ヴァイスとの約束の場所へ赴けば、まだ明るい空の下に、暗い表情の彼がいた。
それにはさすがの私もびっくりするよね。暗い顔かどうかじゃなく、あのヴァイスが姿を見せていたってことに!
「おまたせ」
「なんだ、早かったじゃねえか」
声を掛ける私に対して、ヴァイスは少々疲れ気味な雰囲気のある声で返す。ああ、こりゃ重症だわ……。
どうせ一人で反省会でもして、晒しあげたダメダメ失態を思い出して、一人ネガティブの沼にハマってたんでしょうね。
なんでわかるかって? 私も寝る前とかだいたいそんなだからよ!
ま、そういう時に必要なのは、時間でも優しい言葉でもなく……、美味しい食べ物よ!
「はいこれ」
「ん? なんだ?」
腕に抱かれたエージェントNがヨダレを垂らしながら抱きしめている、セイラさんに渡された紙袋を彼の前に差し出した。
その中には、エージェントNのごはんであるソーセージと共に、いつも通り売れ残りや失敗作と称した、私への手土産のパンも入っている。実際はそれ用に焼いてくれてる気がするけど、そこはお互い触れない約束よ。
「反省会するにもまずは腹ごしらえ。考えるのはそれからよ」
「なんで俺がお前に恵んでもらわなならんのか」
「腹が減ってはなんとやらって言うでしょ。ま、いらないってんなら私とエージェントたちで食べるけど」
「いらねえとは言ってねえ」
ひったくるように紙袋を奪い、ガサガサと選びもせず取り出せば、ヴァイスはパンを一口で口に放り込んだ。まったく、減らず口叩かず素直にもらっておけばいいものを……。
なんて思いつつも私はエージェントNにソーセージを一本あげ、形がいびつなメロンパンを一口かじる。
さくっとした歯ざわりのあと、甘い香りが口いっぱいに広がり、幸せな一瞬が訪れる。さすがカノさんの店で一番人気なだけはある。
そういえば、メロンパンもソーセージロールも、セイラさん発案のパンだって言ってたっけ。
あの子、愛想もなければ方向音痴だけど、そういうアイディアはいっぱい持ってるのね。
いつも口数少ないけど、言わないだけでいろんなことを考えているのかもしれないなぁ。
「ごっそうさん」
「はやっ!?」
物思いに耽っていれば、ヴァイスはすでにパンを食べ終えていた。
いやいや、人気店のパンですよ!? それ相応に味わって食べて欲しいんですけど!?
あまりの早さに、エージェントNもあきれ顔で見てるよ!?
「早食いしなくたって……」
「メシなんざ腹が膨れればそれでいいんだよ」
「そうですか」
「それよりもだ、ソイツに聞きてえことがあんだよ」
「え? エージェントNに?」
「その名前にもツッコミを入れたいところではあるが、本筋じゃねえから置いておこう。
コイツが言ってたんだろ? ちょっと前に、工場の張り込み中に変わった匂いがしたってよ」
「ああ、そんなこともあったっけ?」
「ったくお前は……」
ため息まじりに言いながら、ヴァイスは私から紙袋を奪い、パンをさらに追加で齧っている。
まったく、欲しいなら欲しいと言えばいいのに……。
「おいそこのネコ、詳しく聞かせろ」
『まったく、失礼な輩にごぜえやすな』
「えっ?」
丸ごとのソーセージを両手で抑え、噛みちぎりながらエージェントNは答える。
って、この子ヴァイスとも話せるの!?
『あっしの鼻を信用してのことでごぜえやしょうが、この若造には少々口の利き方というものを……』
「待って待って! 一応これで、私に仕事依頼した人だからね!?」
「おい、一人で何言ってんだ?」
「へっ!?」
『お嬢、心配いりやせんぜ。どれほどあっしが小僧のことを貶したとして、こやつにはあっしらの言葉はわかりますまい。
時折理解できる人間はいるものの、それは自称猫好きという、あっしらへの観察眼を常に光らせている者のみ。
こやつのように、相手を道具としか見ていない者に、他者の微少な心の動きなど読めるはずもありますまい』
「ボロクソ言うやん……」
「何がボロクソだって?」
「いっ、いえいえ! なんでもないでーす!」
「誤魔化し方が壊滅的にヘタだな」
私だけが二人(正確には一人と一匹)の言っていることがわかるという状況。状況だけを言葉にすればシンプルなのに、すごい混乱するんですけど!?
と、ともかくだ、この毒舌猫さんのお話をお伝えいたしますのは、非常にマズいのです。なので適当に誤魔化すしかないわけです。
「聞きたいのは見知らぬにおいがしたって話だったよね!?」
「なに焦ってんだよ」
「なにも焦ってませんけど!? いたって平常運転ですけど!?」
『お嬢は、世の中の上手な立ち回りというものを覚えた方がよろしいかと』
「誰のせいだと……」
「話が進まねえな。なんでもいいから、その言ってた匂いってのがどんななのか聞いてくれ」
『仕方ありませんな。お嬢の依頼主ならば、あっしの依頼主でもありやしょう。
気に食わぬ小僧ではありやすが、協力させていただきやすとしましょう』
「一周回って、私だけ置いてけぼりにされた感じだわ……」
二人とも好き勝手言って、結局私が振り回されるいつものパターンね。通訳の人の苦労が身に染みるわ。
でもエージェントNはヴァイスの言っていることを理解しているみたいだし、双方向に通訳しないで済むというのは、多少楽なのかもしれないわ。
「えっと、たしかいつもと違うパンのにおいがしたんだよね?」
『ええ、そうでごぜえやす』
「それってどんななのか、説明できる?」
『ええ。そのパンのにおいというのが……。今まさにお嬢が食べているもののにおいにごぜえやす』
読み終わったら、ポイントを付けましょう!