悪役令嬢は凄腕スナイパー【連載版】

「たとえ私に破滅の道しかなくとも、この国だけは護ってみせる」
島 一守
島 一守

16過行く季節

公開日時: 2021年10月1日(金) 21:05
文字数:2,119

 ヴァイスは、理解力が低いわけではなかった。

ただただ、今までなされるべき教育がなされていなかっただけだ。

聞けば男爵家だというのに、家では誰も相手にしてくれず、食事さえ用意されていない体たらくだそうだ。

その話に私は憤慨したけれど、彼は「誰からも目視されていない」という状況なら仕方ないと、半ば諦めの混じる声色で語っていた。

私にとってみれば、普通に見えるし触れる相手なので、周りの大人がわざとそうしているようにしか感じなかったのだが……。


 ともかくそんな状況なら、教育も施されていないのが当然であり、四苦八苦しながらも、私と同水準になるまで、日が暮れるまで勉強していたものだ。



「あら、もう日が沈みますわ。今日はここまでにいたしましょう」


「ああ、ありがとな。おかげで最近は、家庭教師の言ってることもなんとなく分かってきたんだ」


「そう、それはよかった」


「それじゃ、俺は帰るから」


「ええ。最近は暗くなるのが早くて残念ですわ」


「まあ、俺は暗くなってから帰っても、別に平気なんだけどな」


「そんなの危ないですわよ!」


「俺に気付けるのなんてお前だけだし、襲われたりもしねえよ」


「そうではなく、夜道は足元も見えにくくて危険でしょう?」


「あー……。まあ、それも平気だ。多分」


「油断禁物、ですわよ」


「ああ。それじゃ、また明日な」


「ええ、また明日。お気を付けて」


「ありがとな」



 そう言い残し、彼は扉を開けて出てゆく。扉の前に待機しているメイドも、彼に気付くことはない。

彼だけでなく、彼が踏みしめる絨毯の足跡にも、彼が開いた扉にすら、気づくことはなかった。


 その様子に私は、本当に彼が父の言う、イマジナリーフレンドなのではないかと不安を募らせるほどだ。

本当に彼が存在していないなら……。私はおかしくなってしまったのだと、肌寒い夜を不安と共に過ごしていた。

それでも次の日に姿を見せてくれるだけで、私の心は少し晴れたのだ。


 そんな秋の日々が通り過ぎ、雪の降り積もる白い季節がやってくる。

その頃にはかくれんぼにも少々飽きが来ていたし、寒い中隠れるのも辛いだろうと、遊びは本を読むことに変わっていた。

暖かい暖炉の前で、二人で並んで本を読めるようになったのは、日々の勉強のおかげだった。


 けれど、彼はそんな日々に少々退屈していたのかもしれない。本当は本を読むよりも、外で遊びたいと思っていたのだろう。

実際に、その年初めて雪が積もった日には、使用人たちを連れて外で雪遊びをしたものだ。

けれど、雪だるまを二人で作ろうと言い出し、目標の半分の大きさの雪玉を作る頃には、私は動けなくなってしまったのだ。

その後、二日ほど寝込んだのを彼は気にして、外で遊びたいとは言い出さなくなった。


 そんな彼の心境を察したわけでもないが、寒いからとずっと部屋に居ることに、私も少々飽きてきていたのも事実だ。

何度も読み返し、一字一句そらんじられるおとぎ話のページをめくりながら、私はつぶやいた。



「退屈……。ですわね」


「ん? そうか?」


「そうですわよ! 毎日屋敷の中にこもりっきり。

 この本のような、世界を見て回る冒険をしてみたいですわ!」


「お前……。すぐに動けなくなって、その辺でうずくまってるのが想像できたんだけど」


「むっ! そんなこと……、たぶんないですわよ」


「ないと言い切らないのな」


「…………」



 ヴァイスは、この頃から口達者だったように思う。

ちょっとした言葉の端を拾い上げ言い返す。これは、教育うんぬんではなく、地頭の良さだ。

もしくは大人に認識されていないからこそ、普通の子どもでは知り得ない、大人とくに貴族たちの舌戦の現場に居合わせたせいかもしれない。

妙に偏った知識と立ち回りのうまさは、すでにこの頃から会得していたのだ。



「まあでも、退屈なのはそうかもしれないな」


「ですわよね!? なにか、面白い遊びでもないかしら……」


「遊びでいいのかよ」



 私にとっては、冒険とはすなわち遊びの一種だった。

オズナ王子との屋敷の冒険、その記憶がそのように思わせていた。

物語のように世界を回りたいと言いながら、その世界とは屋敷の中だけだったのだ。

しかし彼の提案によって、私の世界は広がることになる。



「お前さ、平民たちが英雄と呼んでる、リンゼイってヤツのこと知ってる?」


「リンゼイ? 誰ですの?」


「そっか、知らないか。国の歴史も勉強してるから、知ってるかと思ったんだけどな」


「英雄でしたら、大抵の方の名前を憶えているはずですが……」


「ま、ソイツのことはいいんだ。直接関係ないし」


「なんですの? 気になるじゃありませんの」


「いやな、そのリンゼイってヤツを讃えた祭りがあるんだ」


「お祭り? 私、そういうの行ったことありませんの!

 でも、本の中には出てきますし、行ってみたいと思ってましたの!」



 その頃の私にとっては、祭りとは本の中の出来事だ。

後に英雄となる平民が書き記した物語、それに出てくるキラキラとしたイベント。

そんなものは実在しないと思うほどの、縁遠いもの。そういった印象を持っていた。

だから、本当にそういうものがあるのだと知った時、強く胸が高鳴ったのを覚えている。



「なら、連れて行ってやろうか?」



 そんな私が彼の言葉に「いいえ」と言うはずなどなかった。

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