月が雲に隠れ、地上を闇が覆う。私は一人、指示された場所へと音もなく走りゆく。
闇に沈んだ世界に溶けるよう、黒一色の衣装。手入れの行き届いた、長く金色に輝く髪も、帽子の中で息をひそめている。
誰もが私の存在に気付く事はない。作戦通り、家々の屋根を跳びまわり、定位置へと着いた。
背負っていた身長と同じほどの長さのあるカバンを開けば、この世界には存在しない武器が姿を現す。
それは狙撃銃と呼ばれる、外の世界の武器。備え付けられた筒を覗けば、今日の標的がくっきりと映し出された。
丸い窓の先、シャンパンの泡がきらめくグラスを片手に、恰幅の良いオジサマ達は笑い合う。
その分厚い面の皮の裏側に、どす黒い感情を隠して。
「今回の商談、うまくまとめていただいて感謝しておりますよ」
「こちらこそ、リカルド様にはいつもご贔屓にしていただいて、ありがたい限りです」
がっちりと握手を交わしながら、見えないところで足を踏み合うのが、貴族という生き物だ。
そんな世界にヘドが出る。全部、全部壊してしまいたい。
「チッ……。くっせえ息してそうですわね。
牛のゲップのほうが、よっぽどフローラルですわよ」
ライフルのスコープを覗きながら漏れる言葉は、誰に聞かせるものでもない。
だからこそ言いたい放題。今だけは、公爵令嬢の仮装をしなくていいのだから。
その時、耳に入れたイヤホンから声が聞こえてきた。
『ドゥフフ……。毒舌令嬢チャン、もうちょっと待ってネ』
「きっしょ! その笑い方やめなさいと、いつも言っているでしょう!?」
『デュフッ! サーセンっす。拙者、根っからのキモヲタなもので』
「気持ち悪がられて、悦んでますわね……。ホントに気持ち悪い……」
こんな無線越しのやりとりも、これで何度目か。まったく、これさえなければいい仕事なのに……。
けれど、無線の先の相手が司令官だ。この世界に変革をもたらす、外の世界より来た者。
彼の言葉を聞いた時から、私の生きる道は決まった。
たとえ破滅しかなくとも、たとえこの手をどれだけ汚そうとも……。
私は、この国を救ってみせる、と……。
『デュフッ! カウントダウン、いくでござる』
「ええ」
『3』
『2』
『1』
その瞬間、屋敷の一室を照らしていた照明魔法がふっと消える。
闇がパーティー会場を覆ったその一瞬、私は引き金を引いた。
パスっという軽い音。パリンと小さくガラスの割れる音のあとには、ドサリと『何か』が倒れる音が続く。
けれど、会場の誰もが、最後の音しか聞こえていないだろう。
そして、照明魔法が再び会場を照らした時、悲鳴が響き渡るのだ。
「ミッションコンプリート、ですわ」
無線越しの不愉快な笑い声を耳に入れることなく、私は仕事場をあとにした。
◆ ◇ ◆
朝、晴れ渡る空の下を走る馬車の中で、私は少し眠っていた。
身体を震わせる揺れも、ガタガタとわめく車輪の音も、私の眠気を掃えないでいる。
けれど、そんな中でも人の声には気づくものだ。
「お嬢様、到着いたしました」
「んっ……。もう、ですのね」
少しの間の仮眠で、疲れが取れるはずもない。
窓の外を見ると、学園の校門が近づいているのが見える。
そして、ガラスに反射する私の青い瞳と、その下に遠慮気味に横たわる隈も目に入った。
そんな私を見て、専属メイドのエイダは少々心配顔だ。
「体調がすぐれないようでしたら、欠席されますか?」
「いえ、問題ありませんわ」
馬車を降り向かう場所は、私の通う聖アーテル学園。
貴族と、才能のある者しか通うことの許されない、この国最高の教育機関だ。
しかしその実情は、ほぼ貴族専用学園という状態であり、皆が馬車で通えば毎朝大渋滞になる。
そのため身分に関係なく、専用の降車場で馬車を降り、10分程度は歩かなければならない。
私が学園の生徒を狙うなら、この瞬間だと考えながらも、専属メイドのエイダと共に歩みを進めた。
「お嬢様、体調がすぐれないようでしたら、今日だけでもお荷物をお預かりさせていただけませんでしょうか」
「あなた、しつこいわよ。最低限のことは自分でやる。それが私のポリシーですの」
「申し訳ございません……」
周囲を見回しても、校則のため仕方なく歩くものはいても、自身でカバンを持つ者などいない。
そのような些細なことでさえ、私には貴族の高慢さに映るのだ。
だから、小さなカバンであっても自分で持つ。それは、私のささやかな抵抗だ。
そんないつもの朝、いつもの気配が背後に迫った。
咄嗟に私は相手の手首を掴み、背負い投げで地面へと叩きつける。
「痛ってえ!! なにすんだ!!」
「あなたこそ、乙女の背後に忍び寄るなんて失礼ですわよ?」
「ったく、公爵令嬢が聞いて呆れるぜ……」
相手は同じく学園に通うヴァイス。
クラスは違うが、同じ1年生であり、昔から顔の知った相手だ。
闇に紛れるのに良さそうな短い黒髪と、表情を読めない張り付いた作り笑い。
視線さえ読ませぬ、開いてるかも分からないつり目が特徴の男だ。
そしてなにより、彼は特別だった。
気配を全く感じさせない、特殊能力を持つのだ。
「なんでお前は俺に気付くんだよ!?」
「さあ? 小さい頃から一緒だったからかしら?」
「ったく……。エリヌスはいつまでたってもじゃじゃ馬だな」
「ヴァイス、あなたも学習しないじゃない。そろそろ諦めたら?」
「やなこった! これは俺の仕事なんでな」
「そう……。せいぜい頑張りなさい」
彼の仕事、それは諜報だ。
あらゆる権力者の情報を集め、弱みを握る。
それは交渉の材料にもなれば、世界を揺るがすほどの力にもなる。
誰よりも危険で、誰よりも使える人間だ。
しかし、彼の調査対象の一人に、私は入っていた。
はじめましての方ははじめまして。
そうじゃない方は、いつもありがとうございます。
はじめての悪役令嬢モノはじめました。夏ですからね。
え? 関係ない? 冷やし中華と悪役令嬢は夏の風物詩ですよね?
てわけで、頑張っていきますので、応援・評価の方よろしくお願いしま~す!
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