鉄の死神が使う杖。そこへ魔力を流し込んでも、杖は共鳴するどころか、うんともすんとも反応を見せなかった。
そりゃ、魔力適性が低い私のことだから、そんなたいそれた魔法が使えるとは思ってないよ? でも無反応ってのは、さすがにないんじゃない!?
『ちょこまかと鬱陶しい……』
歪んだ低い声と、けたたましく鳴り響く爆音。そして増えてゆく瓦の穴。
杖に反応がなくたって、早くなんとかしないとヴァイスが危ないというのは、彼の姿が見えなくたって理解できた。
「私が、やらなきゃ!」
全身の魔力を練り上げ、杖へと移す。それは熱く、鉄の杖を巡り、増幅されることなく、しかし減衰もなく天を仰ぐ一点へと収束する。
そして太陽の熱へ挑戦状を叩きつけるかのごとく、熱く燃え上がった。
「ファイアーボール!」
全力全開の炎の球のイメージが具現化し、私に背を向ける鉄の死神へと一直線に放たれた。
『なっ……!?』
振り返る鉄の死神。しかしそれは、既に目前へと迫っていた。
そうなるはずだった。私の魔力操作が成功していれば。
『…………』
「…………」
振り返る鉄の死神さえ、だらりと腕の力を抜いてしまうほどの光景。
私の放ったファイアーボールは、ひょろひょろと蛍のように小さな光を放ちながら、千鳥足の酔っ払いのごとく、ふらふらと宙を飛ぶ。
「えぇ……。なんで……」
『何のつもりだ?』
鉄の死神が革製で厚手のグローブで空を切れば、ヒョロヒョロの火の玉はあっさりと霧散した。
つまりこの杖は、私の魔法を増強してくれるような、便利グッズではなかったようだ。
「ちっ! 何やってんだバカ!
俺が時間稼いでやってんだ、さっさとそれもって逃げろ!」
ガッカリする私に対し、再び空気を凝縮して出てきたように現れたヴァイスのヤジが飛ぶ。
けれど、すでに鉄の死神は、ヴァイスではなく私に狙いを定めているようだった。
状況からすれば、鉄の死神を私とヴァイスで挟み撃ちにする様子。けれども私たちは、挟んでいても「撃つ」武器を持ち合わせていなかった。
『それはキミに扱える代物ではない。返してもらおうか』
歪む低い声と共に、先ほどから爆音を発する小さな杖の代わりらしきものを私に向ける死神。
ゆっくりと、しかし着実にこちらへと歩みを進める。
私はただ、その恐ろしいローブ姿を視界から外すことなく、震えながら後退りするしかなかった。
「お前の相手は俺だっ!」
『おっと、いいのかな? キミが一歩でも動けば、瓦の代わりに、彼女に穴が開くことになるが?』
鉄の死神が言葉を発した瞬間、ヴァイスの足は止まる。
ヴァイスの弱点を、彼は今までの一連の行動から理解したようだ。
「クソっ……!」
つまりそれは、私がただの足手まといにしかなっていないということ。私は、大きな勘違いをしていたんだ。
ヴァイスは、私に鉄の死神を捕まえることを望んでいたわけではなかった。
証拠品である杖を持って、邪魔にならないように逃げることを望んでいたんだ。
それを私は、捕まえないといけないと先走ってしまい、台無しにしたんだ……。
『さあ、返してもらおうか』
一歩、また一歩と鉄の死神は近づく。その分を開けるよう、私は震えながら後ろへと下がるしかなかった。
「もういい、杖を返してやれ……」
「でもっ……」
「所詮仕事だ、命を賭けるほどのことじゃねえ」
「…………」
『賢い選択だ。こちらも無用な殺生は望まない。
世界のために死すべき者以外の前に、死神(わたし)は現れない』
「…………。そんなの、間違ってる! どんな悪人だったとしても、人が人の命を選ぶなんて、そんなの間違ってるよ!」
私の叫びに、鉄の死神は歩みを止めた。しかしそれは、私を見逃すためではない。
『…………。間違っていたとしても、誰かがやらねばならない。必要ならば、すべての罪は私が被ろう』
小型の杖が収められた右手を、力を込めてぎゅっと握る。
革製の手袋が擦れる音が、このあとに起こるであろうことを告げているようだった。
「ちっ!」
その瞬間ヴァイスが駆け出す。同時に私は逃げようと、後ろへ倒れるように仰け反った。
しかし最悪なことに、私の背後に続いていたはずのオレンジ色の屋根は、すでに終点へと達していた。
「えっ……?」
「バカっ!」
ふわりと落ちる感覚。ただそれだけ。
なんのことはない。最期など、ただあっけなく、突然訪れるものなのだ。
なんていう本の中の台詞が頭をよぎる。
あおい空に浮かぶ雲、それが私の最期に見る光景だった。
そのはずだった。
恐怖に目をつむり、体をこわばらせる。
けれど地面は遥か彼方なのか、打ち付けられる感覚はいつまでたってもやってこない。
「…………。あれ?」
恐る恐る目を開き見たもの、それはあの、鉄の死神の仮面だった。
何があったのかと周囲を見渡せば、私は鉄の死神の右腕に抱かれ、空に浮いている。
これが鉄の死神の魔法? まさか空中に浮く、それも一人だけでなく二人を浮かせられるなど、並の魔法使いでは到底できない所業だ。
「助けてくれたんですか……?」
『…………。貴様は標的ではない。それさえ取り戻せるのならば、見殺しにする理由もない』
歪んだ声と共に、花の香りを乗せた風が頬を撫でる。
その風は、鉄の死神が左手に持つ白い箱……、としか形容できないものから流れていた。
白い箱には持ち手が付いていて、四方に丸い輪が付いた箱。ただの輪かと思えば、その輪の中では、小さな風車の羽根が勢いよく回っている様子が見えた。
これもまた、鉄の死神の魔道具のひとつなのだろうか。用途はまったく分からないけれど。
『あの男は少々面倒だ。少しばかり、空の散歩と洒落込もうじゃないか』
低く歪む声の主と共に、私は眼下に広がるオレンジの屋根を見下ろしながら、ゆっくりと空を飛んだのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!