいる。
だが、今回は今までに無く緊張していた。二回の官姓名の確認の後、武運拙く亡くなったムーア艦長に代わりルナンがフリゲート艦『ルカン』の後継艦長として承認された。
この瞬間に若干二四歳の女性艦長ルナン・クレールが誕生した。これが艦長就任式に白を基調とした典礼用軍服を着用して臨むのであれば喜び一入であろうが、今回の引継ぎはこれとは裏腹に気の重いものとなっていた。
「ルナン・クレール艦長。これより貴官におかれましては海軍規定に基づき、前任艦長アレクセイ・ムーア大佐と同等の情報開示権限を有する事となります。」
管制AIの丁寧だが全く感情のこもっていない口調に耳を傾けながら、ルナンは前任艦長が二階級特進なる軍内部の人事的慣例とはいえ、これが殉職した者への配慮なのかと諦めに近い感情を抱いていた。
眼前のモニターには管制AIが提示する確認事項が次々と列挙されてくる。艦内人事に関しては、とても全乗組員の個人情報までに手が廻らないので、各部班長、下士官クラスの経歴と賞罰、家族構成といった物までにとどめた。
最後にケイト・シャンブラー技官中尉待遇軍属という項目に目が止まり内容をしばし読み解いていくと、ある名称が目を引いた。特務工作艦『マルヌ』。
この艦名はルナンにある記憶を想起させた。
「そうか!すっかり忘れていた。ケイトはあの時の女の子かぁ」と独り言を呟くとコードルーム内で微笑を浮かべた。
次に艦隊編成と指揮系統の改編に関する事例。
ルナン・クレール中尉は自艦『ルカン』の艦長業務を引き継ぐのみで、艦隊司令の任は今や近傍宙域において唯一の僚艦となった『モンテヴィエ』艦長クライスト・シェーファー少佐に引き継がれる事となっていた。
最後に作戦要綱に関する情報開示に移った。これは案件が二つ。一件は自分も既に携わっているアクティヴ・ドローン運用実験に関するもの。問題は次の案件にあった。
作戦名『K―Ⅳ』。情報開示レベルAAとの注意事項の記載が成されていた。
「ダブルエー?高い秘匿レベルだな……。あまり聞いたことがない」彼女は首を傾げた。
一度、深呼吸して”開示”と表示されているモニター画面にタッチ、その内容に目を走らせた。
ルナンはこの『K―Ⅳ』に、これまで自分の合点のいかなかった急な艦隊編成と異例ともいえる前方トロヤ群近傍まで足を伸ばした、その原因がここにあると直感してはいたが、
「クソッ!冗談じゃないぞ。上の連中はオレ達に死ねと言うのか! これじゃ囮? いやまるで撒き餌じゃないか。ムーア少佐はこんな秘匿命令を受けていたのか」と、更にその情報開示権限に関する覚書の欄に目を通すと、その内容に触れて手が震えうめき声が漏れた。
彼女は憤懣やるかたなくコードルーム内で怒気を顕わに両の拳をモニター前に設置されているキーボード付きのデスクにたたき付けた。
この行動を察してか否か、ⅩⅩ―〇八九は極めて事務的に
「全ての情報開示を確認。承認を受領しました。では、新艦長、あなたに神のご加護がありますように」常套句で全ての手続きを締めくくろうとした時、モニター画面の端に”通信有り”の文字が現われ点滅を始めていた。
「クレール艦長。旗艦『モンテヴィエ』のクライスト・シェーファー少佐より通信が入っております。先方は直接通話を望んでおられます。ここでお繋ぎしますか?」との業務連絡であった。
いつもなら気にも掛けない単調な言い草だが、今のルナンにはこの合成された音声が自分を小バカにしたように感じられ、思わず吐き捨てるように
「繋げ!」と狭いコードルームが揺れんばかりの大声を挙げてしまっていた。
指示通り画面が瞬時に切り替わり現われたのは、年齢の頃なら前任のムーア艦長とほぼ同世代と見受けられる人物であった。ただ彼とは対照的にひょろりと針金のように痩せた体型。頭髪の半分以上が白髪、しかも頭頂部から禿げ上がっている。四角い額縁メガネの奥に光る黒い眼球からは、このシェーファー少佐なる人物が融通の利かない堅物であろうという印象を彼女に抱かせた。
「若いな。貴官は……女性だな?」これが残された二隻の艦隊司令となった人物が放った第一声であった。
先方からすれば、このルナン・クレールなる女性士官は化粧っ気など全く無く、髪の手入れもお構いなしで不機嫌そうにこちらを睨んでいるさまは、街中で屯する不良少年のように見えたのであろう。
シェーファー少佐はこの後「結婚は?」、「子供はいるのか?」といった女性に対するある意味決まりきった質問を投げかけ、ルナンからの全て「ノン」との答えを聞いてから本題を切り出した。
「さっそくだが、クレール艦長。貴官はこの『K―Ⅳ』に関することをムーア少佐から聞き及んではいないか? 開示情報内にあった”猟犬”に関することだ。いや、この際未確認の敵艦と称しても差し支えあるまい」とモニター越しの後継司令官は、ルナンから見るとしきりに頭を振り、得体のしれない不安感に苛まれているようであった。
「いいえ、ムーア艦長は何も。この秘匿命令の存在自体、小官もたった今知ったところであります。司令、猟犬の存在もさることながら情報部による記載報告にあったその装備、能力ですか?”ステルス・シールド”とは一体何でしょうか?」今度はルナンのほうから問うた。
不測の事態により、新たな任務と立場を得た二人にしてみれば、秘匿命令を受諾、開示したところでもその内容は雑然として断片的な情報の詰め合わせであり、脅威としての敵対勢力の規模、具体的な姿が銘記されている訳ではなかった。
これが当然と言えば、そうなのだろう。万全な情報に基づく水も洩らさぬ作戦行動など現実的には夢物語である。にしても判断材料が少なすぎた。
また、前任者のムーア少佐は、この秘匿命令を同クラスの士官である艦長たちにも詳細を告げず、部下の士官たちにも報せてはいなかったことが確認できた。恐らく『ダ・カール』に乗り組んでいた今は亡き副官のアレン大尉も関知していなかったであろう。
結局の所アレクセイ・ムーア艦長兼艦隊司令は全てを一人で抱え込んで、逝ってしまった。
不運な後継者たるシェーファー少佐は、ルナンと目を合わせようとはせずに自分のはげ頭を撫でながら
「詳細は不明だ。光学式迷彩技術の一環として研究されてきた物らしい。うまく機能すれば、戦艦、空母クラスの大型艦艇そのものを”透明人間”にすることも可能らしいが…。どこの列強でも成功例は皆無と聞いている。そうか、貴官も蚊帳の外と言うわけか」こう俯くのみ。
ルナンは更に開示された情報、特に彼女自身が承服しかねると感じていた覚書に関して
「少佐、あの情報開示権限に関する覚書ですが、あれは司令官権限で何とかなりませんか? あの条項では身動きが取れません」と食いつく様に司令官に意見具申してみた。
彼は腕を組み、焦燥した顔つきを悟られまいと、ルナンの方からは伺い知れない天井の方向をじっと見つめたまま
「例外は認められない。承服して軍務に精励するを期待する」との返答がもたらされるのみであった。
二人の指揮官は互いにモニター越しでしばし押し黙った。やがてシェーファーの方から口を開いた。
「そちらの状況はどうか?自力での航行は可能か?」と、尋ねる。
ルナンは『ルカン』が、僚艦の爆沈の影響を受けて未だに予断を許さない状態であることを掻い摘んで報告した。
「クレール艦長『ルカン』は現宙域に留まり復旧に尽力せよ。当方は電波状態が芳しくない現宙域を離れて状況を艦隊司令部に報告する。これが最優先事項として認識する。了解されたい」と告げて来た。彼の言う電波状態に問題は無い。現にこうしてノイズ一つなく通信は可能なのだ。さらに艦隊司令はあくまで『撤退』、『逃亡』といった語句は使おうとしない。
「待ってください! こちらは手負いのまま置き去りですか?」ルナンはシェーファーの決断に不満を呈した。
「気持ちは判らんでもない。だが、やはり未確認敵対艦艇の存在を明らかにするほうが賢明と判断した上だ。互いの職責を全うしなければならない状況にある! 異論は挟むな! 貴官は既に艦長の任を受けている。もはや一介の中尉ではないはずだぞ」ピシャリと新任女性艦長の言を封じた。
未だに物言いたげで、不服の態を隠そうともせず少佐を睨みつけるルナン。年嵩の上官は聞き分けのない子供を宥めるように
「心配するな。必ず救援の艦隊を引き連れて戻ってくる。『ルカン』は欺瞞行動C―Ⅲを維持したまま隠れていろ。これは予想だが、”猟犬”は先程の攻撃で二隻の艦艇をまとめて仕留めたと考えているかも知れん。では健闘を祈る」こう言い含めた後通信は一方的に切られてしまった。
「撒き餌にされた上に、置き去りかぁ!いいように撃破されろと言うのかぁ!」ルナンは今までモニター越しに相対していた上官にぶちまけたかった本音を、暗くなったモニターに捲くし立てたが、“おふくろさん”は黙したままであった。
ルナンはコードルームを出たものの、艦内通路で立ち止まり、むき出しになったパイプ類、船体を支える構造物がそびえ立つ一画に背中を預けたまま天井を見つめた。通路の中央部には天井から滴り落ちる水滴で小さな水溜りができている。
引き継いだ秘匿命令をどう取り扱うか。このことが脳裏に引っかかり彼女は逡巡し、安井大尉他、下士官やクルーらに何を聞かれるのかと思うたび、自分の戻るべき部署への足取りを重くさせていた。
ルナンは水溜りの真上に体を移して、滴る水滴を顔で受けた。ひどく冷たい。だがそのまま顔を濡らすにまかせた。吐く息は白く、彼女の口から数メートル立ち昇るとそこで消えた。
艦内にはルナンが咄嗟に指示した回避命令の効果が出始めていた。原子炉は極限まで活動を抑え、生命維持機能を除く、諸々の機器にも非常停止の処置を施したまま。そのために絶対零度の宇宙空間に晒されてこういった瑣末な区画から徐々に冷気が広がりつつあったのだった。
「さあて、どうしたものかぁ…」とルナンはここでも無意識に独り言を言った。
ルナンは次に顔を足下に向けて後頭部に水滴を受けた。彼女の頭髪の隙間を冷水が染み渡っていく。自分の足下にある水溜りの淵は通路と周囲の冷気でシャーベット状になっていた。それを彼女は足でぐしゃぐしゃにかき回すようにして
「アンナ、アンナよぉ、オレ今度ばっかりはダメかもしんねぇ。もしもの時はうまくそっちにいけるかわからねぇなぁ。……迎えに来てくれねぇか?」小言で囁いた後、いじくっていた足下のシャーベットを勢いよく蹴り上げてから意を決し発令所へ歩を進めた。
「…以上だ。これ以降は後継人事に関する異論は受け付けない。各自担当部署の復旧作業に当たれ。先ずは現段階での各部被害状況と復旧の進捗具合を報告せよ」
発令所に戻ったルナン・クレール艦長は、これまでムーア少佐が専有していた艦長席に腰をかけ、各部署の長を呼び寄せてその周囲に立たせたまま自分が正式にムーア艦長の任に就いたことを表明した。
艦内で今一番の年長者となった機関部主任である安井技術大尉を始めとして、甲板班長クラーク少尉。整備班班長ヤンセン技術中尉。航法担当士官ヴェルトラン准尉。そして保安部兼観測班班長のスナール准尉の五名が後継の新艦長を取り巻いている。
「こういう事態での後任ご苦労様です。ルナン・クレール艦長に申告します。我ら五名をはじめ、乗組員九三名。いかなる事態にも復命、忠誠を誓いますことを表明いたします。以後、なんなりとご命令を」と、安井がその場に居合わす全員を代表して敬礼。他の四名もそれに合わせて敬礼を送った。決まりきった常套文句ではあったが儀式としての意味合いは強い。
ルナンはすぐには返礼せずに艦長席から降り、腰に手を置いた姿勢でほんの数十分前まで、同僚、先輩、または友人として気さくに接して航海を共にしていた仲間たちを一様に見つめてから
「よろしく頼む諸君」と言ってから敬礼を返した。
その後は順を追って各担当部の責任者からの報告を受ける段になった。
○機関部―原子炉への直接的なダメージは無いが、周辺機器とりわけ冷却剤の循環機構が不調を来たしており、通常エンジンの全力噴射は三分が可能なのだが、現況においては一回、三〇秒が限界との事。
○甲板部―姿勢制御スラスターの油圧系統は復帰。爆沈の影響による『ルカン』の不規則な回転運動は補正。安定した状態にある。各部の気密状態はクリアー。ただ船首部の損傷が激しい。第三砲塔、ミサイル発射管の二番、四番が使用不可。他、レーダーサイト、赤外線レーザー観測装置が修理中。あと数時間を有す。
○航法担当からは、現在『ルカン』は火星の公転軌道上に位置する小惑星集積ポイント”前方トロヤ群”を左舷側に望む位置に設定されていた実験宙域から小惑星帯方面、外惑星軌道へと漂流中であるとの報告があった。あと四八時間以内にメインエンジンによる軌道修正と進路変更を行わなければ自力航行での帰還は困難となる。
○整備班は現在、メンバー総出で甲板部、機関部の乗組員と共に艦内各部での復旧作業に尽力中。ただ一部に問題が発生しているとの報告が。
「あの三体のドローンが”だだ”をこねとるんですわ」と、班長のヤンセン技術中尉が短く刈り上げた赤茶の頭髪を掻きながら眉間にしわを寄せ溜め息をついている。がっしりとした体躯で実直そうな四角い顔が印象的な男だ。
「ケイト・シャンブラー教授の持ち込んだ”お連れ”か?この忙しい時に何だって言うんだ!」と、ルナンは険しい表情をヤンセンに向けた。
「シャンブラー博士が『ジャン』と呼んでいる奴がですね「船外へ出せ」と「何かいる」と言うんですわ。いやまったく、こっちはどうしたもんか困っとります。現在シャンブラー博士に格納庫においでいただいて宥めておる次第で」まだ三〇代にしては年寄り臭い物言いが癖になっているヤンセンが報告を終えた。
「後でオレも行く!」とつい声を荒げて感情的に吐き捨てるルナン。
いきなり艦長の重責を担うこととなり、艦の復旧作業に頭を悩める。この事だけでも大変なプレッシャーであるのに加え旗艦『モンテヴィエ』には見捨てられたと言っていい状況にある。更にアクティヴドローンが騒ぎを起こす始末。そして未だに正体が掴めない存在は確実にこちらを狙っている。止めにルナンの胸中で不快なの澱ように留まっている秘匿命令『KーⅣ』。
ルナンは当直前のやり取りもあって、勝ち誇るケイト・シャンブラーの姿が脳裏に浮かび神経が逆撫でされる思いだった。
「保安部より報告いたしますクレール艦長。現在、艦内における死者、行方不明者は艦長と坂崎一等兵曹の二名のみ。各部署における負傷者は六名。いずれも軽傷です。後、観測班の責任者は自分が引き継ぎます」と最後の報告者であるアメリア・スナール准尉が両手を後ろに組んで、両足を肩幅までに開いた姿勢で現況報告を終えた。
ルナンはほっと一息ついて
「ムーア艦長、坂崎一等兵曹、そしてアレン大尉と『ダ・カール』の乗組員は誠に残念であったが、不幸中の幸いか、本艦での人的被害が最小であったのは喜ばしい。正直、あと数名はお弔いを出さねばならないと覚悟していたくらいだった」と言った後、険しかった表情をいくらか和らげたが、未だピリピリとした緊張感を周囲にまとっていた。
それを悟ってか、おずおずとアメリアが観測班の追加報告を始めた。
「こちらのジョンスン二等兵曹なんですが、彼が、また不可思議なことを言っておりまして」
ルナンはジョンスンの名前を聞いて、先刻、今は完全に破壊されて封鎖状態となった展望艦橋での問題児ぶりを思い起こし首をうな垂れて
「今度は何かね?」とアメリアに問うた。
「『ダ・カール』事故の際に何か不思議な現象を捉えたと言うのです。彼の報告によれば被害にあった『ダ・カール』のほぼ数キロしか離れていない宙域に正確な五角形”ペンタゴン”を描いたまま移動するデブリを発見したとの事ですが」とアメリア。
ルナンの視線の先で当のジョンスンは発令所の船主側通用口にすぐ脇に設けられている専用ブース内で何やら必死にモニターにかじりついている様子が窺えた。
「何をやっているのか!この非常時に。自分の先輩が被害にあっていると言うに。ジョンスンに言え! 余計なデブリの観測よりも見えない敵からの攻撃に備えろと!」
ルナンはジョンスンのマイペースな行動に苛立ち、ついカッとなって報告者のアメリアに怒声を浴びせてしまってから口を噤んだ。
「敵ですか?攻撃ってどういうことでしょうか?」ルナンが発してしまった不用意な発言の言葉尻を捉えた航法担当のジュディ・ベルトラン准尉が、ルナンよりも小柄で女性的な丸みを帯びた体を一歩前へ繰り出して詰め寄った。
装備服姿でも彼女の尻と胸は大きくせり上がっている。三十路前で二児の母親でもある。皆は彼女のことを親愛を込めて”ジュディ・ママ”と呼んでいる。
ヴェルトラン准尉の発言を期に発令所全体の空気が張り詰めたようになり、班長連以外の部署で仕事に従事しているスタッフ各々の動きが一瞬固まったかのようにルナンには感じられた。彼女は航法担当士官と視線を合わせないようにして艦長席に座りなおしてから
「単なる可能性にすぎない。私の個人的な見解と予想に基づくものだ。忘れて欲しいジュディ・ママ」とだけ言うと全員に解散を命じた。
しかし班長たちのうち何名かは、まだ何か言いたげにその場に留まっている。安井技術大尉が口を開く。
「出来れば艦長、コードルームでどんな命令を受領したのかお聞かせ願えませんか?」次に発言したのが甲板部のクラーク少尉。
「『モンテヴィエ』との連絡は付けられませんか? 邂逅して連携行動をとったほうが宜しいかと思いますが」
そして、不安そうな表情を隠しきれないヴェルトランが未だに食い下がって
「無事に帰れるのでしょうか?」と発令所に限らず、この船に乗り組んでいるスタッフ全員の一番の関心事をズバリと尋ねて来た。
ルナンは意見具申してくる面々に、今にも爆発しそうで何もかも投げ出したくなっている自分の心の奥底を見透かされないよう、あくまで無表情を装い、自分専用のモニターから目を離さずに静かに言い放った。
「……持ち場に戻れ!」と。更に続けて
「貴官ら班長たちに限らず、ここに居合わす全員に申し渡す! この船はテーマパークの遊覧船ではない。れっきとした軍用艦である! 諸君らは軍務にある以上規律ある行動を期待する。こんな基本中の基本を私の口から言わせないで欲しいものだ」と結んでから、アメリア・スナール准尉に視線を移し
「スナール准尉、保安部全員に銃の携帯、及び突入隊装備を許可する。艦内に不穏な動きがあり私が反乱と認めた場合は容赦なくこれを討て」と命じた。
アメリアは無言で威を正し了承の意志を示した。
次にルナンは席を離れる際ヤンセンに指で合図した。彼は自然に艦長の二、三歩先に陣取って悶着を起こしているドローンの下へと先導を始めた。
アメリアが格納庫に移動を開始したルナンの脇に寄りそうように付き従って
「これを」と革製のホルダーに収められた拳銃を差し出した。
「オレがこんな物をぶら下げていても、いざという時当たりはせんと思うが?」と腰に巻きつけながらアメリアに笑いかけるが、彼女の方はルナンと目を合わせず自分たちが向う先しか見ようとしなかった。
これ以降は誰も口を開かず、三人は船内の下層部にある格納庫に通ずるエレヴェーターの方向に歩を進めた。
その僅か十数メートルの間に、ルナンの耳には発令所内に詰めている各々の
「あの人で、いいのか?」、「任せて大丈夫なのか?」、「何が起きているのか検討がつかない?」といった不安と焦燥に満ちた囁きが飛び込んでくる。そう聞こえただけなのかもしれない。彼女は努めて平静を装った。
ただ毅然としたリーダーであろうと意識すればするほど、口の中が乾きネバネバとして不快であった。首下は常に汗ばみ、自分の手が震えてはいないか気になり始めていた。
(クソッ! 帰れますか?だと。こっちが知りたいよ!)と叫びたい衝動を抑えながらルナンは発令所を後にした。
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