もののふの星

火星のジャンヌ・ダルク ルナン・クレール伝 Vol.1
梶 一誠
梶 一誠

第四話 封印された地球

公開日時: 2021年9月26日(日) 06:20
更新日時: 2021年10月10日(日) 16:10
文字数:6,892

第四話です。冒頭の爆沈事件の少し前、ルナンらの艦隊に何やら不祥事が続出して怪しい雰囲気が生まれます。そして後半では今現在の地球の姿も現れるのです。

 フリゲート艦『ルカン』が漂流を始める二時間ほど前。

 ルナン・クレール中尉は不本意な結果に終わった模擬戦闘訓練の雪辱に挑んだ試験評価への訓示、いわゆる”こきおろし”の壇上にあった。

 初老を迎えた艦長アレクセイ・ムーア少佐はがっちりとした体格で年代の割には精力的に見える。体躯に見合う大きな顔の下半分は無精ひげに覆われていて、いかにも剛毛そうに見える頭髪には年相応な白い物がちらほら見え始めていた。

 彼は発令所の艦尾側に通ずる気密ハッチのすぐ脇に鎮座し、艦長席向けアームレストの先端から伸びる専用の液晶パネル上に表示されている試験結果とその録画映像に目を通しては嘆息をつく度、首を小刻みに振って見せた。

「貴官にはもう少しコスト意識を持ってもらいたい。中身は模擬弾だが構造そのものは通常とは変わらんのだぞ。四本分で君の俸給まるまる一年分が吹っ飛ぶ!それをまぁ……」

 上官からのありがたい指南といえば聞こえはいいが、要は厭味な繰り言と何ら変わりはない。艦長の眼前で直立するルナンは外面では平静を装うものの、やや口をへの字にしていた。

「聞いておるか?」

「ハッ! 以後、留意いたします。艦長殿」と、判で押したような機械的な応対しかしないルナンを艦長は見ようともせず今一つ嘆息をつくと

「殿は余計だ。それよりクレール中尉、『シュルクーフ』に関する報告を……。」

 ルナンは上司の関心が他に転じた事に胸中では安堵したが、それを悟られまいと意識的に淡々と、つい先刻発生した僚艦のトラブルについての現状報告を始めた。

「はい。あまり安心できる状況ともいい難くあります。現時刻より一時間前……」

 ルナン・クレール中尉が仮眠休憩をとった後、仕切り直しで都合三度目の対アクティヴ・ドローンとの模擬戦闘が行われた。

その結果『ルカン』の戦果が撃墜一回、に対して船体に”攻撃完了”を意味する×印をデカイ赤チョークでカニ型のドローンにマーキングされたのが四回。今日こそはと挑んだルナンにすれば、本日もいい所無しの惨敗に喫してから、すぐに艦隊に問題が発生したのだった。

 試験航海に編成された艦艇はルナンらが乗り組む『ルカン』を旗艦として、ほぼ同級のフリゲート艦が三隻。

『ダ・カール』、『モンテヴィエ』そして今回不慮の事故に見舞われた『シュルクーフ』であった。この内実際に模擬戦闘実験に参加しているのは『ルカン』と『ダ・カール』の二隻のみ。他は一定の距離を隔てて周辺宙域を遊弋ゆうよく。盛んに偵察用ポッド・ドローンを散開させ監視体制にあった。


 問題は旗艦から一〇〇キロメートル離れた宙域で、哨戒任務に当たっていた『シュルクーフ』が、ごく稀な存在である亜光速に匹敵するスピードで宇宙空間を飛翔してきたスペースデブリと推定される物体との衝突事故を起こした事にあった。

 被害は甚大。問題の飛翔体はほんのゴルフボール大と目されたが、幾何級に及ぶ運動エネルギーの所以ゆえんなのか、レーダーと光学センサー監視網を潜り抜けた小さな石礫いしつぶては見事に『シュルクーフ』の心臓部、原子炉区画付近を直撃した。

 最悪の事態である炉心融解による壊滅的被害は免れたが、三基のタービンの内二基が使用不可。残り一基と予備用プロトンイオンバッテリーによって何とか艦内需要電力の二五パーセントを維持しているとのこと。被害を受けた艦からの報告を読み上げるルナンには、これでは生命維持装置と航法管制機能を機能させるのに手一杯であろうことを追加した上で

「死傷者数は一七名。まだ上がるかもしれません。現在『シュルクーフ』は帰還軌道にのり、本国の軌道要塞『ヴェルダン』に向けて自力航行中であります」と、報告を締めくくった。

 ムーア艦長は体内の不穏なものを吐き出すようなまたしても嘆息をついて

「辿り着けそうか?」と問う。

「まだ、なんとも。あと二日はかかるでしょう。あの艦長、よろしいでしょうか?」ルナンは自分の不穏な予測を述べた後に、この航海が始まった当初から持ち続けてきた疑問を艦長にぶつけてみた。

「何か!」艦長はここで初めて部下の女性下士官を睨むような視線で視界に収めた。

 好意的とは言いがたい艦長の視線の先、ルナンの出で立ちは、首の部位まで体にフィットした、宇宙服着用の際に生命維持機能等を補完させる、一般には”装備服”と言われるライトグレー色のツナギ式の制服を着込んでいる。その上半身には青灰色のダブルタイプのリーファージャケットと同系色のパンツ。 狭い艦内でも動きやすいように全体的にタイトで裾が短い。袖口の金色の2本のストライプが中尉の階級を示していた。頭部にはジャケットと同色の略帽。

彼女は背後で手を組んだ直立不動の姿勢のまま、艦長用制服と白帽の上官に口を開いた。

「今回の艦隊編成についてであります。単なる試験運用実験にしてはいささか物々しいのでは? この『ルカン』以外は実包を装備。まるで海賊船団を掃討する陣容ではありませんか?当初では僚艦は『ダ・カール』のみ。作戦宙域も我が領内。二日前にはいきなり編制変え。更にこんな辺鄙へんぴな前方トロヤ群宙域まで来る必要性があるとは小官にはどうしても思えないのであります」

 ムーア艦長は視線をルナンに向けながらも無言で顎の無精ひげを、右手の甲でしきりに擦っている。

「被害にあった『シュルクーフ』と『モンテヴィエ』はしきりに索敵ドローンを飛ばしております。何を捜しているのですか?こちらの広域索敵レーダー、赤外線センサーは敵対勢力の存在を感知しておりません。今回の試験航海には何か別の意図があるのでは?」

 しばしの間、二人の頭上を発令所に詰めている各担当スタッフの会話の端々、プリンター或いは、PCから繰り出される単調な機械音が飛び交っている。

 ムーア少佐は口の端にうっすら笑みを浮かべると

「もし、仮に何らかの意図があるにせよ貴官には明かせない場合がある。情報開示優先度に関する事例だ。知っているな?」と言った後、更にこう付け加えるとおざなりに取り合うことを終えた。

「まぁ、今回の急な編制変えはそんな優先度に抵触する案件ではない。あれだ、上の連中も遊んでいる船と乗員を出さないように苦慮してのことだ。それに、今回クルーの年齢比率の三〇パーセント以上が一〇代のヒヨッコばかりと言うありさまだ。この連中に対する遠洋航宙の訓練も兼ねている。他に意図はない」

「はぁ……ありがとうございます」と言いつつもルナンは未だ釈然としないが、自分にとっても未だ曖昧模糊あいまいもことしていてる事柄を上官に披見するわけにも行かず、ここは辞去せんとした時。

 「艦長、『ダ・カール』との空間座標固定が完了。シンクロ率八五パーセントで本艦、右舷側四〇〇メートルに遷移。連絡艇の発進準備完了と発着デッキより連絡有り。後はアレン大尉待ちとのことです」と航法担当スタッフから艦長に向けての報告があがってきた。

 この報告があってすぐに、ルナンのすぐ傍らにいつの間にか、装甲宇宙服を着込みヘルメットを小脇に抱えた当のアレン大尉が佇んでいるのに気がついた彼女は思わず後ずさった。

 まるで幽霊のように気配を消したままで近づかれると薄気味悪い。彼の容貌はこの船の副長でベテラン域に達する軍人と言うより、常に青白い顔色をしている不健康な哲学講師を連想させた。

 この陰険な目付きをメガネの奥で光らせている大尉をルナンは”腰巾着野郎”と呼んで嫌っていた。この艦に配属されて以来、彼は女性士官の存在を無視するばかりか、勤務上での連絡事項等を伝達せず、慌てふためく事態に陥ったことも一度や二度ではなかった。

 面と向って意見具申。対応の改善を要求しても、その時はおざなりに作り笑顔で応対するが事態が好転することは一向になかったのである。

 今回も、アレン大尉は傍で控えている部下を一瞥いちべつしようともせずに艦長に向かい

「では、行ってまいります。艦長」とだけ言うと敬礼。

「すまんが向こうの若造を補佐してやってくれ」と艦長も答礼。アレン大尉は踵を返し、連絡艇用の発着デッキへ向う通路を歩み始めた。

「アレン大尉はどちらに?」ルナンの問いに艦長は天井を仰いでやや自嘲気味に

「今日はトラブルの大安売りだよ。『シュルクーフ』といい『ダ・カール』といい全く。先刻、あちらの艦長スライデン大尉が急病との連絡が入った。急性心筋梗塞らしい。当然ながらこれ以上の勤務は無理だし、向こうの次席は新任少尉ときている。ほんの若造さ。やっこさんには荷が勝ちすぎると判断して、アレン大尉に代理の艦長を担ってもらうことにしたのだよ」と言うなり疲れたように肩を落とすと、今度は両手で自分の顔を擦り始めた。

「たった四隻の艦隊とはいえ、この『ルカン』が旗艦。ということは不肖、この私が艦隊司令を拝命したわけだが、気苦労が絶えん……」

「はぁ、副長でしたら適任であろうかと……」とルナンはとぼけた表情のまま挨拶程度の敬礼。自分の部署である砲術士官ブースに戻ろうとしたが

「どこに行く?まだ話はすんどらん」と、見事に足止めされた。

「これより、展望艦橋に上がる。貴官も来い! 次席のアレン大尉が離艦するのだ。今後不測の事態によって、私の身に何かあれば艦の指揮権は貴官が引き継ぐことになる。機関長の安井君も大尉だが技官待遇だ。海軍規定では士官学校、普通課卒の貴官のほうが優先度は高いのだ。指揮官としての心構えを叩き込んでやる!」艦長はその大柄の体躯を揺するようにして展望艦橋の真下となるエアロックへ向った。

 「あの艦長、少々お時間をいただけませんか?」と、彼の大きな背中に向けて声を掛けたのはケイト・シャンブラー博士だった。彼女はすれ違いざまにルナンへと冷たい視線を送るのみ。濃いグリーンのビジネススーツにタイトスカートの出で立ち、白のワイシャツのボタンが弾き飛ばされんばかりの巨乳を揺らして足早に駆け寄っていく。

 ルナンは傍から見ても不機嫌そうな渋面のまま、火器管制ブースに戻り、上着をその卓上に放り投げた。そのちょうど背中合わせになる部署で観測員当直に就いているアメリアと目が合った。彼女はルナンに何事か艦長に告げんと取りすがるケイトの方に顎を向け

「ちゃんとケイトに詫び入れたんか?」と、言った。

「……まだだよ」ぶっきらぼうに答えるルナン。

 アメリアは両肩をすぼめてから、軽く嘆息を。そしてケイトと艦長の様子に目を凝らした。

「ちゃんと仲直りしておけよ。……ケイトは親父に何を話しているんだ?『シュルクーフ』の一件以来おどおどしているみたいだけども」

 ルナンもどこか怯えたように小さく屈めたケイトの背中越しに、艦長が笑顔のままで『大丈夫です。ご心配には及びませんよ』と唇が動くのを捉えていた。


「知らん!うっ……」

 ケイトは色よい返事がもらえなかったのか、少し落胆の面持ちで振り返るやちょうどルナンと目が鉢合わせに。彼女は眉間に皺を寄せながらプイッと横を向くと自分に宛がわれたブースへと向かった。

 フン!と同じように鼻を鳴らしたルナンは、卓上モニターに引っ掛けてあった通信機内蔵している頭巾状のヘッドギアを被ると艦長の後を追った。


 「オイッ!お前は当直中に何を監視してたがったんだよ!いやだぞ、お前に付き合って始末書を書かされるハメになるのはぁ!」

 ルナンが展望艦橋に上がった直後に見た光景。レーダー監視担当の坂崎一等兵曹が後輩のジョンスン二等兵曹をこのように絞り上げている様子だった。

 展望艦橋、名前こそ艦橋とされているが、若干の観測機器と直接、船外の宇宙空間を視認できる言うなれば監視所の名称が妥当な、四名分の座席スペースしか設けられていない手狭な部署では、先着していたムーア艦長の他はこの二名のみ。

 艦長は眼前の部下二人の悶着には全く我関せずの態でモニター画面に釘付けのご様子。なので代わってルナンが話を聞いてやることになった。

「見てください!これっ。事故を起こした『シュルクーフ』の監視動画も写真すら残してないんですよ!こいつはぁ」と坂崎が後輩の黒人青年を叱責する。

 ルナンが観測員ブース、ジョンスンがその大きな体躯を窮屈そうに収めている卓上モニターを見てみると、そこにはある特定の画像が埋め尽くしていた。

「これは……地球か? ジョンスン、これは規定違反だぞ!しっかし、何でこんなに念入りに。地球の画像なんかどうするつもりだっ

た?」

「中尉殿、こいつは天体観測マニアなんですよ。海軍に入った理由もタダで天体観測し放題だってことらしいですから。なぁジョンスン君?」先輩の言葉を受けたジョンスンが、自分が問題の種をまいたにも関わらず間延びした調子で

「あのぉ、邦城くにじろの中から天体観測するには一旦、地下に潜って外側が見える”観測所”に行くしかねえです。しかも許可申請しねえとそこに入れねえっすから。入隊して船に乗ったらすぐに宇宙だなってそう思ったもんでぇー」となんとも嬉しそうに話し始めた。


「バカヤロ!そんな事、聞いてるんじゃないの!いいか、海軍は貴様の趣味のために高い俸給を払っているわけじゃない! 艦隊内で事故が生じた場合、付近の僚艦が船外からの状況画像を最低五枚、報告書に添付せにゃならんのに。お前、一枚も残していないだろうが!」坂崎が捲し立てている横で、ルナンも相槌をうった。

「どうしましょう?クレール中尉どのぉー」

 部下に泣きつかれたルナンがどう対処したものか思案し始めたとたん、背後から艦長のワザとらしい大きな咳払いが聞こえてきた。彼女らがゆっくり背後を振り返るとただでさえ厳しい面構えの艦長が、更に仏頂面でこちらをにらんでいるではないか。

 この展望艦橋は、船外を直接視認可能な厚さ数センチに及ぶ特殊強化ガラス製キャノピーの向こう側は完全な宇宙空間。故にここで当直勤務に当たる者は宇宙服着用たるA装備で臨む規則となっているが、この艦の”親父”であるムーア少佐のみがヘルメットを着用せずヒゲ面のをさらしていた。

 この人物に規定違反ですと抗議できる人物はいなかったし、できる空気でもなかった。

 三人は顔を見合わせた。武骨なヘルメットにはギリシャ神話の一つ目怪物サイクロプスを彷彿させるモノアイ式カメラが装備されている。彼女らはこのカメラ越しに互いの姿を確認しているが、そのヘルメットの内側では、互いの生の表情を的確に映し出している。

 これは”ダイレクト・ヴューア”と呼ばれる宇宙服専用ヘルメットの内蔵システムであり、互いのヘルメット内での表情を読み取り、その画像を内側のシートタイプのディスプレイに投影する技術で、普通ならヘルメット越しでは伺い知ることができない相手の表情が視認可能となって、船外活動でのコミュニケーションを円滑に進めるのに役立つのだ。

 今、ルナンの眼前のヘルメット内のヴューアには右半分に、東洋系坂崎の細面が。左半分にはアフリカ系でつぶれたような低い鼻の容貌をもつジョンスンが白い歯を浮かべている。

「笑ってるんじゃねえぞ!どういうつもりだぁ」と右半分を占める東洋系の若者が目を吊り上げている。

「す、すみません。つい夢中になっちゃいまして。自分の監視中に地球を包んでいるあのデブリストームに穴が開いてそこから、宇宙船らしき物体が射出される瞬間が見られるかもしれないと思うと。つい」ジョンスンが左半分で反省する様子も無く応じている。

「都市伝説だよ!それは。まったく、そんな物に時間かけやがってぇ。お前の記録で報告書を作成せにゃならんこっちの立場を考えろってぇの。中尉ぃー、何とか言ってやってくださいよぉ」と坂崎。

 ルナンの眼前では二人の表情が左右で頻繁に変化していく。そこへまた背後から大げさな咳払い。

「とにかく当直交代だ。いいかジョンスン、まず……」

 ルナンはジョンスンにアレン大尉を通じて『ダ・カール』から『シュルクーフ』の画像を分けてもらえるよう手配しろと指示を与えると、さっさと交代を促した。

 これを合図に、坂崎は手で振り払うようにして後輩の黒人青年を観測ブースを空けさせた。立ち上がった彼は2メートル近い身長を少し折り曲げるようにしてのっそり歩き始めた。艦長用シートすぐ脇の床面にある気密ハッチを開け、一度艦長に敬礼してから下の気密室に降りていった。

 後輩がこの場を去った後に坂崎兵曹は、交代したブース内で腕組み。残された画像の数々を眺めながら

「困った奴です。決して悪い人間じゃないんですが……」とルナンに溜め息まじりに呟いた。

 ルナンも坂崎とジョンスンの残していった当直の成果に見入った。そこには、火星移民の末裔たる彼女達の先祖並びに全ての人類の故郷の惑星が映し出されていた。

 ただ、その碧く美しい闇に浮かぶ太陽系のオアシスたる地球は、この時代においては一種異様な姿に変貌していた。それは何やら白いヴェールをまとったと言うか、宇宙に発生する霧にすっぽりと惑星全体が包まれているそんな印象を与える姿になっていた。時折、角度が変わるとその靄状のヴェールが太陽光を乱反射させて、ぼんやり白っぽく滲んで輝くのだった。

 ルナンは独り言を呟いた。

「封印された地球か…」と。


靄状のヴェールに包まれてしまっている地球の姿。何故こうなってしまったのかは次回明らかになります。第三話では『百家の災厄』に関してでしたが、次回はもう一つの大事件を中心にお話が進む予定であります。

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