翌朝、エイダはエリヌスの身なりを整えながら考える。自身に何ができるのかを。
今までであっても、主人であるエリヌスのためならば、その身を捨てる覚悟くらいできていた。
万一暴漢に襲われたとして、万一暗殺者に狙われたとして……。
それら全てを制圧できるほどの魔力(チカラ)と、身代わりになるための術も磨いてきたのだ。
だが、今回の件に関して、それらは意味をなすだろうか。
今回相手取らなければならないのは、強力なスキルを持つヴァイスが相手なのだ。
存在を感知できない、それはつまり、先手を打って相手を攻撃することも、相手の攻撃から対象を守ることも、非常に困難だということだ。
その不利を嫌というほど彼女は実感していた。だからこそ彼女は、今までも手をこまねいていた。
だからこそ対処のために、彼女は正良を頼る他なかったのだ。
だがそれは、今回も不発に終わった。正良の答えは、またしても「様子見」だったのだ。
長くたおやかな金色の髪をときながら、この大切な時間を奪われぬよう、どう立ち回るべきか……。
静かに流れる朝の時間、真剣な眼差しのメイドは、粛々とその考えを脳内でまとめているのだった。
対して髪をとかれている少女は、まだ眠たそうな眼差しで、小さく浮かんだあくびを手で押さえながら、そのメイドに話しかける。
「なんだか最近、異様に眠たくなることがありますのよねぇ……。
昨夜も地下室へ行くつもりでしたのに、いつの間にか眠ってしまっていましたし」
その言葉に、眠気の原因であるメイドは髪をとく手を緩める。
勘の良いエリヌスであれば、原因に気づいたかもしれないと頭をよぎったのだ。
だがそこで狼狽えれば、自白したようなもの。いつもと変わらぬ、優秀なメイドのそぶりを崩さず、落ち着いた声色で彼女は返事を返した。
「お嬢様ご自身も気づかぬうちに、お疲れになっているのではないでしょうか」
「そうかしら? 別にしていることは、普段と変わらないと思うのだけど……」
「お身体の疲れではなく、お心の疲れかもしれません。
昨日のお昼もオズナ王子とご一緒でしたし、気疲れもございますでしょう」
「あぁ……、それね……。確かにそうかもしれませんわね。
ずっと離れ離れだったとはいえ、昔から知っている仲ですし、気を使っているつもりはありませんけれど……。
けれどやっぱり昔と違って、無邪気ではいられませんものね」
「はい。ご当主様からのご期待もありますゆえ、知らず知らずのうちに疲れが溜まっているのかと……」
「そうなのよね。お母様が口うるさいからオズナ王子と昼食をとりますけれど、それがなければ前みたいに気の置けない方達とご一緒しますのに……。
あなただって、お昼を一人で過ごすのは嫌でしょう? むしろ、あなたがいてくれた方が気が楽ですわ」
「お二人の邪魔にならぬよう、メイドとして配慮するのが妥当かと思われます」
「お互い本心を知っていても、建前を通さないといけないのは辛いところね。
オズナ王子だって、セイラが居るのだから早く許嫁を解消してくださればいいのに……」
「婚約に至っていないとはいえ、そのような行動は取りずらいのかと思われます」
「はぁ……。ホント貴族間のしがらみって、窮屈よねぇ……」
「しかし、彼からも役を演じるようにと言われておりますれば、多少の窮屈さは受け入れるほかないかと」
「まーったく! アイツってば、自分が平民で自由だからって、私にばかり面倒を押し付けないでいただきたいですわっ!
今夜、ゴム弾の射撃練習の的にして差し上げましょうかしらね!」
「ふふっ……。イジめるのは、表舞台だけで十分かと」
「それじゃあ、今度の体育で、ソフトボールの的になっていただきますわ!
都合のいいことに、球技大会の試合は私がピッチャーで、彼がキャッチャーに選ばれましたもの!」
「狙いすまされた暴投、まさに悪役と呼ぶに相応しい行動かと」
「でしょう!? うん、ちょっと楽しみになってきましたわ!」
眠気も飛び、冗談を口にするエリヌス。その姿は、母親に期待される未来の王妃でも、自称異世界人の言う悪役令嬢でもなく、ただ一人の少しひねくれた少女でしかなかった。
ずっとこうして楽しそうな日々を送らせてやりたい。そう願うメイドは、自身の無力さを再びかみしめる。
「それはともかく、今日もオズナ王子の相手をしなければいけないのよねぇ……。
それもセイラへの嫌がらせもしながら。もう! あの二人が一緒に過ごしていただくのが、一番納まりがいいですのに!」
「心中お察しいたします」
「私とオズナ王子との二人きりを邪魔しないようにって、みんな距離を置くのよ?
もうそんなの、無駄話のネタも尽きるってものじゃありませんの!
昨日だって、天気と授業の話くらいしかしてませんわよ!? 気まずすぎますわ!」
「せめて、共通のご友人がいらっしゃればよいのですが……」
「ですわよねぇ……。そういえば昨日のお昼休み、中庭で昼食を取ろうと二人で移動してましたのよ。
そのときミー先輩を見かけたのですけれど、先輩ったら深々とお辞儀して、逃げるように走っていきましたのよね」
「オズナ王子がいらっしゃったので、緊張されたのではないでしょうか」
「まあ、そうだとは思いますけれど……。先輩が居らっしゃれば、もう少し楽しい昼食になりましたのに」
はぁ……。と小さくため息をつくエリヌスは、すでに今日の昼休みを憂いているようだった。
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