超高速で調べてくる。なんて言われたのは、ほんの二時間ほど前だったはず。
にも関わらず、放課後にヴァイスは、分厚い資料を手渡してくるのだ。
いくらなんでも早すぎると思う。もしくは事前に? さすがにないわよね……。
「早すぎません? ちゃんと授業出てますの?」
「俺の影の薄さ、知ってるだろ?
授業なんて出ても出てなくても、いつも通り居るような気がする程度の、うすーい存在感なんだよ」
「あなた、留年しますわよ?」
「そんときゃ、裏工作頼むわ」
「お断りしますわ」
ため息混じりに資料を開けば、ミーの家族構成から、借金の額、使い道。
そして貸した相手と、幾つもの人物名が羅列されたリストが出てきた。
「それはミーちゃんと同じく、金を借りたヤツのリスト。
どれもこれも、法定利息よりかなり高い金利になってるな。
もちろん一見合法の手段で、無理やりこじつけてるんだがな」
「つつけば埃が出る相手ですのね?」
「あぁ。金を貸したヤツの名はフレックス・リバー。
お前のオヤジさんトコのモンだ」
「え? お父様に支えてる方ですの?」
「いや、派閥というかなんというか……。オヤジさんも、金融関係だろ?
横のつながりがある程度だ。直属じゃねえ。
ま、ミーちゃんも知らずに、お前に話したんだろうな」
「なるほど。それなら、お父様に頼めば……」
「そりゃ無理だろうな。上下がはっきりしてる関係なら可能だろうが、一応は別組織だからな。
ただ、オヤジさんが後ろ盾になってる。名前を借りてるって程度だがな。
だけどな、なにかコトが起これば、オヤジさんも叩かれる立場だぞ?」
「つまり、今回の件を公にすれば、私にも影響があると」
「そういうこった。身の安全のために、手を引くんだな」
「…………。後ろ盾になっているのなら、管理責任がありますわね?」
「面倒なことになるぞ? そこまでしてやる義理はないだろ?」
「いえ、気になることがありますの」
「気になること?」
「えぇ。例の死神ですわ」
「鉄の死神か? それがどうした?」
「昨日の事件も、黒いことをしていた豪商が狙われたでしょう?
もし死神が世直しごっこをしているなら……」
「次に狙われるのは、コイツってか?」
「次じゃなくとも、近いうちに……」
ヴァイスは、顎に手をやり、少し考え込む。
今までの情報と、私の仮説が矛盾していないか、思案しているようだ。
「まあ……、ない話ではないか……」
「ですので、少しこちらでも動きますわ」
「そうかい。お前も死神には気を付けろよ?
約一名には、確実に恨まれてるだろうからな」
「それは、あなたのことかしら?」
「あ、俺含めて二人な」
「ホントに、気をつけなければなりませんわね」
クスクスと笑えば、ヴァイスも笑う。
さて、一仕事しましょうか……。
◆ ◇ ◆
屋敷に帰れば、制服から着替えることもなく、私は父の執務室の前へとやってきた。
重々しい焦茶色の扉がゆく手を阻む。中での会話を遮断するための、分厚い扉だ。
だが、どんなに重くとも、その扉が私の邪魔をすることはない。
ただ一言、廊下に立つ執事に開けろと命じれば、簡単に開く板切れだ。
ゆっくりと開かれた扉の先、一歩足を踏み入れたあと、私は深々と頭を下げた。
その先の、上質な木製の事務机に向かい座るのは、細身の男。
銀色の髪も、身を包むスーツも、青く透き通る瞳さえも……。高貴な身分であるとアピールするようで、私にとっては禍々しささえ感じるものだ。
まるで絵に描いた貴族像がそのまま発現したような男こそ、私の父である、イクター・ラマウィその人だ。
「お父様、お仕事の途中でお邪魔してしまい、申し訳ありません」
頭を下げたまま、床を眺めていれば、コツコツと足音が近づく。
両手を握りしめられ、ぐいと顔を上げるようにと引っ張られた。
「私の可愛いエリヌスよ、美しい顔をこちらに向けておくれ。
私に対しかしこまることなんてないんだ。仕事中だって、寝ているときだって、いつだって来てくれて構わないさ。
どんな仕事も、君の父であるという使命以上に大切なことなどないのだから……」
ぞわりと全身を悪寒が走る。うっかり「きっしょ!!」と口をついて出そうになるが、吐き気とともにぐっと飲み込んだ。
いつものことではあるのだが、父は私に対して、口説くような言い回しをするのだ。
過保護などという、生ぬるいものではない。もはや、精神病ではないかと私は疑っている。
だが、だからこそ都合がいい時だってあるものだ。
「ありがとうございます、お父様」
「さあ、こちらへ。可愛い我が娘よ。
お茶を用意させよう。極上のティータイムと洒落込もうではないか。
紅茶を2セット。菓子は、宝石糖を」
「はい。かしこまりました」
私を来客用のテーブルセットのソファーへと座らせ、父は執事に指示を出す。
幼い頃から変わらぬ、いつもの光景だ。
それは、私がまだ幼い子供であると、父が認識している証でもある。
私はもう、大人になりつつあるのに……。
「ふふっ……。私は嬉しいよ。
学園から戻り、服を着替える時間すら惜しんで、私の元へと来てくれるなんて……。
君が拒まないのであれば、ずっと私の膝の上で過ごしていて欲しいくらいに、私はいつもエリヌスのことを想っているのだよ」
「そう言っていただけるなんて、私はなんて幸せなんでしょう。
もちろん私も、お父様のことを考えぬ時間など、一瞬たりともありません。
だからこそお父様の公務の邪魔にならぬよう、離れる時間も必要だと考えております。
その時間は辛く寂しいものでありますが、学園で学び、お父様のお手伝いをできるよう、力を付けたいと考えておりますの」
「本当に、本当になんていい子なんだ……」
父はハンカチを取り出し、涙を拭う。
これが「出来た娘」を演じているだけなどと、微塵も疑うことなどないだろう。
その間に、私と父の前のテーブルには、香り立つ紅茶と共に、パステルカラーにきらめく砂糖菓子が差し出された。
父はひとしきり感涙を目から吐き出せば、鼻をかんだあと、涙の分を補うように紅茶を一口口に含む。
十分に上機嫌になったであろうことを確認し、私は切り出す。
「今日、ご公務の手を止めることを厭わずこちらに来させていただいたのには、わけがあります」
「なんだい? なんでも言っておくれ。エリヌスのためならば、なんだって力になろう」
「ありがとうございます。けれど、私に望みがあるわけではないのです。
学園にて、あまりよくない噂を耳にしたもので……。心配になって駆けつけたのです」
「なんと……。君に余計な心配をさせるなど、私が許すわけにはいかないな」
「お父様、『鉄の死神』と呼ばれる者の噂は、ご存知ですか?」
「…………」
途端に父の表情は険しくなる。
今まで伏せてきたはずの情報が、私の耳に届くとは思ってもみなかったのだろう。
だがそれは、箝口令が敷かれているからではない。
単に父が、私にそのような、血生臭い話を聞かせたくなかっただけである。
「ご存知なんですね?」
「ああ。君には心配して欲しくない。
そして、このような話を、知ってほしくはなかったのだよ。
だから言っていなかったのだ。すまない」
「いえ、お父様のお気遣いであることは、わかっておりました。
しかし、相手は豪商や貴族を狙う暗殺者だと……」
「心配しなくてよい! 屋敷の警備は万全だ!
そして、君に付けているメイドも、魔法の才がある!
安心して過ごすといい! 心配ならば、私の側に居ればいい!
なに、こう見えて私は、魔術も剣術も会得しているのでな!
私が盾となるのだから、君が心配することはなにもないのだよ!」
「お父様、落ち着いてくださいまし。
お父様が私を守れるようにと、日夜訓練に励んでいらっしゃることは、私もよく承知しております。
しかし、お父様が身代わりになっては意味がないのです。
私は、私の身の安全ではなく、お父様のことが心配なのです」
「エリヌスっ……!!」
ガタッと立ち上がり、がっしりと私の両手を握る。
そして私の隣へとやってくれば、抱き寄せ頭を撫でるのだ。
細身ながら鍛えられた、ガッチリとした胸元に頭を預け、その暑苦しい抱擁を私は受け入れた。
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