「私は、今でもエリヌスを大切に思っている」
オズナ王子の寝所から出る時、ヴァイスは黒い笑みを浮かべていた。
彼は聞きたい言葉を引き出せて満足だったのだ。
そして王子の「居場所を奪われた」という考えを前提に問いかけることによって、それが事実であるかのように誘導したのだ。
「これであの邪魔なメイドも、終わりだな……」
くつくつとした笑い声と、コツコツと鳴る足音。
そして誰にも届かない彼の声は、静かな夜に響く。
「しっかし、あんな純真無垢で騙されやすい王子じゃ、一国民として心配だぜ。
王になった途端、速攻で国を滅ぼしそうだな」
誰にも聞かれないことをいいことに、不敬罪となりかねない独り言を呟きながら王宮を歩く。
そうしながら一日を思い返し、計画に向け大きく進んだ日であったとほくそ笑んだ。
「王子とセイラの顔合わせは成功。オヤジさんにも根回し済み。
エリーちゃんも、いい感じに突き放したようだな。まあ、当の王子はまだ未練たらたらだが……。
それは口車に乗せりゃ、なんとでもなるだろうさ」
現在時点においては、ほぼほぼ100点満点の進捗だ。
などと思いながらも、ここで手を止める男ではない。すぐに次の一手のため、彼は動き出す。
「さてさて、次のお便りは……」
少しばかり高いテンションで、制服の内ポケットへと手を伸ばす。
そこには、昼にカノの店で拝借してきた手紙が入っている。はずだった……。
「ん……? ない? まさか落としたか!?
いやまて、今までここに入れておいて落としたことなんて……」
上着の内ポケットなど、穴が開いていない限り物を落とすことはない。
とくに彼は、どれだけ暑くとも落としてはならない情報源を守るため、絶対に大丈夫な場所として、日々その隠し場所としてのポケットには気を使っていたのだ。
そんな安全地帯と思っていた場所から、重要な手紙が姿を消した。
彼は焦りのあまり、一瞬ふっと顔を青ざめさせる。だが、そのまま狼狽えるような人物でもなかった。
焦りを捨て去り、今日一日あった事をもう一度ぐるりと思い返す。
そしてその中でひとつ、手紙を失ったであろうタイミングを思い出したのだ。
それは、カノの店で出会った三人。その中で一人、彼の上着を触った人物が居た。
「あのメイド……。服を正すフリして、スリやがったな……」
苦虫を嚙み潰したような表情をしながら、情報屋はその場に居ないメイドを睨みつけた。
◆ ◇ ◆
「ドゥフフ……。いらっしゃい、待ってたでござ……。おや、これはめずらしい」
地下の秘密基地。じっとりとした空気の中、ヒロインと異世界人の顔を持つ男は、今夜も公爵令嬢を待っていた。
けれどそこに現れたのは、待ち人ではなく付き人だった。
「エイダ殿がこちらに来るとは、何か重大な事があったのでござるか?」
「いえ、少々お話をしたいと思いまして……」
「ほう、どうぞどうぞ席へ座ってくだされ。お茶でもお出しするでござるよ。
ところで、ご令嬢の姿が見えないでござるが……」
「お嬢様には聞かれたくないことですので、少々眠っていただきました」
「眠っていただいた?」
「ええ。眠りを誘うお香と、少々の魔法にて……」
「それはそれは……。少しばかり恐怖を抱く内容でござるよ。
おっと、それならバカみたいな喋り口調はしなくていいでござるな」
「バカみたいな……?」
カチャカチャと食器を鳴らしながら、電気ポットからお湯を注ぐセイラ。
その後ろ姿と、謎の道具による謎の作業を見ながら、エイダは立ち尽くす。
「ああ、椅子に座ってくれてかまわないんだよ。
メイドとはいえ、僕に遠慮することはないんだからさ」
「なんとも気持ち悪い、違和感がある喋り方ですね」
「人は誰しも、相手によって口調を変えるものだろう?
君だって、昔は普通の女の子としての喋り方だったじゃないか」
「なぜあなたは、私の昔を知っているのでしょう?」
「そりゃもちろん、この世界のことはゲームでも、小説でも一通り目を通しているからね。
君たちの過去も未来も知っているのが、僕の異世界人としての唯一のアドバンテージだよ」
「では、私の出生もご存知だと」
「もちろん」
「そうですか」
さほど言葉も交わしたことがない相手に、全てを知っていると言わんばかりの話をされる。
メイドとして完璧なポーカーフェイスを習得しているエイダであったため、表情にこそ出さなかったが、これほど居心地の悪い状況はそうないだろう。
だがそれは同時に、味方に付ければこれほど心強い人間はいない、そう思わせるにも十分だった。
「さ、どうぞ」
長机とパイプ椅子。無機質で異質な席へと誘われ、目の前に赤い湯気たつ紙コップに入った湯を差し出される。
もちろんそれらはエイダにとって見たことのないものばかりで、その中の液体すら得体の知れないものだと思い、手を付けるのをためらった。
「ああ、容器こそ異世界の物を再現しているけどね。中身はただの紅茶さ」
「平民が紅茶を手に入れられるとは、いつのまにこの国はそれほど豊かになったのでしょう」
「まあそれはさ、うん。知ってるものなら造れるスキルのおかげだし?」
「異世界人に持たせるには少々危険な、世界を根底から作り変えてしまうスキルですね」
「実際に世界とは言わずとも、未来は変えようとしているからね」
「…………」
本にある未来を回避する、そのために彼はここに居る。
それを思い出し、あるいはこれも神の悪戯かと少々頬を緩ませ、異質なコップを手に取った。
本当に香り高い、普通の紅茶だと味を楽しんだあと、ゆっくりとエイダはそれを飲み込む。
「それで、ご令嬢に聞かれたくない話とはなにかな?」
「こちらの件で、知っていることは無いかと」
すっと長机に手紙を置き、手を膝の上に戻す。
いつものようにかしこまった彼女は、座り姿勢さえも堅苦しい雰囲気を放っていた。
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