噂をすればなんとやら……。
なんて言い回しが情報屋の頭の中をめぐる。
彼にとってのキーアイテムであるセイラ。その父に協力を仰ぎにゆき、野望を語れば、張本人がやってきたのだ。
「ただの腐れ縁。それだけの仲」
その言葉に、ヴァイスは表情こそ変えなかったが、少々の苛立ちを募らせた。
必ずあの女を手に入れる。再度決意させるには、十分な言葉だったのだ。
その思いと共に、男は次の手を打つ。
「こんばんは、オズナ王子」
静かな王子の寝所に、低く声が響く。
ベッドに座り、窓の外を眺めていた部屋の主は一瞬びくりと体を震わせる。
だが声の主を確認すれば、再び窓の外へと視線を移した。
「君か……」
肩を丸めた王子の返答は、漏れ出る空気とさして変わらなかった。
その後は会話をつづけることなく、ただ小さくため息をつく。
「おや? ご加減がよろしくないのでしょうか? それとも、何かお悩みでも?」
「…………。君には関係ない」
「そうですか……。では、ご依頼いただいたエリヌス様の情報は、また日を改めて……」
「待て」
すっと消えかけた情報屋を王子は引き止める。
それは男から出てきた名に、思わず口をついた言葉だった。
「はい、なんでしょうか?」
「…………。話を聞こう」
王子はベッドサイドの引き出しから、事前に用意してあった報酬の金貨が入った小袋を取り出す。
それを情報屋に放り投げれば、小袋は吸い込まれるように情報屋の手に収まった。
見た目によらずずっしりと重い袋を受け取り、ヴァイスは営業用の笑みをより濃くする。
それは、袋の中に多くの金貨が入っていることを喜ぶ顔ではない。
信用ない情報屋に多くの報酬を渡すものはいない。
つまりその重みこそ、情報屋としての王子からの信頼の重みなのだ。
少なくとも、「信用できる情報屋として動いてほしい」という、王子のすがる気持ちがそこにはあった。
「では、どこからお話いたしましょうか……。
王子が留学されてから10年のことですから、時間的にも全て話すわけにはいきませんね」
「エリヌスが変わった理由。それを知りたい」
「ふむ……。少々難しい質問ではありますが……。
やはり、交友関係の変化が大きいでしょうか」
「交友関係?」
「ええ。王子がロート連邦へ旅立たれた年の冬、新たにメイドを雇ったのです。
それが今でもエリヌス様に付いている、エイダという者ですね。
歳は書類上同じとなっており、飛び抜けた魔法の才から、学園にも正当な手続きで入学しております」
「その者が、エリヌスとどう関わるのだ?」
「調べたところによりますと、エリヌス様はオズナ王子が旅立たれてからしばらく、塞ぎ込んだ生活をしておられたようです。
しかし、しばらくしてからは元気になっていったようですね。それがちょうど、メイドを雇う時期と近いのです」
「専属メイドができてから、変わったというのか?」
「専属メイドではなく、友人ができてから……。そう表現した方が的確かと、愚考いたします。
もちろんこれは情報から導き出した、私めの考察ではありますが」
言葉を選び、与える情報を選び、ヴァイスは話を作り上げた。けれど、その中に嘘はない。
ただただ、自身もその時期に接触しているという事実だけを、あえて取り除いて語ったにすぎないのだ。
しかしそれは、実際に周囲の者に聞いて回ったとしても同じだっただろう。
なぜなら、彼の存在は誰にも感知できない。つまり、エリヌスの隣に立つ者は、周囲の者たちの目からも、エイダただ一人に映っていたのだ。
嘘はない。しかし意図して誤解させ、操る。
それがヴァイスという権力を持たぬ男の、行き着いた答えだったのだ。
「それはつまり……。そのメイドが、僕の居場所を奪ったと……」
静かに、けれど腹に響く突然の言葉に、ヴァイスは押し黙った。
だが、それは驚きよりも、喜びを表に出さぬためのものだ。
オズナ王子の留学先での様子、そして幼き頃の様子。それらを、ヴァイスは調べ尽くしていた。
そこから導き出した答えは、王子にとって許嫁のエリヌスは、政略目的の相手ではないというものだ。
それだけではない。彼にとっての柱であったのだ。
唯一王子ではなく、オズナという人物として接した少女。それがエリヌス。
その純心たる行動は、彼にとって彼女を、最も近い存在へと変えた。
見かけ上助けていたのは王子だった。しかしその実、依存していたのは王子の方だったのだ。
それを知っていたからこそ、ヴァイスは誘導を試みた。
変わってしまった彼女、その原因が全てメイドにあると。
しかしまさかこれほど早く思い通りに動いてくれるとは、思ってもみなかったのだ。
少々早く訪れたチャンスに、ヴァイスは思案する。
このまま計画通りに動かすには、どのようにするべきかを。
「王子、そう思われても仕方ないかもしれませんが……。
なんと言いましょうか、少々物言いが乱暴かと」
「だからどうした。ここには私と君以外居ないのだ。気にすることはない」
「ええ。もちろん口外はいたしません。王子のお考えも理解できます。
しかし王子は、今のエリヌス様に対してはどうお考えなのですか?」
「私は……」
燃え上がった嫉妬心に、突然冷や水をかけられた王子。
ふっと冷静になり、言葉に詰まる。それが情報屋の策略とも知らずに。
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